〈隣町点描#5〉朽木(滋賀県高島市) 週2便のバスで行く、 近そうで遠い山間の鯖の町
2025.10.01
「朽木学校前」バス停。除雪車の停まった車庫は雪国そのもので、出町柳から路線バスで一本とは思えない景色
本稿は、京都市に隣接する12の市町から、半日程度の散策に適したエリアを1つずつ紹介していく企画だ。5回目の今回は、滋賀県高島市の朽木を訪問する。(汐)
日曜日の朝7時半、少し早起きしてやってきたのは出町柳駅。クリームに朱色のラインを引いた京都バスの行先はたいてい大原かその周辺だが、冬季を除く土休日に1日1便だけ、大原で終点にならずに滋賀県へ抜けるバスがある。こういう運行頻度の低い路線を見つけると、レア感にひかれて乗ってみたくなるのは筆者だけだろうか。今回はこのバスに乗って、終点・朽木を目指すことにする。
航空写真や地形図を見ると分かりやすいが、琵琶湖の西岸から山地をひとつ越えた内陸に、北東から南西へ定規でひいたようにまっすぐ谷筋が伸びている。朽木谷と呼ばれるこの谷筋の北端付近が朽木の町だ。谷筋の南端から京都に向けて延長線を引くと、大原を経て吉田山にぶつかる。直線的な地形は断層によってつくられることが多いが、朽木から吉田山に至るこの地形も、例に漏れず花折断層の活動によってできたものだ。バスはこの断層を縦断するように約45キロの道のりを走っていく。
曇天なのもあってか乗客は少なめ。バスは大原盆地を抜けると峠を越えて滋賀県に入り、山と川の狭間にできた細い谷を北上する。ハイカーがひと組ふた組と降りて行き、最後は私ひとりになって終点に着いた。時刻は9時過ぎ。バス停の向かいには除雪車の車庫があり、雪の多いことが知れる。1時間強の道のりだが、雪のない京都からするとずっと遠くに来たような感じがする。
朽木の町は、道中からすれば平地が広くてだいぶ開けた印象を受ける。江戸時代には一帯を支配する陣屋が置かれたほか、京都と若狭を結ぶ鯖街道の経由地として栄えたという。町の北端に陣屋の跡があるが、井戸や石垣がわずかに残るくらいで面影はほとんどない。鯖街道の方は国道沿いに「鯖寿司」の看板がちらほらあり、日本海側の物資を京に運ぶ役目を細々引き継いでいるらしい。
鯖寿司は昼食に食べることにして、お昼時まではまだ時間があるから、近くの山あいの湧水に向かうことにする。下調べの段階で、朽木周辺の谷あいに湧水がいくつかあるのが気になっていた。そのうちのひとつ「広野の湧水」へは、近くまで市営バスが日に7便走っており、お昼までに往復できそうなのだ。
バスは市役所の朽木支所から出ている。150円均一と破格の運賃ながら、ルート上ならどこでも乗り降りできるようになっていて便利さはタクシーなみだ。乗ると運転手さんに「どちらまで?」と聞かれる。降りる場所を事前に申告するらしい。湧水の名前を出すと場所をご存じで、目の前で降ろしてもらえることになった。
バスは町を背に山道を登り、川沿いのわずかな平地に点在する集落を縫うように進む。茅葺屋根をトタンで覆った古民家が連なり、昔ながらの山村の風情がある。集落と集落の間が山道になっていて、めざす湧水はその途中にひっそりとあった。道の脇の斜面にパイプが差し込んであり、そこから絶えず水が流れ出ている。手で受けて飲むと、氷で割ったような冷たさで美味しい。京都から持参した水筒一杯に水を詰めて、残りの道中はこれを飲みながら行くことにする。
折り返して来たバスで朽木支所に戻る。支所のある国道から少し裏手に入ると、昔の鯖街道だ。旧家は町並みと言えるほどは連続していないが、道端の水路から水音が響き情緒がある。端から端まで歩いても5分ほどの小さな町だが、一角に和風の町並みに似合わない3階建の洋館がある。店の横の筋に向けてショーウィンドウもあって、お洒落な雰囲気だ。
建物の中には地元団体の運営する物産店やレストランが入居している。中に入るとスタッフの方に話しかけられる。通勤途中に湧水の近くを歩く筆者を見かけたらしい。山中を徘徊する不審者として自分が意識されて気恥ずかしい。建物の由緒を聞くと昭和に建てられたもので、元は雑貨や衣料を扱う小さな百貨店だったそうだ。山中の小都会として賑わっていた頃は、町の顔として多くの人が訪れる店だったのだろう。湧水のあった雲洞谷という地域の話題になり、そこの特産品である「とちもち」を購入した。栃の実を混ぜてついた餅で、焼いて食べると独特の渋味がある。きな粉や黒蜜との相性がよさそうだ。
締めくくりに、鯖寿司を食べて帰ることにする。国道沿いにあるお店で焼鯖寿司を1本購入。持ち帰りのみとのことで、バス停の小屋で座って食べることにする。鯖寿司は元々、若狭から京への移動の間、保存のために酢漬けにした鯖で作った押し寿司だが、現代では保存や輸送が便利になり、焼き鯖でも寿司を作れるようになったそうだ。割り箸の長さほどある大きな鯖寿司は、焼き鯖にのった脂を上品な味の酢飯が受け止めていて大変美味しい。贅沢な気分になったところでやってきたバスに乗り、朽木を後にする。京都方面のバスの最終は朝9時台で、とうに過ぎていたので、帰りは一旦琵琶湖のある安曇川に出て、そこからJRで京都まで戻った。
京大周辺からのアクセスは、出町柳から直通バスのある休日が良好だ。大原や美山のように観光地化されているわけではないが、山あいの落ち着いた風情を楽しむにはちょうど良い。朽木では、湧水に行くのに利用した路線のほかにも市営バスが周辺地域を網羅している。車を運転しない者にとっては中々訪れにくい山間部へアクセスしやすい点も魅力的だ。散策に絶好の気温になってきたこの季節、山歩きや町中の散策に訪れてみてはいかがだろうか。
市町村情報
滋賀県高島市(朽木)歴史:
朽木荘の名がみえる(11世紀)、佐々木氏一族が高島郡を支配。朽木氏が朽木谷を支配(鎌倉時代)、市場地区に商家17軒。問丸・馬借など運送業が成立(16世紀)、旗本は大名以下の領主で本来は江戸に常駐して支配することになるが、朽木氏は現地支配が認められた旗本「交代寄合」として支配継続(江戸時代)、高島郡朽木村が成立(1889年)、「平成の大合併」で高島市に(2005年)。
歩いたルート:
朽木学校前(バス)→朽木城跡→広野の湧水→丸八百貨店→鯖寿司の店
滞在時間:約4時間


