企画

【京大新聞100周年特別企画】紙面にみる百万遍周辺の変遷

2025.04.01

45年前の百万遍界隈を現在と比較する(地図は1980年4月1日号紙面より)



45年前の百万遍界隈を現在と比較する(以下の図は(燕)の手書き)。()は近年の紙面で取り上げた号の発行日



1936年


1 A・B・C食料品店、2 若葉屋洋服店、3 ユニオン撞球場、4 祥文堂書店、5 藤原理髪館、6 志津屋靴店、7 丸美屋洋服店、8 進々堂、9 A・B・C撞場、10 京都アパート、11 井筒屋洋服店、12・18 美留軒理髪店、13 上田写真機店、 14 学生集会所食堂、15 プリント社、16 学生さんの靴店、17 大黒屋洋服店、19 ヱミヤ書店(当時の広告より)


1976年



1991年



2002年



2012年



近年は周辺地図少なめ


100年の歴史で、京大新聞は様々な話題を取り上げている。学内のできごとはもちろん、ときには国内全体を揺るがす事象、さらには世界情勢に関する話題を特集した記事もある。一方、灯台下暗しとでも言うべきか、吉田キャンパス周辺の様子を取り上げた記事は、さほど多くない。そこで、節目を迎える今号では、近年の京大新聞では珍しく大学周辺マップを載せることにする。

参考として過去の紙面を見ると、80年代前後は地図がよく載っていて、00年代以降は少ない。意識的か無意識かはともかく、フリーペーパーやウェブ媒体が台頭するなかで、わざわざ京大新聞に載せなくてもいいという感覚が共有されるようになったのかもしれない。ここ20年は、古書店特集やベジタブルレストラン特集など、具体的なテーマを設定したうえで近隣店舗を取り上げたり、「百万遍の食」や「腹が減っては」など、ひとつの店を掘り下げて取材するコーナーを設けたりしている。

京大生に身近な店の開店・閉店を報じる記事もしばしばある。ナカニシヤ書店(89年11月16日号)や北白川バッティングセンター(11年12月1日号)の閉店、あーす書房(93年2月1日号)や京都コンサートホール(95年10月1日号)のオープンを記事化している。(村)

戦前の京大生はお洒落だった?


京都の旧市街にあたる御土居の外にあるとはいえ、今でも古い建物や町割りが残り、旧景をかなり残していると思われる百万遍周辺だが、さすがに一番古い1936年の地図は、今とはだいぶ印象が違う。白川通が開通していないし、京都市電の停留所があるところに時代を感じる。広告を出している店の多い地域から推察するに、このころ学生街は本部構内の北東・今出川通沿いと、南側の吉田地区を中心に展開していたらしい。今はどちらかといえばお店が少ないと言われるエリアに、多くのお店がひしめき合って、にぎわった様子が想像される。このころの広告には飲食店が少なく、洋服店や靴屋、理髪店など、装いに関するお店から出稿が多い。食事つきの下宿住まいが多く、大学入学層も富裕だった戦前、学生の関心の中心はおしゃれにあったのかもしれない。(汐)

ひきこもる大学生活、ファスト化する学生街生活


戦後の地図で紹介されるお店は、喫茶やレストランなど飲食店ばかりだ。記載の詳しい1980年の地図を見てみると、「MÄRCHEN」「ラィミン」「しぁんくれーる」など、音楽のセンスを謳った店が多いのが印象的だ。携帯音楽プレイヤーの登場以前、音楽を家で気軽に聞ける学生は少なく、外に聴きに行くのが普通だったのかもしれない。電子メールやSNSのない時代、コミュニケーションの場も、もっぱら外にあった。地図に描かれるのは広告を出した店ばかりだとはいえ、喫茶店の密度は明らかに今より高い。お店のウリにはだいたい店内の雰囲気が書かれていて、中にはTVゲームができたり、漫画が読めたりする店もあったらしい。アパート暮らしの退屈しのぎに、友人たちと行きつけの喫茶に通っていたのだろう。今も健在の「私設圖書館」や「柳月堂」をはじめ、当時の風情はわずかに残っているが、議論や会話、娯楽の中心は、家でもできるSNSに移り、食事もお茶もチェーン店ですることが増えたのではないか。失われたものゆえ殊更よく思えるのかもしれないが、音楽と珈琲と娯楽が町中あふれていた学生街の生活に憧憬を抱かざるを得ない。(汐)