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【第4回京都大学新聞文学賞 大賞受賞作】グミガスキー『ケツからジャズ』

2025.06.01

Side1

1 下剤
2 死んだヘドロ
3 Copy that.
4 エアロビ
5 Wepon of Choise (Cover)

Side2

6 その後
7 CAFE & BAR CHUKCHUK(Instrumental)
8 酒場で格闘ドンジャラホイ
9 ピニョン=ピニョン
10 調査員
11 ケツからジャズ



Side1

1 下剤

酔っ払って下剤を飲んだことがあるか?

おれはある。

11月の24日朝から飲むはずの下剤を、18日の深夜に飲んじまった。

下剤を飲む時点で、おれは安物のウイスキーをしこたま飲んでしまっていた。おれはハイテンションだった。なんだってできる気がした。その気になれば、窓を開け、形の悪い梨を遠投して、隣町の町長の寝室の窓を割ることだってできただろう。おれの住んでいるアパートから隣町までは、ざっと20マイルはある。だが、万能感に満ちたおれの、無数の可能性の中から選ばれた行為こそが、〝下剤を飲む〟だったわけだ。その夜のある時点まで、おれは無敵だった。無敵になるのは良い気分だ。そして、おれは自分がいかに無敵であるかを示そうとしたわけだ。

おれのとろんとした目が、部屋を見回す。すると、キッチンのワークトップに屹立している下剤(ペットボトルに入っているやつ)が、目に入る。ウソみたいな話だが、そいつは黄金のオーラをまとって、おれを挑発していた。

「わたしを飲めるものなら飲んでみなさいよ」という風な具合で。

なぜ下剤が、色気のある女の声だったのかはさておき、ソファの背もたれにひじを置いて、下剤と対峙していたおれは、その女のオファーを受け入れた。なんたっておれは無敵だったからだ。部屋にはジャズがかかっていた。モダン・ジャズ・カルテットのピンクのジャケットのやつだ。おれの部屋では、たいていなにかしらのレコードが流れている。そのほとんどがジャズだ。なもんだから、おれの部屋の床や、壁という壁はむくんでいた。建築資材というのは、〝スウィング〟を吸い込み過ぎると、〝むくむ〟もんらしい。おれの部屋はさながら養老天命反転地だった。

おれは立ち上がり、ぼこぼこした床を行き、キッチンへ向かった。

そっからは想像通りだ。おれは無敵ではなかった。その夜、おれは下剤に負けた。おれの尻は断続的に火を吹き続けた。

下剤を飲む前までのおれのガッツは、下剤の効力すらぶちのめしてしまえそうだった。だが、世の中ガッツだけではどうにもならん。

2 死んだヘドロ

翌日のおれは、言わば「死んだヘドロ」だった。二日酔いと、下剤によって全てを出し切ったあの特有の気分の悪さとのダブルパンチだった。おれはなにをして良いのかわからなかった。何かを食べなきゃいけない気がしたが、何かを食う気なんて、1ミリもわいてこない。

おれはヘドロのまま、しばらくむくんだ床にそってややふっくらした絨毯の上でダウンしていた。

1時間おきに、ボブ・ボッキンボがやってきて、レコードを取り替えた。曰く、「お前の部屋はスウィングしてなきゃならんからな」とのこと。おれの部屋はスウィングを吸い込みすぎて意味を失っていた。

意識を取り戻してから、ボブ・ボッキンボが3回、おれの部屋を出入りした後、おれは立ち上がった。おれは不屈にならなければならなかった。強いて言えばヨーグルト的なものが食べたかった。

おれは冷蔵庫を開けた。

しかし、無情にも冷蔵庫にはおれを満足させるものはなにひとつ入ってなかった。1週間前に買った飲みかけのアイスコーヒー。半端に残ったバター。USBメモリ。だれのものかわからないリップクリーム。そんなもんだった。

おれはさらに不屈にならなければならなかった。

ゼロになったガッツを、どこかから湧き上がらせ、いやいやながら、外に出る決意をした。

3 Copy that.

部屋を出て、階段を降りる。アパートのゲートを出ると、時刻はお昼過ぎといったところ。太陽が容赦無くおれを焼き尽くそうとする。いっそ、ヘドロとしてその場で死んでしまいたいくらいだった。

「よぉ、グミ。今日も死にそうな顔だ」ゲートの横にいるウンピー・プーピーがおれの顔を見るなり言った。

「あぁ、最悪な気分だ」

やつは、カラフルなパラソルの下で、水タバコを吸い、お気楽に煙を吐き出した。

ウンピー・プーピーという男は、この界隈ではちょっとした男だった。晩年のハリー・ディーン・スタントンに似た風貌で、おれの住んでいるアパートのゲートの横で、マットを敷き、パラソルをさし、毎日水タバコを吸っている。おれは出かけるときには、この老人を毎回見かけるのにもかかわらず、この老人がどこで寝泊まりをしているのかは、知らない。それはこの街の七不思議のひとつだった。だれひとり、ウンピー・プーピーの寝床を知らない。

「なにか欲しいものはあるか?」やつは言った。

「とびきり上等な安らぎがほしい」おれは言った。

するとやつは、そばに置いてあるオレンジ色のクーラーボックスの中から、冷えたバナナを取り出し、それを受話器のように耳に当てた。

「もしもし?おれだ。プーピーだ」やつは言った。まるでママごとみたいだった。もしくは何かの秘密組織のエージェントか。「C469GH99だ。繰り返す。C469GH99。オーケー?」隣町まで届きそうなくらいバカでかい声でやつは言った。

すると、ウンピーはおれを向き、ニヤリと笑い、おれにバナナを差し出した。しばし迷い、おれはバナナを受け取った。バナナは無臭で冷たかった。そいつは本物のバナナだった。

するとウンピーが頷いた。

おれはおそるおそるバナナの先っちょを耳に当てた。

「Copy that.」確かにそう聴こえた。男の声だ。すこしノイズの乗った音声でもあった。

「ワォ」

おれはバナナを顔から離し、ウンピーを向いた。それから言った。「あんたが言ってた数字とアルファベットは何の意味があるわけ?ワイファイのパスワードか?」

やつはバナナを受け取り、代わりに水タバコのホースを差し出した。「いずれわかる。まぁ、ゆっくりやれや」

おれはホースを受け取り、マウスピースに口をつけ、水タバコを吸った。とんでもなく甘ったるい煙が、おれの口の中に入ってきやがった。

「クソッ!」

「わるくないだろ?」やつはなぜか自慢気だった。

それから、やつはクーラーボックスをがさごそし、お次はアイスキャンディーを2本取り出し、なんとその2本ともを、おれに放った。

「腹減ってるんだろう?」

とびきりクールなセリフだった。

4 エアロビ

おれは部屋に戻った。アイスキャンディーがあれば、とくになにかを買いに行く必要がないと考えたからだ。ビニールに包まれたアイスキャンディーを開け、そいつを食べながら階段を上がる。クソ暑いのが、逆にいい。グレープ味のアイスキャンディーだった。部屋に戻ると殺し屋がいた。そいつはクソ暑いのに律儀にジャケットを着て、おれを待っていた。

部屋は無音だった。

殺し屋が、持っているピストルの銃口を、おれに向けようとしたタイミングで、ボブ・ボッキンボがやってきた。レコードを換えにやってきたのだ。

反射的に殺し屋はピストルを下げた。ボブは、プレーヤーにのっていた『マイルス・アヘッド』のレコードを、手に取り、溝に沿ってブラシをかけ、丁寧にスリーブに入れ、それからジャケットに入れ、それから、レコードのビニールカバーの接着部分を折り、レコードをしまった。次に、持ってきたレコードを、これまたいちいちゆったりした手順を踏んで、ターンテーブルへのっけた。ボブの野郎はその全工程で、楽しそうに微笑んでいた。

最後にボブは振り返り、おれを見た。

おれは頷いた。

すると、ボブはトーンアームを動かし、換えたレコードに針を落とした。

わずかなチリノイズが部屋に響き、次に爆音で音楽が鳴った。エアロビの音楽だった。ボブがプレーヤーの横にジャケットを立てかける。

『Aerobics Hits!!!』

レオタード姿の男女の大群が、ラブリーに腕を上げている写真のジャケットの、上のほうにデーン! と、そう記載されてあった。

「ワォ」リズミカルな音楽がかかった瞬間、おれは意識することもなく、そう言った。

満足したかのようにボブは、満面の笑みを浮かべ、部屋を出ていった。

通常、ボブはジャズのレコードばかり持ってくるが、ときどき、こういったイカれたレコードも持ってくる。その緩急におれはヤられるのだ。

古臭くてノリノリのエアロビミュージックで忘れていたが、おれの部屋には殺し屋がいた。だが、そいつはすこしばかり様子がおかしかった。おれには、そいつがなにかウズウズしているように見えた。

よく見れば、カーキ色のズボンを履いたそいつの右足の指は、エアロビの音楽のリズムに合わせて上下している。冷や汗が輪郭をつたい、目の焦点もどこかおかしかった。

「おい、お前まさか……」

そいつの右足の指の上下は、さらに大きくなっている。

「クソッ!」そう言うやいなや、やつはソファにピストルを投げ捨て、踊り始めた。

おれは眉をひそめ、そいつを見ていた。

やつは完全なエアロビスタイルで踊り狂って見せた。やつはエアロビマニアだったのだろう。無意味に手を叩き、アホほど太腿を上げ、不気味な笑みをがっちりと顔に固定させ、おかしなケツの振り方をし、なんとレコードのA面の曲をすべて踊りやがった。その間およそ20分くらいだろうか。おれはそれを突っ立って見ているより他なかった。もしおれがやつのエアロビに飽きて(実際、飽きていたのだが)キッチンへ行き、コーヒーを作り始めるなんてことをすると、やつがブチギレておれを撃ち殺さないとも限らない。

「ヘイ⁉ お前、おれのエアロビが気に食わないってのか⁉」やつはこういう風に言うだろう。

「さすがにレコードの片面全部を突っ立って見ているのはキツいだろう」おれは言う。

「はあァん⁉ お前! おれのエアロビが気に食わないってのか⁉」と、やつが人を殺す前のジョー・ペシばりにキレる。「お前‼ おれのエアロビが‼ 気に食わないってのか⁉‌⁉‌⁉‌⁉」ここまでくると、なんとも対処のしようがない。おれの頭をブチ抜くほか、やつの怒りをおさめる方法はない。

「正直、殺し屋がターゲットの前でエアロビ踊るのはどうかと思うぜ」とどめに、おれが言ったとしよう。

言った瞬間、やつはソファのピストルを手に取り、おれに向かって、引き金を引くのだ。流れている音楽の、四つ打ちのバスドラムに合わせて、4発。

とまぁ、そのくらいの想像ができる程度の緊張感は、おれの方にはあった。

カーキ色のジャケットが、汗でぐっしょり濡れるくらいには、やつは踊り狂った。

再び、部屋には沈黙が立ち込める。本来であれば、おれはレコードをB面にひっくり返さなきゃいけない。それはおれの役目だった。ボブ・ボッキンボは新しいレコードに取り換えてくれるが、終わったA面をB面にひっくり返すのはおれの仕事だった。ちなみに、おれはその仕事をしばしばサボる。

ここでB面に突入してしまうと、10000000パーセントの確率で、やつは再び踊りだすだろう。おれは冷蔵庫の奥で一生使われることのないことを確信した乾燥スパゲッティの束のように黙っていた。

《続きは『京都大学新聞』2025年6月1日号の紙面でご覧ください》