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【特集】博士支援SPRING 留学生を襲う逆風 年二百万超カット、背景に何が

2025.08.01

文科省が7月30日に大筋承認に至った、「次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING])」の生活費支給を日本人に限定するという方針変更。削減される支援額はひとりあたり最大240万以上にのぼり、約3千人の留学生が学ぶ京大も他人事ではない。40万人の留学生受け入れを目指す政府が、なぜ支援削減の決定に至ったのか。博士課程の仕組みや、支援制度設立の背景から辿った。(凡)

目次

「博士後期課程」への「支援」とは?
文科省「対象に応じた支援へ」
議員ら「安全保障に懸念」
SPRINGの方針変更、どう思う?
「博士」「留学」「日本」の現在 比較教育学 南部広孝先生に聞く


「博士後期課程」への「支援」とは?


博士後期課程とは、「大学院」の課程のひとつだ。大学院は学部を卒業した学生が専門性の高い教育を受ける機関で、一般に修士課程2年と博士課程3年で成る。制度上は修士課程が博士前期課程、博士課程が博士後期課程という名称だ。日本では原則として博士課程の学生に給料が支払われることはなく、授業料を払う必要もあるため、経済支援が無ければ生活が成り立たない。博士学生への支援制度として代表的なものが、表に示した「DC」と「SPRING」である。

日本学術振興会(JSPS)が実施するDCは1985年設立で、優れた研究能力を有すると認められる博士在学者を特別研究員として採用し、生活費や研究費を支援する制度である。一方、SPRINGが始まったのは2021年。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が1大学に1つまで支援プロジェクトを募集し、ひとりあたり最大290万円を支援するというもの。プロジェクトは各大学が運営し、とりまとめ役の事業統括の人件費等は大学側の負担となる。現在は90大学が採択を受けており、「京大機構SPRING」もそのひとつだ。なお、申請者は同年度のDCにも応募する必要があり、DCに採用された学生はSPRINGの受給対象外となる。

両者とも対象分野や国籍、所得の制限はない。DC1及び京大機構SPRINGの「進学前採用枠」は、支援開始時点で博士課程1年次の学生を対象とするため、修士課程の最終学年時に申請手続きを行う必要がある。申請には研究計画書や、指導教員の評価書の提出が必要だ。

ただし、SPRINGは大学内での選抜であるのに対し、DCには全国の学生が応募する。そのため競争率も高く、25年度の申請者は4959名(男性3653名、女性1306名)、採用者は708名(男性510名、女性198名)で、採用率は14・3%とその門は狭い。一方採択大学内におけるSPRINGの採用率は、文科省によると24年時点で約60%にのぼるという。なお、京大の学生で25年度4月から支援を受けている人数は、DCが95名、京大機構SPRINGが387名で、博士学生にとってのSPRINGの重要性がうかがえる。


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文科省「対象に応じた支援へ」


しかし文科省は6月26日、27年度以降はSPRINGの「研究奨励費」支給を日本人に限定するとした方針を発表。7月30日の人材委員会で大筋が承認された。当委員会の資料で文科省は、今後のSPRINGの運用方針として▼日本人学生の進学を支援するという趣旨を明確化すること▼留学生や社会人学生など対象に応じて「戦略的に最適な支援を行う」ことを挙げた。

各紙が変更の契機として指摘するのが、有村治子・参院議員(自民)の発言だ。有村氏は3月24日の外交防衛委員会において、2024年度のSPRINGの受給者1万569人のうち、留学生が4125人を占め、そのうち中国籍の学生が2904人にのぼると指摘。「博士号支援は、我が国の産業競争力、稼ぐ力、科学技術力回復につながるべき投資でなければならない」と主張し、「日本の学生を支援する原則を明確に打ち出すべき」とした。

方針変更の背景について、あべ俊子文部科学大臣は7月1日の会見で、▼支援を受ける留学生の多くが初めから博士課程進学を目的に来日していること▼私費留学生の割合が高く、経済的に余裕があると想定できることを挙げた。9日の人材委員会で、「今支援を受けている学生がいきなり打ち切られる設計にするべきではない」といった反対意見が出ていたが、方針変更が覆ることはなかった。

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議員ら「安全保障に懸念」


ただし、留意するべきは有村氏の発言の文脈だ。有村氏は中国が高額療養費の利用など「合法的な手段」で日本を「構造的に侵食している」と主張。中国人留学生の増加をそうした「侵食」のひとつと位置づけ、政府として「静かなる侵食に対して日本国の国民の国益をどう守っていくかということを担保していただきたい」と述べた。

中国人留学生への言及としては、有村氏の発言に先立ち、神谷宗幣・参院議員(参政)が、3月12日の参院本会議に際し質問主意書を提出し、政府に対して「中国人留学生の増加が安全保障上について与えるリスクをどのように評価しているか」と質問した。そのほか、西田薫・衆院議員(維新)は4月2日の文部科学委員会で、SPRINGの趣旨について「我が国の優秀な学生を支援するというなら、支援対象は日本国籍であるべきだ」と述べ、SPRINGを受給する中国人留学生の割合に言及した。これらの発言が文科省の決定に影響を与えた可能性は否定できない。

また、財務省は今年6月に公表した予算執行調査資料のなかで、SPRINGの支援対象となっている留学生のうち、8割が中国国籍で、アジアのみで9割を超えると指摘。各大学が選抜の際に「我が国の学生とのバランスに留意し、経済安全保障や国際情勢を踏まえて多様な国籍に留学生を確保するべき」としたうえで、「選抜を各大学任せにせず、文科省が基準を示すべき」だと明記した。文科省が示した方針には、財務省からのプレッシャーも影響したことがうかがえる。

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SPRINGの方針変更、どう思う?


文学研究科 修士課程一回生 中国出身


中国古代史を研究しています。東洋史研究のレベルの高さから、京大を選び留学しました。

生活費のカットは、昨今の排外的な情勢をみるに予測の範囲内ですが、やっぱりがっかりです。「ないよりまし」程度にしかならず、一応応募しますが期待できません。民間の奨学金は私立大学の学生よりも獲得しづらい。家からの支援は修士課程まで。生活費を確保できなければ、アルバイトでまかなうか進学を諦めるしかありません。夏休みで帰省して両親に相談します。

中国政府は、特に理系の分野に十分な資金を与えています。支給額を減らせば、日本に来る学生が減るかもしれません。日本は中国に比べて文系は優遇されていないし、学者の社会的地位そのものが低い印象も受けます。私が学ぶ東洋史も学生が減っていますが、その不景気にさらに拍車をかけることになる気がします。

津守 陽 人間・環境学研究科准教授 (中国近現代文学)


強い反感を覚えます。日本人/外国人の間に線引きをして、不確かな情報に基づいて対立を煽る議員の発言に対して、文科省がこれほど速く対応したことに信じられない思いです。

博士課程は研究者として独り立ちしていく期間にあたり、できるだけ多くの時間を論文執筆や知識の吸収に割く必要があります。共に研究水準を高めてくれるはずの留学生に対して、日本政府が歓迎しないというメッセージを出したことになり、彼らのモチベーションを大きく削ることになるでしょう。

日本人の大学院生減少の原因は支援不足よりむしろ、日本の社会全体における高等教育・学術への冷淡さにあります。他国のように大学院を有給の職とみなす、または修士号・博士号取得者が企業などで一定の評価を受ける仕組みが必要です。施行から間もないこの時期に、国籍で待遇を変える差別的な方針変更を行ったことは、これまでの蓄積に逆行する愚行です。もっと現場の声に耳を傾けて見直してほしいと思います。

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「博士」「留学」「日本」の現在 比較教育学 南部広孝先生に聞く


排外的な風潮が強まるなかでなされたSPRINGの方針変更は、各議員や文科省が主張する「日本」の研究力向上につながるのか。留学先として、学術研究の場としての、日本の今の立ち位置とは。東アジアの高等教育を研究する教育学研究科・南部広孝教授にお話を伺った。

――中国の学生が日本を留学先に選ぶ理由は。

今、中国では修士課程に進学する学生が増えています。日本の学部学生が200万人台であるのに対して、中国の修士課程の学生は300万人を超えている。就職状況があまり良くないので、他の学生との差別化を図るために、より高い学歴を求める学生が多いわけです。一方博士課程のキャパシティは、人口に比してそこまで大きくありません。しかも修士課程に入る際の全国統一試験の難易度が高いので、国内の競争の厳しさを鑑みて、修士課程や学部の時点で留学するという選択肢がありえます。

日本は地理的に近く、往来しやすいのが魅力なのでしょう。学位が比較的取りやすいというイメージも持たれている。留学先として最も人気のあるアメリカと比べて、留学生のなかでの中国人の割合が高いのも、理由のひとつだと考えられます。

――より高い学位がより良い就職につながるという感覚は、日本ではなじみがない気がします。

むしろ世界的には、学歴が高いほど専門性が高いとみなされて、ある程度の価値が認められるのが一般的です。

日本の大企業は一括採用制をとってきました。入社後にキャリアを積むことを前提とした雇用体制では、入る前に専門性を磨いても評価されにくい。一方で大学側も、学生が専門性を活かす仕事につくことを想定していないので、ある意味で「何を教えてもいい」世界になってしまっている。中教審はこうした現状をふまえ、「大学院教育の実質化」、つまり大学院が何を教えるところなのかをきちっと定めて、社会に発信するべきだと主張していますが、実態はあまり変わっていません。特に台湾や韓国と比べたとき、日本は人口に対する修士課程の学生比率が低いままです。

――SPRING受給者の4割が留学生だと指摘されています。

留学生の増加に加え、日本人学生で博士後期課程に進学する人が減っていることも要因です。文系は個々人で研究できますが、自然科学系の研究はマンパワーが必要な場合も多く、自然と留学生の比率が高くなります。日本人の博士課程の学生のなかには、企業との共同研究で資金を確保している人もいるでしょう。だとすれば、経済支援が必要な学生のなかで、留学生の比率が大きくなるのも当然です。政府は政策を動かす前に、そうした状況を確認するべきだと思います。

――財務省も、SPRING受給者の留学生比率が高いと指摘しています。

結局、予算配分の問題だと思います。留学生支援を減らして日本人の学生にまわす、あるいは大学への予算にあてると言うのであれば、まだ理屈としては通るかもしれません。でもおそらくそうはならない。教育政策のなかでのやりくりではなく、全く別の政策との取り合いになっているんでしょう。予算配分は財務省の管轄なので、文科省のなかでどうにかできる話ではなくなっているのかもしれません。

――ほかにも、文科省は決定の根拠として、私費留学生の割合が高く経済的に余裕があると想定できることを挙げています。

それはSPRINGの趣旨とずれた議論です。例えば授業料免除制度は、経済的に困難な学生を対象とした制度で、所得が基準のひとつとされています。一方SPRINGは優秀な学生が研究に専念できるようにするための制度で、所得制限も設けていない。学生の経済状況を根拠にして議論するのは間違っていると思います。

――一方で、政府は33年までに留学生40万人受け入れを目指しています。今回の方針変更と矛盾するのでは。

政府は必ずしも「矛盾」だと考えていないかもしれません。留学生を増やす手立てとして、大学院教育を全て英語で行うことが議論されています。留学生が魅力を感じて、経済支援をせずともたくさん来てくれるのではという期待がある。

私自身は賛成しません。全ての授業を英語にすれば、よりいっそう国際競争に巻き込まれてしまいます。欧米やオーストラリアの大学に対抗できる力があるでしょうか。京大なら、例えばiPS細胞の分野であれば、知名度も高いため学生を集めることも可能でしょうが、全ての分野でできるとは思えません。

また、「留学生」のなかでの博士課程の割合はそこまで高くありません。今回の方針変更が40万人という目標の大きな障壁にはならないと思います。ただ、留学生への支援削減を主張している人は、留学生の受け入れ拡大自体に反対なのかもしれないですね。

――そもそも、留学生を受け入れる意義とは何なのでしょうか。

本来、大学には国境がない。学問のための共同体であり、そこに参加できるだけの能力や条件が備わっていれば、誰でも入っていいはずです。

しかし近代以降、「国家のための大学」という概念が生まれます。大学は「国民」を育成する教育の場で、かつ国家の発展に寄与する研究の場であることが求められる。だからこそ、学習者は「国民」から選ばれるのが当然とされ、研究成果が国にとって有意義かが問われます。「日本」の研究力低下が問題視されるのはこのためです。

アルトバックという比較教育学者は、留学生の効用について、政治/経済/研究の3つの観点から指摘しています。研究の面でいえば、留学生の存在が視点の多様性をもたらすという期待がある。しかし、いわゆる「日本人」がどれほど共通の価値観を持っているのでしょうか。逆に、日本の社会に馴染もうとやって来る留学生が、どれぐらい「日本人」と違うのでしょうか。日本人/外国人という二項対立で考える姿勢こそ、思考の限界だという気がします。

――留学生=多様性ではない、と。

そもそも、日本のために留学生に来てもらっているわけではありません。

本当に多様性を求めるなら、その多様性を活かせる教育の場をどう作るかを、真剣に考えなければなりません。例えば、日本語を母語とする人にはなんとなく伝わってしまう言葉も、留学生には伝わらない場合がある。講義ならまだしも、学生も含めて議論するゼミなどでは、そうした齟齬が生まれうる場だと共有することが必要でしょう。逆に、ある言葉に対する異なる理解が、新しい解釈として研究上で意味を持つかもしれない。教育の場には、それを取り込むことができる柔軟性が求められます。

京大の立場なら、国のレベルを超えた「世界の中の大学」という視点が必要だと思います。例えば、国際卓越研究大学の制度がありますね。良し悪しは置いておいて、採択されればSPRINGの対象からは外れ、同程度の支援制度を独自に設けるはずです。このときこそ、京大の見識が問われるでしょう。SPRING同様、留学生に対して制限を設けるなら、その程度の大学ということです。世界に貢献する大学を目指すのであれば、国籍で学生を線引きするという発想自体、理念と相反するように思えますね。

――ありがとうございました。




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