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【新年企画】2026年 重箱に詰めた京大新聞あれこれ

2026.01.16

【新年企画】2026年 重箱に詰めた京大新聞あれこれ

編集員の総力を結集し、4時間かけて完成させたおせち

世間が2026年の新たな日の出を迎えると同時に、京大新聞の新年も晴れ晴れしく幕を開けた。

新年に欠かせないおせち料理には、その年の幸福を願って縁起を担いだ食べ物が用いられる。そこで、本紙編集部も今年の抱負や祈願を込めて、新聞にまつわる独自のおせち料理を用意した。本企画では、全9品のおせち料理とともに、9人の編集員が新聞づくりへの思いを語る。読者の皆様への新年のご挨拶に代えて、本記事をどうぞご賞味あれ。(編集部)

目次

京大新聞は見通しが甘い
(舌なのに)京大新聞の背骨
ぴりぴりするごま塩?
レイアウターの理想と悲哀
魚も記者も「締め」られる
読者との架橋を練り上げる
丸くなるな、もちになれ
きになる点を駆逐せよ
流れないモン サーモン
あとがき


京大新聞は見通しが甘い


きんぴら

穴はふつう欠陥であり、埋めるべきものだ。でも、蓮根の穴は違う。外の空気を根までしっかり届ける重要な役割がある。ことおせちにおいては「見通しが利く」縁起物として重宝されているわけでもある。

翻って京大新聞のことを考えると、良くも悪くも「見通しの甘さ」が特徴の団体だと思う。毎週の編集会議では、紙面の発行に向けて、また団体として活動の見通しをよくするために締切を設定し、実作業を各編集員に割り振ることになる。だが、締切はしばしば破られ、諸々の実作業は謝罪の言葉とともに「忘れてました……」と闇に葬られる。

それでも、京大新聞には「夢」というもっと先の未来への見通しがある。創刊百周年記念事業を遂行し、今や次の百年を目指すフェーズに入った。意欲的な企画のアイデアもちらほらと耳にする。であれば、少々見通しが「遠視眼的」でもいいではないか。

だが注意したいのは、何事も途中で折れてしまうのはいけないということ。特に記事執筆においては、「筆を折らない」ことが重要になる。些細な事務作業を忘れるくらいであればまだご愛敬で済むが、志半ばで記事執筆を諦めるのは見通しが甘いどころの話ではない。根菜と同じく、情報のしっかりとした「咀嚼」と記事への「消化」を通じて、今年も記事を紡いでいきたい。(涼)

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(舌なのに)京大新聞の背骨


牛タン

「京大新聞の合言葉は?」と聞かれたら多くの編集員がこれを挙げるのではないか――。「権力にアカンベエ!」。由来は、1930年頃、編集部の集合写真を撮った際のエピソード。京都大学新聞社の法令上の責任者だった入山雄一氏が「ファシズムを笑い飛ばせ」と編集員に呼びかけ、皆が舌を出して写真に収まった。権力を批判的に捉える視点をもつべきだという考えは、時代に合わせて変わりゆく京大新聞の変わらない部分とも言える。1回生の私もいつ教わったか忘れたが、今ではこうして本記事を書くに至っている。

「権力にアカンベエ!」精神は毎号の紙面にも表れている。記事には「本学」と表記せず必ず「京大」と称する。大学当局と一線を画す独立した組織としての、京大新聞のこだわりの1つだ。

個人的には権力に「アカンベエ」というところが好きだ。「軍旗を振れ」でも「徹底的に抗え」でもない。ただ振り返って舌を出すのだ。影響力はそれほど大きくなくとも、紙面でしっかり主張する姿勢がうまく表されていると同時に、少しユーモアを感じるのは私だけだろうか。

ここまで読んだなら、京大新聞のおせちに牛タンが欠かせない理由が伝わったに違いない。あなたも京大新聞の読者として、来年からはおせちに伊勢海老よりも牛タンを入れてみてはいかがだろう。もちろん、豚タンでもよいが。(悠)

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ぴりぴりするごま塩?


赤飯

執筆した原稿を別の編集員が校正・校閲する作業を、京大新聞では「朱入れ」と呼んでいる。共通テスト・英語リーディングの第4問を想起されるとよいだろう。表記・文法・事実関係の誤謬という不良粒を目を皿にして探しつつ、文章全体を俯瞰し、構成の不備や主張の矛盾など、粒の揃い具合を見極める。

朱入れは他者の原稿に批判的に接する以上、執筆者の舌をぴりりと突き刺す塩辛いコメントをつけてしまうことがある。一方、朱を反映するか否かは執筆者の裁量に任されるので、執筆者の器の広さも問われる。ここで建設的な議論をしておかないと、原稿はひび割れ、朱はくすみ、食指の動かない記事が出来上がる。校閲者が虚心坦懐に原稿に目を通し、執筆者がその成果を懐深く受け入れてこそ、粒立ちのよく、美しい艶を備えた炊き上がりになるのだ。

朱は原稿から滴る執筆者の血ではなく、編集員たちが重箱の隅まで点検し尽くした汗と涙の結晶である。健全な批判精神をたたえた朱入れは、原稿の質を高める無上のごま塩なのだ。今年も原稿が朱く染まり、粒揃いの記事が生まれてほしい。そういうわけで赤飯を添えた。

なお、この文章には5名の編集員による11個の朱が入った。(晴)

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レイアウターの理想と悲哀


巻き寿司

記事ができても紙面は完成しないのが、紙新聞の厄介なところである。紙新聞では物理的にスペースが制約される。字数を指定せずに書かれた複数の記事を、1枚の長方形にしまい込むには、レイアウターの腕前が試される。レイアウターは記事を右に左に配置しながら、最も読みやすい配置を作り上げていく。その際に障壁になるのが禁則だ。京大新聞のマニュアルには大量の禁則がある。ハラ切り、エントツ、両流れ、エトセトラエトセトラ……。どれも初めて読む読者が誤読するのを防ぐためのもので、自分が読めるからといって大胆に割り付けてしまうのはきわめて危険だ。

さて、誤読なきように並べても、まだまだ完成とは言いがたい。特にニュース面では、各記事の優先順位への配慮も欠かせない。大学全体を揺るがす大ニュースの見出しよりも小ネタ記事が目立ってはならないが、その一方で小ネタ記事の存在感も維持しなければならない。大小各種のネタの適度な配置と整形が求められる巻き寿司と似ていなくもない。

より良いレイアウトのためには、一見完成しているレイアウトを大胆に破壊し組み替えるのが近道なこともよくある。1マスだけ揃わないルービックキューブも、その1マスだけをつついてみたってニッチもサッチも行かない。

見事に完成した紙面を読むと違和感がない。そしてレイアウターの存在を忘れてしまう。「あれ、続きはどこに行くんだ?」と引っかかることがなければ、それはレイアウターの徹夜の努力が実った証左である。

さて本紙では、紙面発行の翌月からウェブサイトでも記事が配信されるが、ウェブ上ではレイアウトは全く反映されない。健康と引き換えに破壊と創造を繰り返した努力の結晶が跡形もなくネットの海に放流される儚さもまた、レイアウトの醍醐味である。

ちなみに、受験生諸氏にサクラサクのを祈って「桜でんぶ」を入れた。(燕)

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魚も記者も「締め」られる


鯛の昆布締め

締切直前の編集員の心境は、まるで昆布締めにされる魚だ。昆布締めによって水分が抜け、旨みが凝縮される。編集員の心境も締切によって身が引き締まる。

書き始めの原稿には、まだ余計な「水分」が多い。「おしゃれに書きたい」という自意識や、「批判への恐れ」という迷い。記事を水っぽくするそれらの雑念は、刻一刻と迫る締切という圧力によって、強制的に吸い取られていく。

締切が迫るにつれ、雑味のような修飾語は落ち、文体はキュッと締まる。極限の集中の中で最後に残るのは、凝縮された事実の旨味だけだ。

こうして仕上がった記事は、飾り気はないが、事実をありのままに伝える。締切とは、正確な情報発信のために不可欠な熟成の時間なのかもしれない。(法)

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読者との架橋を練り上げる


かまぼこ

他者との関わりの中で作り上げ、読者に届けるところに新聞記事の特徴があると思う。京大新聞では、京大に関するニュース記事であれ、お気に入りの映画を紹介する評であれ、「初見の人が理解できるか」という視点を大切にする。好きなことを自由に語るのは簡単だが、それを知らない人に理解してもらうことは案外難しい。独りよがりにならないように、文章の内容・表現・構成を練り上げる必要がある。

私は午年にあやかり、かまぼこを馬の形に飾り切りしてみた。ちょっとした手間でお重が華やかになる。顔の見えない読者のことを思って少しの工夫をすることで、記事の出来栄えが良くなる。手間や回り道で充実するのは、お重にも紙面にも人生にも通ずることだろう。これからも独りよがりにならない記事を届けたい。(史)

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丸くなるな、もちになれ


きなこもち

なぜ人は争うのだろう。西洋史の授業中、どうしようもない悲しさに、ユニセフにバイト代から3千円を進上した、足で授業後、おせち作りに向かう。いま困る人の何かの足しになったのだろうかと切ない気持ちの筆者は、気づけばもちに拳をふるっていた。楽しい。事件を忌避しつつも心のどこかで願ってしまう新聞編集員の性が、そこにはある。

なぜもちに、杵ではなく拳をふるうのか。ペンを相棒にする我々は、プロ意識からペンより重いものを持つことができない。付言すると、部室に臼と杵はない。こうした理由から、ボウルに入れたもち米を、拳で殴り続けてもちへと変身させることにしたのだ。

もちは喉につまる、つまりつまらなくない。もちはいつまでもはがれない、取材の心得のようだ。「縁の下の力もち」という慣用句を支えるのは、間違いなくもちの2文字だろう。もちには編集員の熱い心持ちが詰まっていると言っても、もちろん過言ではない。英語では「rice cake」と書いてもちの意味だが、これは「米」からの真理を含んだ「警句」ということであろうか。

記事を書く中で、編集員どうしが熱く語り合うことがある。時に火傷をするほどに。口論になり背を向け合っても、結局その背はもちのようにひっ付いたままだ。小さな喧嘩はノリに包んで、磯辺焼きにして食べてやろうという編集員が多い新聞社は筆者の誇りだ。いかなる人間の集団もそうであれば良いのに。世界平和を、幸せな事件が多ければいいなという願いをのせて、謹賀新年もちを食べる。(雲)

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きになる点を駆逐せよ


舞茸の天ぷら

神経質な人間にしか務まらない。初めて最終校正に参加したとき、筆者はそう思った。新聞の発行までには様々な作業を経るが、発行当日に紙面に問題がないか確認する作業、「最終校正」はことさら神経をすり減らす作業である。事実関係の確認、誤字脱字の指摘、レイアウトの修正などなど、いずれもぼやッとしてできるものではない。ここで指摘される内容は「見出しの位置がズレている」やら「フォントが違う(食い気味)」やら、大概些細なものではあるが、京大新聞の矜持をかけて妥協は許されない。大勢に影響を及ぼすドラスティックな変更にこそ「最後の砦」としての意味があるように見えるが、寧ろ、小さい問題に気づけてこそ大きい問題に気がつける。

ちなみに「King Knu」を「King Gnu」に直したのが筆者の最終校正デビューである。小さいミスからこつこつと、問題をみのがさない。その気概を身のカサない舞茸にもカサはあるキノコ、舞茸に込めた。(轍)

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流れないモン サーモン


鮭の西京焼き

新聞作りにおいて忌避すべき事態の1つが「記事が流れる」ことである。紙面から記事が溢れた時、次号へと記事の掲載が回されることをいう。これが起きると、締切に間に合わせるべくペンを走らせた執筆者はやるせない気持ちになる。あるいは紙面の都合ではなく、締切に間に合わせることができないと判断し、執筆者が率先して「記事を流したい」と宣言する場合もある。どちらにせよ、記事が流れるというのは後味が悪い。

「記事が流れませんように」という願いを象徴する食材がないものかと頭を抱えた時、筆者の脳裏に北海道千歳川の鮭の滝登りが浮かんだ。彼らは力強く左右に体を捩り、跳び上がり、流れに逆らって轟々とした滝を遡上してゆく。彼らの迸るエネルギーは、大きな流れに身を任せて生きる人々に感銘を与えてくれる。そうした鮭の生命力にあやかりたいと考え、今回のおせちに鮭の西京焼きを含めた。記事が死ぬということはないが、鮮度はある。流される度に、その記事は鮮度を1つ失っていくのだ。読者に届ける文章は新鮮でなければ。しょっぱく味付けされた鮭を噛み締めるごとに、そんな意気込みが胸に湧いた。(燈)

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あとがき


振り返れば、この企画は紆余曲折を経て形になった。

本来、「権力にアカンベエ」とは大学当局などの外部の権力から独立する姿勢を指すが、今回に限っては長い歴史の中で培われた京大新聞自身の権威に挑戦しなければならなかった。というのも、権威ある京大新聞にふさわしいのは「意義」や「社会性」がある企画であり、娯楽性の強いエンタメ企画はお呼びでないという風潮がそれとなくあったからだ。そのため、編集会議を通過させるためにはいつも以上に企画案を隙なく練り上げなければならなかった。さらに、執筆者の人員確保に難航したために記事の見通しがつくのも遅かった上、締切を守った執筆者が1人しかいないという惨状。しかしそんな中でも、筆を折った執筆者が1人もおらず、朱入れが盛んに入ったことは喜ばしい。恙なくレイアウトも終えたので、どうやら企画が流れることは避けられそうである。あとは最終校正でミスを「みのかさ」ず、最後まで粘るばかりだが、この文章が皆様のお目にかかっているということは無事に全てが完了したのだろう。終わりよければ全てよし。新年にふさわしい円満な大団円だ。

さて、今号は2026年幕開けの号であると同時に、受験生応援号とも銘打っている。万が一、貴重な勉強時間を削ってここまで目を通してくださった受験生がいるのならば、心からの感謝と共にエールを贈りたい。周囲からの期待や様々なプレッシャーが今のあなたの肩にはのしかかっているだろうが、本番中はそんなものには舌を出そう。畢竟、受験は最終的にはあなた1人の戦いである。問題用紙を開いたら、まずは全体を眺めて見通しを立てることが肝心だ。そのあとは、筆を握りしめて、思考をよく練り、解答用紙を美しく埋め尽くそう。集中するあまり試験時間を決して忘れないように。解き終えても気を抜かず、目を皿にしてミスを見つけ、制限時間の最後の最後まで粘り切ること。そうすればきっと、あなたの解答用紙は赤丸で一面染まるだろう。あなたの行く末が明るいものであることを心より願っている。(燈)

新年あけましておめでとうございます。

本年も、邁進する京大新聞をどうぞよろしくお願いいたします。


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