企画

寄り道帰省のすゝめ 瀬戸内編

2025.07.16

遠い地域から進学してきた京大生同志に問いたい。帰省の際、あなたはどのルートを選んでいるだろうか?おそらく多くの人が「新幹線でまっすぐ帰る」と答えるだろう。私も最初の2年間はそうだった。しかし、いつからだろうか、いつも通りのルートに飽き、車窓の景色も味気なく感じるようになった。そんな中で私が3回生から実践し始めたのが、観光と融合させた帰省である。遠回りに見えて、新たな発見もある「寄り道帰省」。今までに私の地元佐賀県に向けて「瀬戸内経由」「山陰経由」のルートで帰省したが、今回は前者を紹介したい。(輝)


帰省の流れ
筆者の地元・佐賀県鳥栖市に向けて、瀬戸内の竹原、尾道、今治、別府の4都市を経由して3泊4日で帰省。旅程と利用した交通手段は以下の通り。

目次

 就活との並行旅
1日目 竹原
 お好み焼き屋にて
2日目 尾道
 観光の弊害
2~3日目 今治
4日目 別府
 窓外の光景
 故郷へラストスパート
寄り道帰省を終えて
コラム① 荷物問題を解決する
コラム② 途中下車制度を使う


就活との並行旅


時は3回生の3月。就職活動の真っただ中だった。 エントリーシートの作成に面接の準備――慣れないことに根を詰めて取り組んでいたが、ただ頑張り続けるだけではどうしても辛いものがある。心の底から息抜きを求めていた。そんな中、活力を取り戻せるのは大好きな旅行しかないと思い立ち、「寄り道帰省」を計画した。就職活動と観光を同時にこなした、少し変わった旅の始まりである。

1日目 竹原


最初の目的地は広島県竹原市。広島県の中部にある人口約2万人ののどかな町だ。平安時代には下鴨神社の荘園となるなど、京都とも縁がある。古くから瀬戸内海の交通の要衝であり、江戸期に製塩でも栄えた。それから製塩事業の大型化や廻船問屋や酒造の多角経営に成功した商人が大規模な住宅を構えた。これが歴史的な町並みとして残っている。1982年には国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、竹原の名所となっている。京都からだと福山駅まで新幹線で行き、三原駅で呉線に乗り継ぐと行きやすい。呉線は乗客の数も控えめで、車窓の隅から隅まで広がるオーシャンビューを独り占めできた。途中で通り雨が降り出したが、竹原に着く頃には晴れ上がった。

駅から保存地区へ向かう途中の市街地は、かつて塩田だった場所だ。その後、鉄道の開通を契機に新しい市街地が形成された。実際に歩いてみると、どこか地元を思い出すような安心感のある、ありふれた地方都市の風景が広がっている。だが、保存地区に足を踏み入れた瞬間、時間が巻き戻ったように雰囲気はガラッと変わる。ここでロケを行った大林宣彦監督の映画「時をかける少女」をきっかけに竹原を知ったが、目の前に広がる景色は、映画に登場したものとほとんど変わらない。黒い板張りの外壁や寺社造りに見られる本瓦葺きの建物がずらりと並び、重厚な印象を受ける。そして、町並み全体に統一感があり、精巧に作られたセットの中を歩いているかのようだった。ロケ地として選ばれるのも納得できる。竹原は「安芸の小京都」とも呼ばれているそうだが、この町並みは本家の京都よりも静かに楽しめるのも魅力のひとつだ。何より実際に人々が生活を営んでいる「生きた町」であることが強く心を惹きつける。

たけはら町並み保存地区



お好み焼き屋にて


町並み散策の後には、就職活動のオンライン面談が控えていた。いざ面談が始まると準備不足が祟って話がかみ合わず、いたたまれない時間が流れた。その企業とは7回面談をしており、疲弊していた上に、これまでの面談の雰囲気に油断して、行きの新幹線で志望動機をざっと見返しただけだった。基本的な質問にも応えられず、相手の呆れたような苦笑いが今でも記憶にこびりついている。後日、知人にそのことを話すと「就活中に旅行に行くなんて凄いね」などと嫌味っぽく言われ、反感こそ覚えたが、あまりにも真っ当な言葉に言い返すことができなかった。

その後、旅の疲れも重なって、終わったと同時にベッドに飛び込んでそのまま寝てしまった。目を覚ますと夜の10時。辺りの食堂はほとんど閉まっていたが、ネットで調べると、ホテルから少し歩いたところにお好み焼き屋があるらしい。写真には、どこか年季の入った佇まいが写っていた。一見客が入っていいものか、少し気後れしたが、他に選択肢もない。それから店の前に立ったものの、しばらくもじもじしてしまった。意を決して扉を開ける。

結局、不安は杞憂に終わり、女将さんがあたたかく迎えてくれた。どうやら1人でお店を切り盛りしているようだ。メニューには、将棋の駒にちなんだ料理名が並んでいる。私は「金将」を注文した。肉・卵・うどんが入ったスタンダードな一品。目の前の鉄板で焼いてもらった。完成したお好み焼きをヘラで切り分け、箸で食べようとしたそのとき、待ったが入った。「ヘラで口まで運ぶのが広島流の食べ方」とのこと。確かにヘラの方が崩れにくいし、皿に移さないぶん熱々のまま食べられる。

黙々と食べていると、女将さんと先客の会話が耳に入ってきた。話題はちょうど発生していた今治市の山火事について。出発前から連日、今治の火災が全国ニュースで大々的に取り上げられていた。ここ竹原は、瀬戸内海を挟んで今治の真向かいにある。「山から海を見下ろせば、火事の様子が見えるかも」と女将さんが話していたぐらいには距離的にも近い。かつてはフェリーでも結ばれていた、縁のある街の大惨事に女将さんもどこか心配そうだった。明日はまさにその今治に向かう予定だ。交通状況をまったく調べていなかった。というのも、疲労が蓄積して、スマートフォンにフリック入力する気力がなく、都合の悪い事実を自分から調べる勇気も出なかった。とにかく大きな支障はないことを信じる。

食事を終え、会計を済ませて店を出ようとしたとき、女将さんに呼び止められた。「今日は来てくれてありがとう」と冷えた小分けのアイスを5個ほど手渡してくれた。慣れないことが重なって、少し心がささくれていたせいもあり、そのひと言と心遣いが妙に胸にしみた。女将さんにとってはただの気まぐれだったのかもしれない。しかし、そういうさりげない優しさが旅先では心に残る。そんなひとり旅の醍醐味をしみじみとかみしめられた。

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2日目 尾道


時間に対するルーズさは旅行中でも変わらない。準備をしようと思いながらも、体が動き出したのは出発予定の15分前。案の定、その時間を過ぎても部屋にはまだ荷物が散らばっていた。だが呉線は1時間に1本しかないローカル線。一度逃せば、予定は大きく狂ってしまう。キャリーケースに服や資料をぐしゃぐしゃと詰め込み、慌ててチェックアウト。なんとか電車に間に合った。そういえばキャリーケースがなぜこんなにも傷だらけなのか、今まで疑問に思っていたが、こうした時間との戦いの中で色々な場所に擦られたからかもしれない。電車の中でエントリーシートの素案を書き上げ、「今日中に添削してほしい」とLINEで友人に放り投げた。実はこうした無理なお願いを今までに何度も重ねてきた。もう少し早く頼むべきなのは重々承知しているが、時間もなく背に腹は代えられない。友人の怒りの沸点を試すようなスリルを就活で不本意に味わった。

これから向かうのは尾道市。尾道は中世には天然の良港として年貢米の積出拠点となり、江戸時代には北前船の寄港地として栄えた古くからの港町である。明治以降は近代化が進み、造船業がその象徴的な存在となった。2020年時点でも造船業・舶用工業は、市の工業出荷額の2割弱を占め、尾道経済を支えている。そんな長い歴史を物語るように、中世以来の街並みと近代化の痕跡が共存する風景は、尾道ならではの魅力だ。こうした歴史的背景もあり、尾道は日本遺産に登録されている。

尾道を訪れたら、やはり千光寺参りは欠かせない。千光寺山頂まではロープウェイで向かった。千光寺は806年に弘法大師によって開かれたと伝わる古刹で、朱色の本堂が有名だ。晴れた日には鐘楼が空や海を背景に鮮やかに映える。標高140㍍の中腹に位置する境内からは、尾道市街をはじめ瀬戸内の島々を遠くまで見渡せ、その絶景は「天下無双」(尾道市街図誌)とも称えられる。平地から斜面へと隙間なく建物が立ち並ぶ旧市街や、対岸の造船所など、長い歴史を一望できるのも魅力だ。

千光寺山中腹からの景色



駅から延びる商店街を歩くと、懐古趣味な人間にはたまらない光景が広がる。特に目を引くのが、尾道商工会議所記念館だ。1階の威厳のある石造りの壁とシックな色合いの扉が印象的である。尾道商工会議所は1892年に県内2番目、全国でも30番目という早さで設立が認可され、設立から30周年を記念して現在の場所に移転し、尾道の商工業の発展に寄与してきた。1971年に会議所は別の場所へ移転したが、2006年にこの建物が記念館として復活した。現在、1階は観光案内所や資料展示スペースとなっており、2階では当時の会議場の雰囲気を楽しめる。

なお、建物だけでなく街のあちこちに、かつての時代の面影が残っている。天井から吊るされた装飾的な照明、看板の字体、昔の会社ロゴなど、街全体に散りばめられたレトロな要素が景観に自然な一体感を与え、時間旅行をしているような感覚になる。

レトロに溢れる尾道本通り商店街



観光の弊害


尾道はこうした寺社巡り、街並み拝観など楽しみ方は様々である。一方で、映画の街としての側面もあり、「尾道三部作」をはじめとする映像作品のロケ地として楽しむこともできる。それだけに、観光公害のような問題も早くから起きていた。映画「時をかける少女」に出てきた「タイル小路」では、訪問者の騒音などを理由に2003年にタイルが撤去された。観光客と住民の間で摩擦が生じた構図は今の京都にどこか通ずるものを感じる。観光地であると同時に、人々が平穏に暮らす居住地でもあるという性質を理解した上で、観光をする必要があるだろう。

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2~3日目 今治


尾道から高速バスに乗り、約3時間ほどで今治に到着した。早速観光したかったがもう夕方だ。さらに、先ほど履歴書の添削を依頼した友人から、「ごめん、さすがに厳しい」と返信が来た。ひとまず怒ってはなさそうで安心したが、結局自分だけで添削をせざるを得ず、ホテルで缶詰め状態で取り掛かった。しかし、「ああでもない、こうでもない」と悩んでいる間に締め切り時間が近づき、書きたいことがまとまらないまま提出した。時間はもう深夜12時。夕飯を済まそうにも、近くの店は開いていなかった。仕方なくコンビニで食料を調達しようと外に出ると、乾いた強風が吹きつけていた。まさに山火事が発生している最中の今治市。この日は最高気温が25・7度とこの時期にしては高く、最悪の気象条件が揃い、連日報道されている火災の収束の厳しさを肌身で感じた。

翌日、今治の旧城下町を歩いた。都市化が進む一方で、シンボル的な存在の今治城や旧市街の外縁に集まって建ち並ぶ寺社、「塩屋町」などかつての町人地に由来する地名に城下町の面影が感じられる。そんな当時の雰囲気に思いを馳せながら散策を続けた。好天に誘われて海辺へ出ると、巨大なパネルが並び、今治港の歴史が紹介されていた。その歴史は、藤堂高虎が今治城を築く際、北側に舟入船頭町を整備したことに始まる。ただし、当初は小舟が行き来する程度の小さな港にすぎず、本格的な発展は明治期を待つこととなった。その後、商工業の発展に伴い港湾の整備が進み、1921年には重要港湾に指定された。翌年には四国で初めて海外貿易が認められるなど、今治港の存在感は一層高まっていった。そして、カーフェリーの時代の到来やさらに船舶の大型化やコンテナ化など港湾を取り巻く環境の変化にあわせ、港も姿を変えていく。しかし、「しまなみ海道」の開通が今治港に大きな打撃を与えた。開通直前の平成10年度には乗降人員が約179万人、フェリーの移出入台数が約81万台を数えたが、令和4年度にはそれぞれ約8万人、約1万台程度にまで落ち込んでいる(国土交通省「港湾統計」)。

海に浮かぶその様は軍艦のようだ



海辺から商店街へ向かうと、雰囲気は一変し、どこか物寂しさが漂っていた。頭上高く架かるアーケードから往時の活気が窺え、人通りもわずかな街に思わず自分を投影してしまう。京都に移住して以来、活気のある商店街ばかり目にしてきたため、全国各地の中心市街地の空洞化の深刻さを改めて認識した。しまなみ海道の開通による交通体系の変化、地域産業の停滞、消費の郊外化など原因は様々である。駅とフェリーターミナルを結ぶ動線上に位置するこの商店街にとって、フェリー利用客の減少は大きな痛手だったに違いない。こうした中心市街地の衰退に対し、市民や関係機関との協議が行われ、「今治市中心市街地グランドデザイン」が今年策定された。商店街を子どもの遊び場など屋根付きの「居場所」として活用したり、新規店舗が実験的に活用したりできる場に整備することが提案されている。目の前の光景に継続的な人出を喚起する難しさが表れているが、改めて来た際にどんな商店街の姿が見られるか楽しみにしたい。

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4日目 別府


今治から特急2本とフェリーを乗り継ぐこと約6時間。別府のフェリーターミナルに到着した。普段の列車での帰省と比べると、フェリーでちょっとした船旅気分を味わえて楽しかった。到着したのは20時。夕食や入浴を済ませる頃には日付が変わりそうだった。早く眠りにつきたかったが、今までの旅行で、観光地の日中の姿とは違ったそれを見る楽しみを知ってしまっていた。そのまま好奇心に駆られ、眠い目をこすりながら、繁華街へと繰り出した。

さすがに時間も遅く、大通り沿いの飲み屋街も眠りにつき始める。駅から海岸へ延びるこの通りは、昼間は歩行者がそこそこ見られるが、この時間はわずかに居酒屋の周りに集まる大人たちがいるだけだ。脇に延びる商店街を覗き込むと、暗がりの中にポツンとラーメンの屋台が立っているのが見えた。この秘密基地のような雰囲気が、私の感性をくすぐる。ただ、その暖簾をくぐるには、胃袋の容量とほんの少しの勇気が足りなかった。

そのまま商店街の奥へと歩みを進めると、歓楽街に思いがけずたどり着く。温泉地の中には歓楽街を併せ持つ場所があると知っていたが、別府がその1つだとは思わなかった。その規模を縮小させた温泉地もある中で、泉都別府のディープタウンは今も健在のようだ。小さい十字路にはスーツを着た人が囲むように立ち、タクシーや黒い車が行き交う光景には異様さが漂う。ただ、この空気の中で異様なのは、高校の部活中のような格好でカメラを抱える私の方だ。場違いなことは自覚していた。だが、街歩き愛好家としてこの街のもう1つの顔を見届けたいという思いが勝り、気まずさを振り切って歩き続ける。しかし、怪しまれた時のことを考えると、次第に不安が募り出し、結局足早に大通りの方へと引き返した。

大通りに戻ると、酔っ払いの明るい声が、街にこだまするのが再び聞こえた。普段はやかましく思える音が、その時だけは窮地に偶然友人に出くわしたかのような、そんな安心感を与えてくれた。

宇和島運輸フェリー



別府の夜の繁華街



窓外の光景


別府にはこれまで何度も足を運んできた。九州の定番観光地として、もはやおなじみの場所だ。だからこそ、正直なところ、今回はもう特別にやることもなかった。別府に来るたびに「地獄」を巡ったし、他にコアな観光スポットを知っているわけでもない。車で少し遠くの観光地に出かけるという選択肢もあったが、運転にはあまり自信がない。結局、趣味の百貨店巡りをすることにした。地域百貨店ではあるが、郊外型モールでよく見るテナントの存在感が大きい。「中心市街地の商業」を旅行の1つの軸として観察してきたが、市場が縮小する中で、百貨店のショッピングセンター化は避けられない流れなのだろう。

館内の窓際のとあるカフェチェーン店に腰を下ろし、明日の面接の準備をした。先日の二の舞だけは避けたかった。「ジブンシ」とか「ジコブンセキ」とか、就活の場面でしか聞いたことがない言葉に抵抗を感じつつも、せずには面接を乗り越えられない。受け入れるほかなく、自己分析を始めた。

気分転換がてらに窓の外を眺めたが、海沿いの建物と忙しなく走り抜ける車に視界をさえぎられ、別府湾が見えそうで見えなかった。代わりに目に入ってきたのは、卒業旅行で、キャリーケースを引きながら、少し背伸びした服装の学生たちがバスを待つ様子。3月らしい光景で、初々しさがガラス越しにも伝わってくる。同時に、自分たちの高校の卒業旅行と重なった。あのときは入学に向けた準備を投げ出して、友人2人と別府を訪ねた。「自分たちだけの旅行」という少し大人びた体験を心ゆくまで楽しんだ至高の思い出だ。3年前のこととは思えないほど鮮明に覚えており、受験を終えたばかりの慌ただしい時期になんとか揃えた服を「中学生みたいだ」とからかわれた、余計な記憶まで蘇ってきた。当時はなぜか気にしていなかったが、今更悔しさが込み上げてくる。ふと「もう大学卒業のほうが近いのか」と思い至り、時の流れをしみじみと感じた。

午後は、結局また「地獄めぐり」に向かう。相変わらず外国人観光客も多く、改めて九州は〝西の玄関口〟なのだと感じる。訪れたのは「鬼山ワニ地獄」。温泉熱を利用して、熱帯に生息するワニを飼育している施設だ。建物内では、ワニの生態について学ぶことができる。柵には注意書きがあるにもかかわらず、興味本位で指を近づけてワニを煽るような観光客の姿を見かけた。だが、ワニはどこか達観したように浅はかな挑発には乗らない。

話は変わるが「血の池地獄」「海地獄」などの7か所から成る「地獄」の存在に、別府温泉の泉質の多様性を実感する。酸性泉、炭酸泉、硫黄泉など、別府市内では10種類中7種類もの泉質が確認されているという。日本一の温泉街として知られる別府の魅力は、単に湯量の多さだけではない。その「個性の豊かさ」も強みだと改めて思い知らされた。海岸沿いのホテルにしか泊まったことがないにもかかわらず、「何回も来たから」で満足してしまっていた。次こそは、場所ごとに泉質の違いをじっくりと味わってみたい。

故郷へラストスパート


帰りの列車の発車時刻が近づき、別府駅へ戻った。乗るのは特急ソニックだ。大分と福岡の間、およそ198㌔を表定速度約98㌔で駆け抜ける、九州が誇る激走特急である。在来線ではサンダーバードに次ぐ国内2位の速さだ。今回は早期割引を使い、別府から博多まで、6910円のところを2950円で乗車することができた。高速バス王国の九州において、強い対抗意識を感じる価格設定である。

しばらくすると、ソニックがホームにゆっくりと入線してきた。鮮やかな青色と流線型のフォルムがひときわ目を引く。九州に住んでいた頃は、特急には乗る機会が少なく、いつもは箱のような列車に乗っていただけに、特急への憧れはいまも残っている。だから、この歳になっても特急に乗るたび胸が高鳴る。車内へ入ると、フローリングの床や、旅客機にあるような蓋つきの荷物棚など、どこかレトロな近未来観を感じさせる雰囲気が漂い、わくわくさせられる。いつも乗る新幹線は見慣れるにつれ無機質さを感じてしまうが、ソニックには子どもの頃抱いていた「特急の特別感」を思い出させる魅力がある。車窓の風景を楽しんでいると、小倉駅に到着。乗客は一斉に立ち上がり、座席を回転させる。実は小倉駅ではホームに入線した後に進行方向が逆になるスイッチバックが行われる。知らずに慌てふためく人がいる中で、そのことを知っている私はしたり顔で座席を回転させた。ここから博多駅まではあっという間だった。その後、箱のような電車に乗り換えてやっと鳥栖駅に辿り着いた。3泊4日約900㌔に及ぶ大帰省がこれにて終了した。

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寄り道帰省を終えて


この旅を通じて、寄り道帰省のよさを改めて実感した次第だ。堅いことを考えれば、普段は素通りする地域の魅力の再発見、観光消費を通じた地域への貢献などが挙げられるだろう。ただ、自分にとっての「ゴールデンルート」を開拓できる楽しみがやはり大きい。紹介したルートは「懐古趣味」を軸に経由地を選んだ。都会らしさや自然、歴史など自分でコンセプトを決めて、多くの自治体から宝探しのように滞在地を選定する。マンネリ化しがちな帰省にそんな遊びが生まれて面白い。でも、何より心に残ったのは、旅行中の「どこにも属さない、宙に浮いたような感覚」だ。京都という現実の地を離れたとしても、急いで帰省してしまえば、気のいい家族や友人に会えるよさはあるが、また別の現実が待っている。特に、就活中は同級生の動向にはいつになく神経質になっていた。ただ、その間の道中で「どこにでもいる成人男性A」として埋没しながら、好きなものを自由に追求する、至福の時間を過ごせた。この寄り道の楽しさを、旅行という大きなスケールで味わえるのが、寄り道帰省の一番の魅力だと思っている。本当は早く帰った方が家族も安心するのだろう。「そんな旅をするぐらいなら、早く帰って来てほしい」と言いたげな家族の表情を見ると、なんだか悪い気もしてしまう。でも、その思いに今は気づかないふりをして、大学生のうちはこういう旅を続けていきたい。

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コラム① 荷物問題を解決する


帰省と旅行を同時に兼ねると問題となるのは荷物だろう。特に、キャリーケースを引いて少し静かな場所に入ると、アスファルトの上を転がるキャスターの音が通行人の視線を集め、恥ずかしい思いをするような真似は避けたい。そんな時は、宅配サービスを利用し、実家に直接送り付けるという方法がある。京都駅八条口には宅配サービスカウンターがあり、出発前に利用を検討されたい。

なお、料金面が気になる場合は、最初に思いつく案はコインロッカーだろう。キャリーケースの場合、大きめのロッカーに真っ先に入れたくなるが、サイズによっては横向きに入れるなどの工夫で小さめのロッカーに入れきることもできるので、無理は禁物だが諦めずに頑張りたい。ただ、ターミナル駅では空いたロッカーが見つからず、ロッカーを求めて駅構内の散策に時間を費やした人もいるだろう。その時はウェブサイトの「ロッカーコンシェルジュ」を使うことで、空き状況を一目で確認できる。

最後に、当日宿泊するホテルに先に向かい、チェックイン前に預かってもらうのも一つの手だ。経験上、無料で預けられるところが多かった。ただ、全ての宿泊施設で、または無料で対応している保証はないため、事前にホームページや電話等で確認することを勧める。

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コラム② 途中下車制度を使う


今回のように、沿線上の都市に立ち寄るたびに改札を出るとなると、交通費が高くつくのではないかと心配する人もいるだろう。しかし、「途中下車」制度を利用すれば、そうした心配は不要だ。途中下車制度とは、片道101㌔を超える乗車券の場合、進行方向に限って有効期限内であれば途中の駅で改札を出られる制度である。改札を出た後も、追加料金なしで同じ切符を使って再び列車に乗ることができる。この途中下車制度に学割を併用すれば、さらに交通費を抑えることも可能だ。

ただし、例外もあり、▼東京、大阪、福岡、仙台、新潟に設けられた「大都市近郊区間」内▼発着地が特定の都区市内(京都市内など)である場合は同じゾーン内▼一部の割引きっぷを利用する場合は、途中下車ができない。また、最終目的地までの特急券を購入している場合、途中駅で改札を出ると、たとえ区間が残っていても特急券は無効になる点には注意が必要だ。旅程を立てる際には、JRの規則を確認するか、切符を購入する際に窓口で相談するのが確実だろう。

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