文化

【特集】追悼・森毅 安野光雅 画家 「森毅さんについて」

2010.10.04

ずっとむかし、朝日新聞にいた森啓次郎という人が、編集責任で「数の現象学」という本を作っていたとき、わたしはまだ森毅さんと面識がありませんでしたが、彼のうわさをいろいろ聞いていましたから、「大学の先生がみんなああだといいな」と啓次郎さんにいいましたところ、彼は威儀を正して「本当にそうです」といいました。

そのご、森毅さんと、いろいろおつきあいいただくようになって、果たせるかな彼は、啓次郎さんの言うとおりだと思うようになりました。彼は右派と目される人から、左派と言うべき人まで、誰とでも話すことが出来ました。それは「清濁併せ呑む」といった迎合の意味ではなく、本人の哲学の中に、人間としての高さとでもいうような、遠くを見る視点があったからだと思います。たとえば、「核兵器反対」を言うときも、自分の政治色からではなく(政治色などありませんが)核兵器のようなものは、東西いかなる国も持つべきではない、というヒューマンな思索に基づいていました。尻馬にのっていいますが、これはわたしもそうです。

下世話な話ですが、宇野総理でしたか女の問題で辞めねばならぬことがありました。そのときは、二人の意見があいました。選挙で選ばれた人は、女性問題で辞めさせるべきではない、という理由からです。もしそうだとすると、謀略的に女性を仕向けて失脚させるという手が生まれるからです。

もう一つ意見が合うことがありました。「わたしは小学校の教員をやっていたが、あまり準備をしなくて、今は何の時間だったかね、ときくと、子どもが算数です、などという、すると出たとこ勝負で、では算数をはじめよう」という具合でしたというと、

「ボクもそうだよ」

と、意見があうのですが、考えても見てください、四則演算の世界と、大学の数学とはまるで違います。だから、わたしは驚いてしまいましたが、考えてもみると、森さんにとっては、大学の数学も、小学校の数学もたいして違わないのかもしれません。

これはうわさですからあてにはなりませんが、森さんは授業中に寝たというではありませんか、森さんの教室に行った方は知っていると思いますが、本当ですかね?

それから、彼はわたしに、「アンノさんは試験に強かったろう?」というのです。

わたしが試験に強かったら、こんな苦労はしないというと「そうかい、ボクは強かったよ」というのです。

これは、相当強くないと言えません。これを読む人は、全国一斉の模擬テストなどについて知っているでしょうが、点数が上位の人は、まるでギネスブックにでも載ったように全国的に知られています。

森さんのころは一斉模擬テストというようなものは無かったとおもいますし、試験の競争率もそれほど高くなかったとおもいますが、それでも、森さんは、ギネスブッククラスだろうと思います。なぜかというと、彼はいわゆる点取り虫ではなくて、いつも創造的なものの考え方をもっていたし、試験勉強をしないで、いつも出たとこ勝負で受けていたからです。

森さんは実に博覧強記ですが、博覧強記というのは一般に調べればわかる事を、調べないで速く答えが言えるという意味です。円周率を一万桁まで言えても、博覧強記とはいいません。でも、今の試験社会では、 その暗記力が、天才の証のように思われていますが、そうではなくて、彼にはどんな本にも載っていないことを考える力があると、わたしは信じています。

数学者だから、占いとか、血液型とか、花言葉などの実にふしぎなものの考え方には反対にきまっています。だからわたしは、たびたびそのような不合理な考え方について彼と話しました。

すると、驚いたことに、「ええやないの」というのでした。そんな、堅いことをいわないでも「ええやないの」という意味です。どうでもいいじゃないか、ということではないらしい、そういうことを考える人もふくめて世の中が成立している、という意味にとれました。これが森毅の真面目かもしれません。

そういう彼のおかげでわたしは、少しだけ度量がひろくなったようにおもいます。

その森さんがなくなって、本当に残念です。ああいう人は滅多にいないんだから。本当に惜しいことをしたと思います。

一つだけ宣伝を許してください。『数学大明神』(筑摩書房)は、わたしと森さんとの対談です。興味があったら読んでみてください。『数学博物誌』(童話屋)といって、わたしが絵をかいたものもあります。


あんの・みつまさ 画家