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〈企画〉攻略!センター試験 5大勝利法で試験を制す!

2011.01.31

今号はセンター試験応援号ということで受験生の為になりそうな5つの勝利法を紹介する。中には妙なことを書いているものもあり、本当に為になるかどうかは疑問だが、試験の休み時間の暇つぶしになればと思う。皆さんがセンター試験に成功することを祈って。(編集部)

正統的勝利法

正統的勝利法といえばやはりこつこつと毎日勉強して勝利することだろう。だが、これを読んでいる諸君は既にセンター試験の会場にいるのだから、真面目に勉強した者が勝つなどと言っても今更遅い。

ならばここでは正統的ではなく別の方法を紹介しよう。まず、ティッシュを机の上に出しておき、試験官に試験中の使用を認めてもらおう。そして試験が始まり、周りが完全な集中モードなったときに全力で鼻をかむのだ。これで周りの集中は解け、少しは点数が落ちることだろう。

ここまでの記述でもうお分かりかと思うが、この方法は正統的とは言いがたい。むしろ邪道的勝利法と呼んだほうがいい。あえて言うなら、正々堂々と邪道的に勝利する方法だ。別に邪道的とはいってもカンニングを勧めるわけではない。試験のルールに乗っ取った上で周りの邪魔をするのだ。これで周りの人の点数が落ちても、自分には特に不利益はない。あるとすれば自身の道徳心に苦しむことだが、そもそもこんな方法を選んでしまう人は大して苦しまないだろう。むしろこれを喜びに変えられるはずだ。してやったり顔で休み時間を過ごし、試験を楽しむのだ。わからない問題が出ても冷静に対処し、普段以上の実力を発揮する。試験を楽しむというのはそれほど効果があるのだ。道徳心なんて捨て去ってしまえ!周りの邪魔をして面白がれ!

邪魔といっても退場を喰らうようなことをしてはいけない。この方法のポイントは試験のルールをよく知っておくことだ。大きな音で鼻をかんではいけないなんて記述はないだろう。もしあったとしても生理的現象なのだ。何か言われたら我慢できませんでしたで済ませればいい。鼻をかむ以外の方法では、貧乏ゆすり、大きな伸び(ただし、手を挙げていると勘違いされないように)、ペン回し等だ。試験中の妨害はこんなもんだろう。

次に、休み時間の過ごし方だ。もし周りに友人がいたら、一緒に組んで大声で嘘の答え合わせをするのだ。試験後は不安でいっぱいだから、これで煽れば試験中の邪魔より効果がある。注意すべきは、本当に答え合わせをしてはいけないことだ。答えを知ってしまい、自分が不安に陥れば本末転倒だ。試験が終わるとにらまれたりするかもしれないが、その後も関わりを持つようになるなんてことは稀なのだ。気にすることはない。結局は自分さえよければいいのだ。

この記事で自分の心に巣くう闇をさらけ出してしまった感があるが、諸君がこの方法で少しでも多く点がとれれば幸いだ。(空)

統計的勝利法

センター試験のための勉強をしていたり、模擬試験を受けたりすると楽をしてできるだけ多くの点数を稼ぎたいという気持ちになった経験は誰しもあるはず。「全部同じ数字にマークしたらどのくらいの点数がとれるのだろうか」、「どの数字をマークすればいちばん多く点数がとれるのだろうか」という疑問を解決すべく、学習指導要領の改定に伴い試験内容が改定された2006年度まで5年間の『英語(筆記)』、『英語(リスニング)』、『国語』を対象に統計をとってみた。(数学は完解しなければならない問題が多く、同じ数字をマークしても得点が伸びないので除外した)

まず、『英語(筆記)』は毎年、選択肢の数に多少のバラつきがあるものの、実質的に選択肢の数は1~4番の4つである。最も得点できる数字とその得点は2010年度が3番で57点、2009年度が2番で58点、2008年度が1番で54点、2007年度が3番で55点、2006年度が3番で45点であり、毎年平均点の約半分ではあるがとれている。どの年度も選ぶ数字による得点の差はそれほど多くなく、点数が均等に配分されているといった印象を受ける。

次に『英語(リスニング)』だが、これも『英語(筆記)』と同様に選択肢の数は1~4番の4つである。最も得点できる数字とその得点は2010年度が4番で20点、2009年度が1番で16点、2008年度が1番と2番で14点、2007年度が3番で16点、2006年度が2番で14点であり、また『英語(筆記)』と違って、年度によっては16点もの差があるなど選ぶ数字によって得点の差が大きく表れている。

最後に『国語』は先の2科目とは違い、ほとんどの問題で選択肢の数が1~5番の5つである。最も得点できる数字とその得点は2010年度が3番で50点、2009年度が3番で53点、2008年度が2番で59点、2007年度が3番で48点、2006年度が1番で62点である。『英語(リスニング)』と同じく、選ぶ数字によって得点の差が出ており、2009年度の試験では3番が53点だったのに対し2番は19点と34点も差が生まれている。

こうしてみると同じ数字にマークをするならば、3番を選ぶといいのかもしれない。この文章を参考にして全部3番にマークする強者が出てくることを祈る。(銭)

歴史的勝利法

勝負に際してはまず敵を知るべし、という常套句を持ち出しても大した説得力はないだろう。しかし「センター試験」なるものの歴史的意義もはっきりせぬまま、これと闘い精神を疲弊させてしまうことは、「受験生の疎外」にほかならない。とまれ、この試験が辿ってきた経緯を示してみるのは、それはそれで良い時間潰しになるかもしれない。

センター試験はいわゆる「共通一次」の系譜にあり、1979年1月13日に実施された国公立大学共通一次試験がその祖である。いわく奇問・難問を排することがその主たる目的。実施当日は各地で天候などによる混乱に見舞われ、開始が遅れたというのは、現在も変わらない。

1990年、センター試験と改称される。この時期の改革には京大第21代総長の故・西島安則氏もかかわっており、前期・中期・後期受験制度、私立大学での利用などが導入された。2006年度からは英語選択者に対しリスニングを課しているが、プレイヤーによる個別音源方式を採用しているため、機器の故障などのトラブルが各地で発生している。余談であるが、大手予備校でも模試などで使用する機器を購入しているため、プレイヤーはそれ自体が馬鹿にできない産業となっている。センター試験、あなどれぬ。

1つのミスが命取りになるセンター試験。致命的なミスをした場合に措置はあるのか。リスニングの場合、機器の不具合などについては、基本的に自己申告制としている。ただし雑音などに対する救済措置はケースバイケースなので注意。あるいは、名前などの記入漏れ。2006年、受験番号や科目コードの記入漏れやマークミスについては、1984年以降「全員救済」とし、個別に対処してきたと発表された。しかし、受験生の自己責任を問う声もあり、現在ではこの種のトラブルもケースごとに判断することとしている。

センター試験については、様々な批判がなされてきた。ノーベル物理学賞を受けた益川敏英氏は、センター試験が「考えない人間を作る」という主旨の発言をしている。具体的な設問内容についても、外国人参政権に関する問い(2010年度、「現代社会」)に関する賛否があったように、高度に政治的な事柄を安易に出題しているという批判もある。一方、その経済的コスト(採点に人員を要さない、等)を考えても実施する価値はあるとする意見もある。

「必勝法」とはほど遠い内容になってしまったが、執筆者にはセンター試験に苦い思い出しかないゆえ、ご容赦いただきたい。(薮)

確率論的勝利法

確率論的勝利法。すなわち六角鉛筆や動物的カン、あるいは神の託宣に従って解答するという、すべてのセンター受験生の最終兵器である。とは言っても、これを唯一の武器として試験に臨むというつわものはなかなかいないだろう。そもそも正答の可能性が低すぎるのだ。しかし、そんな勇気ある、いや無謀と言ってもよい挑戦をあえて敢行したなら、いったいどうなるのか。ここではそれを検証したい。

確率論的勝利法においては、使用する道具こそが成否を分ける。これには『内なる声』系と『賽の目』系の2つがある。まず第六感をはじめとした、いわゆる『内なる声』系は捨てる。確率、すなわち偶然による勝利を目指すのなら、「ランダムに選ぶ」という行為自体の自己矛盾を見過ごすわけにはいけない。「選ぶ」という語の文法の中に、一種の恣意性が含まれてしまうのだ。よって、「ランダムに選ぶ」ことは文法的に不可能だ。ここは『賽の目』系をとろう。

この系統にも様々な道具があるが、センター試験で使用可能なのは「鉛筆」と「消しゴム」くらいだろう。鉛筆は転がす際に音が鳴るので周囲の迷惑となり、また試験官に注目される心配がある。これは心理的に大きな負担であり、解答に支障をきたす可能性があるので却下。残る「消しゴム」だが、すべての目が出る確率を均等にするため、やはり立法体にするのがベストだ。カッターナイフなどで正確に削ろう。誤って床に落とすことも考えて、3つほど用意したい。

さっそく実演してみると、大きな問題が立ちはだかった。センター試験には、時に9択問題や10択問題が存在するのだ。痛恨の極みである。やはり確率論的勝利法は不可能な夢だったのだろうか。

よくよく考えてみると、2つサイコロを使えばよいのだ。サイコロの目を記号として見て、その記号の組み合わせで解答を決める。例えば12択問題なら、サイコロAは1~3を○、4~6を×と見なす。サイコロBの出目はそのまま数字として見る。実際の解答は、○1=1、○2=2、…×5=11、×6=12となるわけだ。これなら最大で36択問題まで対応できる。安心だ。選択肢と出目の数が合わない場合は、余分な分をカウントしなければよい。

こうして、確率論的勝利法は完成した。実験として国語の問題を10年分解いてみると、平均点は52点。前途多難である。(書)

精神的勝利法

早速だが、もし万が一あなたが「センター試験でよい結果を出すための精神の在り方」や「精神力の強さを活かしてよい結果を残す方法論」を期待して本文に目を通しているとしたら、即刻他の記事に目を移してほしい。本文の趣旨はそのような下賤な欲求に応えるようなところにはないからだ。

他の記事においては、確かにセンター試験の点数においてよい結果を残すための方法論を解説している。本文の目的はそれらとは全く異なる。本文のタイトルにおける「精神的に」というのは「精神の力をもって」ということを意味するのではなく、「精神面において」ということを意味している。

これから述べる方法論はあなたの点数を決して向上させないだろう。いや、むしろ下げるといってもいい。しかしそんなことが人生において重要だと、私は決して考えていない。人生は移ろうし、社会は変わる。ある時代、ある人生の局面において価値をもったものも、時がたてば全く無価値なものに、場合によっては嘲笑の対象にすらなりうるのだ。

センター試験の点数など、進学先が決まってしまえば誰も気にはしなくなる。学歴だって学生のうちは評価されるかもしれないが、卒業してしまえばめったに評価されることなどないだろう。学歴が高ければその分一般的に幸せな人生が送れるかもしれない。しかしその一般的な幸せの基準だって普遍的なものではない。最終戦争が起き、世界が核の炎に包まれ、暴力が支配する世界になったとき(注)、学歴などなんの役に立つというのか。

最も問題なのは、他人の評価を基準に生きるものは常に悩む、ということである。高い学歴を持つこと、高い年収を得ること、円満な家庭を築くこと、いかに他人から見て幸せな人生を歩んだところで、「この人生は本当に自分が望んだものなのか、他人の要請に従って生きただけではないのか」という問いが付きまとう。

それならば、他人や社会の評価など気にせず、自分が勝ったと思える結果を目指し、また自分が正しいと思えるようにその場その場で振る舞っていくべきではないか。何も考えず試験に猛進するよりも、正しい在り方を考えた上で試験問題を破って食べることの方が、私から見れば精神的には勝っている。(町)

注:ジェネレーションギャップを埋めるために無粋だが一応書いておく。『北斗の拳』の舞台設定である。

《本紙に写真・図表掲載》