【寄稿】大学新聞寄稿 10新聞より近況報告
2025.04.01
京大新聞と新聞を送り合っている各大学の大学新聞編集部から、本紙100周年に合わせて寄稿をもらった。新聞を読む習慣のある学生が少ない今、各大学新聞が何を大切にし、どのように新聞をつくっているのか。それぞれの近況を報告してもらった。執筆を快く引き受けてくれた各紙担当者に感謝申し上げるとともに、今回の紙上での交流を、各紙のますますの発展にむけての契機としたい。画像はすべて各紙提供。(編集部)
熊本大学 復刊後の歩み、手探りで 熊本大学新聞社・編集
慶應義塾大学 「塾生目線」の記事 これからも 慶應塾生新聞会・編集局
上智大学 古臭く泥臭く発行継続 上智新聞編集局・都木夢来
筑波大学 「今」を伝え続ける 編集長・山本貴世
東京大学 学生の情熱を届ける 編集長・赤津郁海
東北大学 幅広い記事を掲載 学友会報道部編集長・渡辺湘悟
日本大学 学生認知の地盤づくり模索 編集長・丸山蒼太郎
北海学園大学 「崖っぷちは変わらず」 北海学園大学新聞編集部
立命館大学 学生のための報道 一途に 主幹・小林秀太
参考 卒論にみる「学新」
【京都大学新聞さんに対する印象】
京都大学新聞は、京都大学の魅力の一つである「自由な学風」「個性の尊重」「面白さ」がぎっしり詰め込まれたものだと感じており、半ば「憧れ」と「嫉妬」を抱いております。「解かずに読む共テ書評」や「日本史で歩く京都」など斬新な企画でかつ読み応えのある記事で愛読しています。
京大新聞を読むと、「社会」への関わり方や「自由」とは何かを考えさせられます。
関西学院大学新聞総部は、1922年に創刊された歴史と伝統ある学生連盟加盟団体です。
【現在の活動状況】
当総部では、学内のイベントやニュースを中心に、学生やOB・OGへのインタビューなど、多岐にわたる内容を取り扱っています。
過去には、阪神タイガースの近本選手や小池百合子東京都知事へのインタビューも掲載されました。また、「関学周辺の素敵なお店」や「教授の背中」など、各種企画や連載も行っています。
【編集方法】
記事は記者個人が取材し執筆し、その後デスクが添削を行います。添削後の記事は校閲を経て、レイアウトとインデザインを施し紙面が発行されます。
【紙面とウェブの比重】
紙面は6割、ウェブは4割という比率で発信しています。
【直面している課題】
現在、広告の減少や新聞離れといった課題に直面しています。
【今後の展望】
今後は、総部のウェブサイトやSNS(X、Instagramなど)の活用を強化し、大学外に向けてのアピールをさらに進めるとともに、広告の増加にも力を入れていきたいと考えています。
熊本大学新聞社ではコロナ禍による休刊からの復刊後、新入生歓迎号、7月号、11月号、受験生特別号という形で年に4回新聞を発行してきました。昨年度は新たに4名の新入社員らが加わり1年間の活動を行ってきました。昨年度は主に東京大学を発端に全国各地で話題となった大学の学費値上げの問題について実際に熊本大学の学長への直接のインタビュー、熊本大学内の施設におけるネーミングライツについて、そして熊本大学にて新たに設立される学部についての取材などその時その時の話題を取材、執筆してきました。
その中でも特に学費値上げの記事については実際に熊本大学の学生にアンケートを取るなど、双方の考え、現状を含めてより精密な記事の作成を行いました。
来年度からは今まで新聞社を中心で支えてきた社員らが引退してしまうこともあり、現在それぞれの業務における引き継ぎが行われています。実際にお店や企業の方から広告を頂き、新聞を発行するということの難しさを感じながら多くの人々に手に取り読んでいただける新聞を目指して日々活動を続けています。これからは新たな体制を構築しながら、より幅広いジャンルの記事を手がけていきたいと思っております。
慶應塾生新聞会です。この度は京都大学新聞社様の創刊百周年を心よりお祝い申し上げます。お声掛けいただき誠に光栄です。
塾新は1969年「不偏不党」をモットーに立ち上げた団体です。現在も大学の公認団体として、大学内のイベントを始め、慶大の教授や著名人へのインタビュー、体育会の試合結果など、幅広い報道を塾生の手で行っています。
また「独立採算制」を採用し運営を行っています。大学から資金援助を一切受けず、会員による広告営業によって新聞を発行しています。
全会員数は200人程度、より中枢で活動したい会員は「局員」として、総務局、編集局、広告局、財務局、読者広報局、デジタル戦略局の6局に分かれて活動しています。
紙面作成は主に我々編集局が担当しております。それぞれが興味を持ったテーマで自由に取材を行います。時事は編集局内でも特に関心が高く、今は米大統領選やパレスチナの記事を定期的に出しています。
月によっては特集を組みます。例えば、6月は就活、8月は戦争、11月は著名人インタビューというように、毎年同じテーマで異なる記事を書いています。
企画は基本的に自由ですが「塾生目線」であることを大切にしています。昨年から慶大内のマイノリティの人権に関する企画を発足しています。これまで注目されにくかった「塾生目線」をお伝えできれば、と願っています。
最近、デジタル戦略局員の尽力により、弊紙ウェブページをリニューアルいたしました。ぜひ一度ご覧いただけますと嬉しいです。
新聞がなかなか読まれない状況ですが、時代が変わっても、学生の「伝えたい」情熱は残り続けると思います。全国の学生新聞サークルの皆さん、共に頑張って行きましょう!
『京都大学新聞』をご覧になっている皆さま、京都大学新聞社の皆さま、このたびは創刊100周年を迎えられるとのこと、心よりお祝い申し上げます。新聞を読む人が多いとは言えない時代に、編集部の皆さまが質の高い紙面を作り続けていること、何より多くの人に読まれ続けていることは、大きな意義のあることです。
『京都大学新聞』に目を通すと、ニュースはもちろんですが、ニュース以外の企画や寄稿などが充実していると感じます。新聞として、ニュースを取り上げることはもちろん大切ですが、学生新聞としては、学生ならではの視点や発想によるユニークな紙面作りが欠かせません。
たとえば、2024年3月16日発行第2774号の「タテカン」に関する企画はとても印象に残っています。大学当局からの規制も含めて毎年SNSで話題になりますが、京大らしさの一つだと感じます。自分が受験生のときも、タテカンや「折田先生像」を見ながら入試会場に向かいましたが、緊張がほぐれて気持ちが楽になったのを覚えています。そんなタテカンに込められた想いや製作の苦労を、紙面を通して知ることができます。
多くの企画や寄稿が実現できるのは、それだけたくさんの人が『京都大学新聞』を信頼しているということだと思います。そしてその信頼は、ユニークな紙面作りや100年の伝統のたまものです。同じ学生新聞を発行する団体として、1人の読者として、これからも『京都大学新聞』を応援させていただきます。
◇
私たち上智新聞編集局が発行する『上智新聞』は、2025年12月に創刊65周年を迎えます。以前は毎月発行していましたが、新型コロナウイルスが流行してから隔月発行になり、2025年度は年4回の発行を予定しています。1号あたり原則8面で、ニュース面、文化面、企画面があります。文化面では美術展や科学展を取り上げていますが、これは私たちの紙面の特徴と言えるかもしれません。
私たちに限ったことではないですが、学生新聞の収入源の大半は、購読料と広告料です。しかし、いずれもうまくいっていないというのが正直なところです。新聞は、発行し続けることにこそ価値があるため、存続のために発行回数や発行部数を減らしています。
収入を得る方法に大きな課題があるのは事実ですが、収入を得るためには、紙面の質を上げることが不可欠です。企画力やデザインはもちろんですが、私たちは記事の質にこだわりを持っています。内容だけでなく、新聞にふさわしい文章の構成や表記を何より大切にしています。
紙面全体を見ればとても細かいことかもしれませんが、特別な技術を必要としないため、ある意味では一番簡単です。一方で奥深くもあり、泥臭さもあります。新聞にはいろいろな魅力がありますが、作り手としては「言葉の使い方に敏感になれる」ことが大きいです。
今の私たちには、泥臭さが必要な気がします。細かく取材をし、自分の足で営業に行き、1文字にこだわり、自らの手で配布する。新聞というメディアだからこそ、泥臭く古臭い方法が合っていると思います。これからも、新聞の特性を生かして学生ならではの発信を続けていきます。
筑波大学新聞は1974年創刊で、昨年10月に50周年を迎えました。長年にわたって筑波大の「今」を伝え続けています。
現在の部員は約20人。取材から記事の執筆、編集まで学生主体で進めています。今年度は5回の発行を予定しており、毎週月曜の編集会議で記事選定や進捗報告をしています。
編集代表には元毎日新聞論説委員の鴨志田公男教授を迎え、主に原稿について指導していただいています。ちなみに、先生のご出身は京都大理学部。在学中は何度か京都大学新聞を読んだことがあるそうです。
毎号約2万部を発行する紙面は、主に学内総合、学生生活、学芸、オピニオン、スポーツ、特集の6つのトピックで構成されています。
囲み記事が多く、最新の研究内容や先生方のお薦め映画の紹介、期待のアスリートの軌跡をたどるなど、非常に多彩です。海外取材も積極的に行っており、昨年はマレーシア、一昨年にはオランダを訪れました。
筑波大の魅力は、一つのキャンパスに数多くの学問分野がそろっていることです。体育や芸術を専門とした学群(学部)の存在は、国公立大としてはかなり珍しいと思います。だからこそ、さまざまな切り口で学生や研究に関する記事を書くことができます。
京都大学新聞さんは今年で100年。私たちよりも倍近く続いている大先輩です。京都大の研究力に根差した記事や、作り込まれたウェブサイトが特色だと感じています。
筑波大学新聞の主な媒体は昔ながらの紙。筑波大のウェブサイトにPDF版を公開し、時折速報をX(旧Twitter)に投稿していますが、独自のウェブサイトや記事ごとのインターネット掲載はないのが現状です。
メディアのオンライン化が進んでいますが、紙の新聞にも一覧性など魅力があります。従来の紙面による発信を続けつつ、京都大学新聞さんなど他大学の新聞を参考にしながら、オンライン化も模索していきたいです。
これからも筑波大学新聞は、部員一人一人の関心と「伝えたい」という気持ちを大切にし、学生ならではの視点で記事を届け続けることを目指します。
まずは『京都大学新聞』の創刊100周年、誠におめでとうございます。私たち公益財団法人東京大学新聞社は、1920年の『帝國大学新聞』創刊以来、東大に基盤を置き、かつ東大からは組織的・人的・財政的に独立した立場から、知識・情報の発信、交流を行ってきました。長らく週刊紙でしたが、2020年には創部100周年を機に月刊化。現在は月刊紙『東京大学新聞』とウェブサイト「東大新聞オンライン」を中心に、東大の今に関連する情報を発信しています。就活・院進など大学生に身近な情報をはじめ、学内ニュースや最新の研究成果、部活・サークル活動での東大生の活躍も掲載しています。また、東大新聞は書籍の編集も行っております。中でも毎年夏に発売される『東大を選ぶ』シリーズは、受験から卒業後まで、東大に関する話題を幅広く掲載しており、高校生を中心にご好評をいただいています。
紙面の読者数の減少は大きな課題です。SNSなどで簡単に情報が手に入るこの時代に、紙の新聞としてあり続けることは決して簡単なことではありません。しかし、メディアとしての新聞は決してSNSに劣るものではないはずです。東大新聞は理念の一つに「東大を動かすメディア」を掲げています。一つの媒体に雑多な情報が詰め込まれている新聞には、読者に新たな発見を提供し、行動を起こす足がかりとなる力があります。東大新聞としてもそうした新聞の価値を認識し、いかに読者に届けるかを考えていくことが長く存続していくための鍵となると考えています。無料の号外である『東大新聞ミニ』の配布を開始するなど、その方策は現在進行形で模索中です。オンラインに力を入れる、記者の個性を表に出すなど、他にも方法はいくらでもあります。失敗を恐れず何度も挑戦できることは、学生のサークルとして活動する我々の特権です。同時に、サークル活動であることは記事の質においても独自の価値につながり得ます。東大新聞では時事性や話題性の高い記事も取り扱っていますが、なによりも記者の興味関心を最優先に取材・執筆にあたっています。義務感で書いた記事よりも、記者の情熱を込めた記事がきっと面白くなるはずですし、私たちもそういった記事を届けたいと願っています。現役の大学生である記者が、今何を見てどう感じているのか。これこそ、我々の社会的な価値であり、我々に課せられた使命でもあると考えます。京都大学新聞社のますますの発展を心よりお祈りしております。
京都大学新聞は弊部にも毎号届いており、その記事の質の高さから我々も参考にさせてもらっている。100年の歴史を紡ぎ続け、現在も2週間に1回のペースで発行し、高い知名度を誇る京都大学新聞には、見習うべき点が多い。
『東北大学新聞』を発行する我々学友会報道部は、現在学部3年生8人と学部2年生2人の計10人で活動を行っている。年間では授業期間に通常号8回と特別号3回の計11回発行を行う。部員は慣例的に3年生の10月末で部を引退するため、多くは2学年体制で作業を進める。発行部数は通常号の場合3450部である。
部員は週に一度部会で集まり、記事内容の決定や進捗確認を行う。記事の内容は、友人との会話や講義内容などで自然と生まれた疑問や各部員が興味関心のあることなどを案として挙げる。そのうえで学生への影響や季節性、大学への影響や部員の好奇心などからネタ案を吟味したうえで記事内容を決定する。
記事の内容は幅広い。国際卓越研究大学や七大戦など本学に関するニュースはもちろん、仙台市博物館再開館など地域に根差した記事、故・安倍晋三氏、本学出身の伊坂幸太郎氏など著名人へのインタビューも行う。さらにはコラム、書評、部員が体を張って検証するネタ記事などさまざまである。
ある程度完成した記事や紙面には、オンライン上で部員同士が見出しや表現などのアドバイスをする「赤入れ」を行う。入稿前日には部室に集まり、記事の表現や見出しなどについて最終調整を行う。深夜までかかるのが常だ。完成した新聞は地元紙への折り込みや全国の高校・定期購読者への郵送、部局への学内便などで配送する。
小紙の歴史は1966年11月の復刊1号から始まり、今年で59年目。実は小紙も本年4月号で紙齢500号という節目を迎える。部員の少なさや認知度の低さという課題はありながらも、これからも発行ペースを崩すことなく新聞を作っていく所存である。
弊紙、日本大学新聞は各学部をネットワークし「学園の連絡一体化」を第一の目的として毎月発行する全学園新聞です。昨年10月で創刊103周年を迎えました。本学は文系から理工系、医歯薬系までの16学部を擁する日本最大の総合大学であり、競技スポーツ部も大変活気があります。そのため話題には事欠かず、本学生や本学の研究を読者に届けるため、日々取材をしています。
弊社は団体名として「日本大学新聞社」としていますが、こちらは「会社」としての意味ではありません。京都大学新聞社様も同様なのではないかと思われますが、同門の仲間と活動をする「社中」としての意味を持っています。毎月1つの新聞を発行するのにも、学生記者同士が一丸となって動いていかなければ完成させることはできません。難解な研究分野の記事執筆や、なじみのないスポーツの事実確認をすることは日常茶飯事です。「学生による、学生のための新聞」の記者である私たちは、同じく学生である読者に正確でわかりやすい記事を届けなくてはなりません。そのためにも、最初の読者として仲間の存在は不可欠です。友人に「社会人」と揶揄されることもある活動ではありますが、弊社の「社」にはそんな意味が込められています。
弊紙で取り扱っている内容は大きく5つ。各学部生の受賞や研究を取り上げる「学術記事」、競技スポーツ部や付属校生の「スポーツ記事」、サークルやボランティアなどの「学生社会記事」、学生生活に焦点を当てた「エンタメ・オピニオン記事」、全学的な動きを載せる「本部記事」です。毎月6〜8面展開を基準に、内容は多岐にわたります。
また、弊紙も新聞離れを受けてか、本学生の知名度が低く、学園の一体化には遠く及んでいるとは言えません。まず、学生に弊紙を周知してもらうための地盤づくりが必須であると考えています。そのため、学術、スポーツに限らず、取材をした際にはSNSで発信を行っております。学生が日常的に利用するSNSで弊社の活動を知ってもらい、紙面や「日本大学新聞ONLINE」(弊社HP)で詳細な記事へ促すことで、本学の活躍を届けることができると考えております。SNSが発達した現代において、新聞は紙面のみを指すものではありません。あくまで、学生に本学の活躍を届けることに重きを置いております。
最後になりましたが、京都大学新聞社様、創刊100周年誠におめでとうございます。今回はこのような形で関わることができましたことを大変嬉しく思います。私たち日本大学新聞社も100年の歴史を持つ新聞として、学生のための新聞を日々届けていきます。
こんにちは。京都大学新聞創刊100周年おめでとうございます。今回はこのような機会を設けて頂き、誠にありがとうございます。私たちは北海学園大学新聞会と言い、北海道は札幌市の北海学園大学という私立大学で年4回ほど学生新聞を作っている団体です。現在は10名ほどで活動しています。読者の皆さんのほとんどは聞いたことがない大学だなと思っておられるでしょう(笑)。当会は北海学園大学が設立された1952年に創刊した学生新聞で現在に至るまで2度の休刊を挟みつつ発行を続けています。1度目の休刊は1976年から77年にかけてです。理由は当会が過激派の御用新聞化し、お取り潰しになったからです。その後、有志の学生によって復刊し2019年まで発行を続けていました。
2度目の休刊は2020年から23年までです。理由はコロナ禍でした。22年まではサークルの活動に厳しい制限が課されました。例えば普段は部室があり、そこで紙面編集などの発行作業をするのですが、当時はそこにも立ち入ることが出来ないという有様で当会は崖っぷちの状況でした。そんな紙面での発行が出来ない中でしたが、先輩方は22年からメディアプラットフォームの「note」でオンライン記事の配信を開始しました。これは現在でも更新を続けており昨年には累計1万PVを達成しました。23年になると現2年生が入会します。しかし23年にもなると紙面発行のノウハウを持つ先輩方が卒業しており、紙面復刊はまさに手探りの状態からのスタートでした。1年かけて記事を集めて1名のOBの方に紙面編集を託し、タブロイド判かつ4面という構成でしたが24年の3月に復刊を成し遂げました。以後2年生も編集ソフトの使い方を学び、自力で紙面づくりを出来るまでにはなりました。レイアウトについては、コロナ禍前のものを単純に踏襲するのではなく、一般紙や他大学の学生新聞を参考にしながら、発行のたびに少しずつ改良を加えています。特に京大新聞さんは参考にさせて頂いています。
紙面の内容としては社会・文化・スポーツそれぞれ適性がある会員がおり奇跡的にバランスが取れています。
今後の課題としては人員です。コロナ禍から抜け出したとはいえ、新聞という堅いイメージか不人気で人員がまったく足りず、現2年生が就職戦線に赴くようになると新聞発行が滞るようになることは確実という状況です。編集部内では3度目の休刊が頭をよぎります。当会の運命は今年の4月の新歓にかかっているという崖っぷちの状況が続いています。
こんな当会ですが今後も数少なくなってきた学生新聞の歴史を絶やすことないよう努めていきたいと思います。
創刊100周年を迎えられたこと、同じ京都の学生新聞として、立命館大学新聞社一同、心よりお祝い申し上げます。
学生による学生のための報道を担ってこられた皆さまの並々ならぬご努力に、改めて深甚なる敬意を表します。
1945年12月創刊の小紙と京都大学新聞は、今から50年ほど前、学生新聞では当時珍しかった共同企画を行ったことがあります。京都大の平澤興学長(当時)と立命館の末川博総長(当時)の対談を双方の学生新聞が設け、記事を同時掲載するものです。
当時の社員は、発行ごとに送られてくる新聞を見て、常々競い合いながらも、共通した意気込みを感じていたと書き残しています。
その後1968年ごろに「新聞社事件」と呼ばれる全学共闘会議による暴力事件が発生。学園紛争も続き、小紙の旬刊発行は途絶えました。
現在、小紙は紙面発行の規模を年5回に縮小しています。それでも全ての学生のための新聞を目指して、報道に努めてきました。
対面授業や課外活動が制限された新型コロナウイルス禍には、学生に対し調査を実施し、学生の約3割が休学を検討していると報道し、問題提起することができました。
近年では、大学の各部署に取材する傍ら、読者の視野を広げる存在として、大学外でも精力的に取材しています。
正課外で活躍する学生の姿を伝えることで大学生活の目標を考える材料とし、自由な挑戦のきっかけをつくることが、学生のための新聞の一つの使命であると考えています。
学生を巡る情勢を報道し、学生や社会に提起することは、これからも学生新聞の第一の使命です。新聞の読者が減る中で、小紙はインターネットやSNSも活用し、さまざまな人に届けようと尽力しています。真偽の分からない情報があふれるSNSが存在感を高めている中で、学生のため、学生目線で学生が取材・報道する学生新聞は、より重要性を増しているのではないでしょうか。
学生のための報道をけん引する存在として、京都大学新聞のますますのご発展を祈念しております。
昨年度末にかけて、専修大学4回生だったYさんは大学新聞を題材に卒業論文を執筆した。各大学新聞にアンケート取材を実施しており、本紙も依頼を受けて回答した。その調査によれば、スポーツ専門紙を除く大学新聞が現在も活動していることを確認できた大学は、全国で32校だったという。
一方、かつては全国学生新聞連盟(全学新)なる組織が存在し、本紙の記事によれば1950年の時点で200を超える大学新聞が加盟していた。非加盟の新聞がさらに100以上あったとされていることもふまえると、70年以上の時を経て全国の大学新聞が激減していることがわかる。
Yさんは単純な数の減少に加え、求められる役割を果たす新聞の数にも着目している。その分析の観点として資金源を挙げ、大学から援助を受けている大学新聞は、大学で起きている問題を紙面で追及するのを避ける傾向にあると指摘している。そのうえで、ヒアリング調査から、大学新聞にはジャーナリズムを担う意欲が求められるという旨の発言を援用し、そういった部分にやりがいを見出すことで、役割を果たすとともに構成員のモチベーション維持にもつなげられると説明している。
全国的に大学新聞の数が減っているとはいえ、今回の本紙の依頼に際して各地から意欲的な寄稿が集まり、卒論のテーマにするほどに関心を寄せる学生がいるという事実を前向きに捉え、希望を見出したいところだ。(村)
目次
関西学院大学 学生・卒業生に読まれる関学大新聞 総部長・久保田創士 渉外部長・越智優介熊本大学 復刊後の歩み、手探りで 熊本大学新聞社・編集
慶應義塾大学 「塾生目線」の記事 これからも 慶應塾生新聞会・編集局
上智大学 古臭く泥臭く発行継続 上智新聞編集局・都木夢来
筑波大学 「今」を伝え続ける 編集長・山本貴世
東京大学 学生の情熱を届ける 編集長・赤津郁海
東北大学 幅広い記事を掲載 学友会報道部編集長・渡辺湘悟
日本大学 学生認知の地盤づくり模索 編集長・丸山蒼太郎
北海学園大学 「崖っぷちは変わらず」 北海学園大学新聞編集部
立命館大学 学生のための報道 一途に 主幹・小林秀太
参考 卒論にみる「学新」
関西学院大学 学生・卒業生に読まれる関学大新聞 総部長・久保田創士 渉外部長・越智優介
【京都大学新聞さんに対する印象】
京都大学新聞は、京都大学の魅力の一つである「自由な学風」「個性の尊重」「面白さ」がぎっしり詰め込まれたものだと感じており、半ば「憧れ」と「嫉妬」を抱いております。「解かずに読む共テ書評」や「日本史で歩く京都」など斬新な企画でかつ読み応えのある記事で愛読しています。
京大新聞を読むと、「社会」への関わり方や「自由」とは何かを考えさせられます。
関西学院大学新聞総部は、1922年に創刊された歴史と伝統ある学生連盟加盟団体です。
【現在の活動状況】
当総部では、学内のイベントやニュースを中心に、学生やOB・OGへのインタビューなど、多岐にわたる内容を取り扱っています。
過去には、阪神タイガースの近本選手や小池百合子東京都知事へのインタビューも掲載されました。また、「関学周辺の素敵なお店」や「教授の背中」など、各種企画や連載も行っています。
【編集方法】
記事は記者個人が取材し執筆し、その後デスクが添削を行います。添削後の記事は校閲を経て、レイアウトとインデザインを施し紙面が発行されます。
【紙面とウェブの比重】
紙面は6割、ウェブは4割という比率で発信しています。
【直面している課題】
現在、広告の減少や新聞離れといった課題に直面しています。
【今後の展望】
今後は、総部のウェブサイトやSNS(X、Instagramなど)の活用を強化し、大学外に向けてのアピールをさらに進めるとともに、広告の増加にも力を入れていきたいと考えています。


京大新聞担当者より
関西学院大学新聞は、主に白黒の京大新聞と異なりカラー刷りで、時事ネタからスポーツまでカバーする幅広い内容も相まって明るい印象の紙面だ。なお、連載「京大新聞の百年」の中で、本紙(1925年創刊)より創刊の早い大学新聞として関西学院大学新聞を列挙していないことについて釈明しておくと、媒体名が『関西学院新聞』となった1926年を基準にしたためである。(村)目次へ戻る
熊本大学 復刊後の歩み、手探りで 熊本大学新聞社・編集部
熊本大学新聞社ではコロナ禍による休刊からの復刊後、新入生歓迎号、7月号、11月号、受験生特別号という形で年に4回新聞を発行してきました。昨年度は新たに4名の新入社員らが加わり1年間の活動を行ってきました。昨年度は主に東京大学を発端に全国各地で話題となった大学の学費値上げの問題について実際に熊本大学の学長への直接のインタビュー、熊本大学内の施設におけるネーミングライツについて、そして熊本大学にて新たに設立される学部についての取材などその時その時の話題を取材、執筆してきました。
その中でも特に学費値上げの記事については実際に熊本大学の学生にアンケートを取るなど、双方の考え、現状を含めてより精密な記事の作成を行いました。
来年度からは今まで新聞社を中心で支えてきた社員らが引退してしまうこともあり、現在それぞれの業務における引き継ぎが行われています。実際にお店や企業の方から広告を頂き、新聞を発行するということの難しさを感じながら多くの人々に手に取り読んでいただける新聞を目指して日々活動を続けています。これからは新たな体制を構築しながら、より幅広いジャンルの記事を手がけていきたいと思っております。


京大新聞担当者より
23年5月、熊本大学新聞社とオンラインで交流会を実施した。先方からの依頼で実現した。打診があった時点では、熊本大学新聞はコロナ禍での休刊からの復活を目指す最中だった。その一歩として新聞制作について意見交換したいという趣旨だった。当日聞いた話は、ドラマチックなエピソードで印象に残っている。かねてからの人数不足にコロナ禍での活動停止命令が重なり休刊状態となり、「座して死を待とう」を思っていた院生が、知人に励まされ再起を期して動き出した。一方、ある別の学生が、入会を希望して連絡したものの返事を得られず、新聞が消滅したと考えて再建の道を探るべく教員に相談して回った。その教員のひとりに、復刊を目指す院生が取材を試みたことで、両者が互いの存在を認識。合流して再建にこぎつけたという。既得権益に依存している京大新聞の一員として、ほぼゼロから新聞発行を軌道に乗せようとする部員らの姿が力強く映ったのを覚えている。媒体名の略称が同じKUPという親近感もあり、今も送られてくる新聞を楽しみにしている。(村)目次へ戻る
慶應義塾大学 「塾生目線」の記事 これからも 慶應塾生新聞会・編集局
慶應塾生新聞会です。この度は京都大学新聞社様の創刊百周年を心よりお祝い申し上げます。お声掛けいただき誠に光栄です。
塾新は1969年「不偏不党」をモットーに立ち上げた団体です。現在も大学の公認団体として、大学内のイベントを始め、慶大の教授や著名人へのインタビュー、体育会の試合結果など、幅広い報道を塾生の手で行っています。
また「独立採算制」を採用し運営を行っています。大学から資金援助を一切受けず、会員による広告営業によって新聞を発行しています。
全会員数は200人程度、より中枢で活動したい会員は「局員」として、総務局、編集局、広告局、財務局、読者広報局、デジタル戦略局の6局に分かれて活動しています。
紙面作成は主に我々編集局が担当しております。それぞれが興味を持ったテーマで自由に取材を行います。時事は編集局内でも特に関心が高く、今は米大統領選やパレスチナの記事を定期的に出しています。
月によっては特集を組みます。例えば、6月は就活、8月は戦争、11月は著名人インタビューというように、毎年同じテーマで異なる記事を書いています。
企画は基本的に自由ですが「塾生目線」であることを大切にしています。昨年から慶大内のマイノリティの人権に関する企画を発足しています。これまで注目されにくかった「塾生目線」をお伝えできれば、と願っています。
最近、デジタル戦略局員の尽力により、弊紙ウェブページをリニューアルいたしました。ぜひ一度ご覧いただけますと嬉しいです。
新聞がなかなか読まれない状況ですが、時代が変わっても、学生の「伝えたい」情熱は残り続けると思います。全国の学生新聞サークルの皆さん、共に頑張って行きましょう!


京大新聞担当者より
200人程度という会員数に驚いた。京大新聞は所属人数が二十数人、実働が10人程度だ。多ければ多いで、本紙とはまた違う苦労があるのだろうと想像した。著名人インタビューが目を引くが、それに依存しないほど本数や種類の多い記事が載っている印象がある。(村)目次へ戻る
上智大学 古臭く泥臭く発行継続 上智新聞編集局・都木夢来
『京都大学新聞』をご覧になっている皆さま、京都大学新聞社の皆さま、このたびは創刊100周年を迎えられるとのこと、心よりお祝い申し上げます。新聞を読む人が多いとは言えない時代に、編集部の皆さまが質の高い紙面を作り続けていること、何より多くの人に読まれ続けていることは、大きな意義のあることです。
『京都大学新聞』に目を通すと、ニュースはもちろんですが、ニュース以外の企画や寄稿などが充実していると感じます。新聞として、ニュースを取り上げることはもちろん大切ですが、学生新聞としては、学生ならではの視点や発想によるユニークな紙面作りが欠かせません。
たとえば、2024年3月16日発行第2774号の「タテカン」に関する企画はとても印象に残っています。大学当局からの規制も含めて毎年SNSで話題になりますが、京大らしさの一つだと感じます。自分が受験生のときも、タテカンや「折田先生像」を見ながら入試会場に向かいましたが、緊張がほぐれて気持ちが楽になったのを覚えています。そんなタテカンに込められた想いや製作の苦労を、紙面を通して知ることができます。
多くの企画や寄稿が実現できるのは、それだけたくさんの人が『京都大学新聞』を信頼しているということだと思います。そしてその信頼は、ユニークな紙面作りや100年の伝統のたまものです。同じ学生新聞を発行する団体として、1人の読者として、これからも『京都大学新聞』を応援させていただきます。
◇
私たち上智新聞編集局が発行する『上智新聞』は、2025年12月に創刊65周年を迎えます。以前は毎月発行していましたが、新型コロナウイルスが流行してから隔月発行になり、2025年度は年4回の発行を予定しています。1号あたり原則8面で、ニュース面、文化面、企画面があります。文化面では美術展や科学展を取り上げていますが、これは私たちの紙面の特徴と言えるかもしれません。
私たちに限ったことではないですが、学生新聞の収入源の大半は、購読料と広告料です。しかし、いずれもうまくいっていないというのが正直なところです。新聞は、発行し続けることにこそ価値があるため、存続のために発行回数や発行部数を減らしています。
収入を得る方法に大きな課題があるのは事実ですが、収入を得るためには、紙面の質を上げることが不可欠です。企画力やデザインはもちろんですが、私たちは記事の質にこだわりを持っています。内容だけでなく、新聞にふさわしい文章の構成や表記を何より大切にしています。
紙面全体を見ればとても細かいことかもしれませんが、特別な技術を必要としないため、ある意味では一番簡単です。一方で奥深くもあり、泥臭さもあります。新聞にはいろいろな魅力がありますが、作り手としては「言葉の使い方に敏感になれる」ことが大きいです。
今の私たちには、泥臭さが必要な気がします。細かく取材をし、自分の足で営業に行き、1文字にこだわり、自らの手で配布する。新聞というメディアだからこそ、泥臭く古臭い方法が合っていると思います。これからも、新聞の特性を生かして学生ならではの発信を続けていきます。


京大新聞担当者より
学内のニュースを追いつつ、パズルやクロスワードが載っているほか、自社広告などに登場するヒツジのマスコットも相まって、親しみやすい紙面だ。「硬い」「とっつきにくい」というイメージを持たれがちな京大新聞が見習うべき要素がある。(村)目次へ戻る
筑波大学 「今」を伝え続ける 編集長・山本貴世
筑波大学新聞は1974年創刊で、昨年10月に50周年を迎えました。長年にわたって筑波大の「今」を伝え続けています。
現在の部員は約20人。取材から記事の執筆、編集まで学生主体で進めています。今年度は5回の発行を予定しており、毎週月曜の編集会議で記事選定や進捗報告をしています。
編集代表には元毎日新聞論説委員の鴨志田公男教授を迎え、主に原稿について指導していただいています。ちなみに、先生のご出身は京都大理学部。在学中は何度か京都大学新聞を読んだことがあるそうです。
毎号約2万部を発行する紙面は、主に学内総合、学生生活、学芸、オピニオン、スポーツ、特集の6つのトピックで構成されています。
囲み記事が多く、最新の研究内容や先生方のお薦め映画の紹介、期待のアスリートの軌跡をたどるなど、非常に多彩です。海外取材も積極的に行っており、昨年はマレーシア、一昨年にはオランダを訪れました。
筑波大の魅力は、一つのキャンパスに数多くの学問分野がそろっていることです。体育や芸術を専門とした学群(学部)の存在は、国公立大としてはかなり珍しいと思います。だからこそ、さまざまな切り口で学生や研究に関する記事を書くことができます。
京都大学新聞さんは今年で100年。私たちよりも倍近く続いている大先輩です。京都大の研究力に根差した記事や、作り込まれたウェブサイトが特色だと感じています。
筑波大学新聞の主な媒体は昔ながらの紙。筑波大のウェブサイトにPDF版を公開し、時折速報をX(旧Twitter)に投稿していますが、独自のウェブサイトや記事ごとのインターネット掲載はないのが現状です。
メディアのオンライン化が進んでいますが、紙の新聞にも一覧性など魅力があります。従来の紙面による発信を続けつつ、京都大学新聞さんなど他大学の新聞を参考にしながら、オンライン化も模索していきたいです。
これからも筑波大学新聞は、部員一人一人の関心と「伝えたい」という気持ちを大切にし、学生ならではの視点で記事を届け続けることを目指します。


京大新聞担当者より
京大新聞では顧問教員が編集に関与することはないため、編集代表として教員が名を連ねて指導するという点が興味深い。紙面の上部に「学内総合」や「学芸」といった印がついているのは、各ジャンルの記事を安定的に作り出す体制が整っているからこそであり、本紙が約20年前に試みて断念した部分でもある。(村)目次へ戻る
東京大学 学生の情熱を届ける 編集長・赤津郁海
まずは『京都大学新聞』の創刊100周年、誠におめでとうございます。私たち公益財団法人東京大学新聞社は、1920年の『帝國大学新聞』創刊以来、東大に基盤を置き、かつ東大からは組織的・人的・財政的に独立した立場から、知識・情報の発信、交流を行ってきました。長らく週刊紙でしたが、2020年には創部100周年を機に月刊化。現在は月刊紙『東京大学新聞』とウェブサイト「東大新聞オンライン」を中心に、東大の今に関連する情報を発信しています。就活・院進など大学生に身近な情報をはじめ、学内ニュースや最新の研究成果、部活・サークル活動での東大生の活躍も掲載しています。また、東大新聞は書籍の編集も行っております。中でも毎年夏に発売される『東大を選ぶ』シリーズは、受験から卒業後まで、東大に関する話題を幅広く掲載しており、高校生を中心にご好評をいただいています。
紙面の読者数の減少は大きな課題です。SNSなどで簡単に情報が手に入るこの時代に、紙の新聞としてあり続けることは決して簡単なことではありません。しかし、メディアとしての新聞は決してSNSに劣るものではないはずです。東大新聞は理念の一つに「東大を動かすメディア」を掲げています。一つの媒体に雑多な情報が詰め込まれている新聞には、読者に新たな発見を提供し、行動を起こす足がかりとなる力があります。東大新聞としてもそうした新聞の価値を認識し、いかに読者に届けるかを考えていくことが長く存続していくための鍵となると考えています。無料の号外である『東大新聞ミニ』の配布を開始するなど、その方策は現在進行形で模索中です。オンラインに力を入れる、記者の個性を表に出すなど、他にも方法はいくらでもあります。失敗を恐れず何度も挑戦できることは、学生のサークルとして活動する我々の特権です。同時に、サークル活動であることは記事の質においても独自の価値につながり得ます。東大新聞では時事性や話題性の高い記事も取り扱っていますが、なによりも記者の興味関心を最優先に取材・執筆にあたっています。義務感で書いた記事よりも、記者の情熱を込めた記事がきっと面白くなるはずですし、私たちもそういった記事を届けたいと願っています。現役の大学生である記者が、今何を見てどう感じているのか。これこそ、我々の社会的な価値であり、我々に課せられた使命でもあると考えます。京都大学新聞社のますますの発展を心よりお祈りしております。


京大新聞担当者より
1年前に座談会記事で編集室を訪れた際、確立された分業体制に法人らしさを感じるとともに、学生団体らしい人間味も感じた。月刊化で雑誌のような見た目に変わったのはインパクトがあった。寄稿文中の『東大新聞ミニ』のような例も含め、様々な手法を模索する「変化」の姿勢は、前例踏襲にとどまりがちな本紙にとって刺激になる。東大新聞100周年の挨拶文で「変わります」と「変わりません」を併記していたように、ブレない軸を意識しているからこそ生まれる積極性なのだろう。(村)目次へ戻る
東北大学 幅広い記事を掲載 学友会報道部編集長・渡辺湘悟
京都大学新聞は弊部にも毎号届いており、その記事の質の高さから我々も参考にさせてもらっている。100年の歴史を紡ぎ続け、現在も2週間に1回のペースで発行し、高い知名度を誇る京都大学新聞には、見習うべき点が多い。
『東北大学新聞』を発行する我々学友会報道部は、現在学部3年生8人と学部2年生2人の計10人で活動を行っている。年間では授業期間に通常号8回と特別号3回の計11回発行を行う。部員は慣例的に3年生の10月末で部を引退するため、多くは2学年体制で作業を進める。発行部数は通常号の場合3450部である。
部員は週に一度部会で集まり、記事内容の決定や進捗確認を行う。記事の内容は、友人との会話や講義内容などで自然と生まれた疑問や各部員が興味関心のあることなどを案として挙げる。そのうえで学生への影響や季節性、大学への影響や部員の好奇心などからネタ案を吟味したうえで記事内容を決定する。
記事の内容は幅広い。国際卓越研究大学や七大戦など本学に関するニュースはもちろん、仙台市博物館再開館など地域に根差した記事、故・安倍晋三氏、本学出身の伊坂幸太郎氏など著名人へのインタビューも行う。さらにはコラム、書評、部員が体を張って検証するネタ記事などさまざまである。
ある程度完成した記事や紙面には、オンライン上で部員同士が見出しや表現などのアドバイスをする「赤入れ」を行う。入稿前日には部室に集まり、記事の表現や見出しなどについて最終調整を行う。深夜までかかるのが常だ。完成した新聞は地元紙への折り込みや全国の高校・定期購読者への郵送、部局への学内便などで配送する。
小紙の歴史は1966年11月の復刊1号から始まり、今年で59年目。実は小紙も本年4月号で紙齢500号という節目を迎える。部員の少なさや認知度の低さという課題はありながらも、これからも発行ペースを崩すことなく新聞を作っていく所存である。

京大新聞担当者より
コロナ禍のある日、1面に元首相のインタビューが載っていて思わず二度見した記憶がある。隣には東日本大震災関連の取材記事が載っていた。人数規模や発行までの流れなど、本紙と似ていて共感する部分が多い一方、頒布方法などに違いがみられ、参考になる。(村)目次へ戻る
日本大学 学生認知の地盤づくり模索 編集長・丸山蒼太郎
弊紙、日本大学新聞は各学部をネットワークし「学園の連絡一体化」を第一の目的として毎月発行する全学園新聞です。昨年10月で創刊103周年を迎えました。本学は文系から理工系、医歯薬系までの16学部を擁する日本最大の総合大学であり、競技スポーツ部も大変活気があります。そのため話題には事欠かず、本学生や本学の研究を読者に届けるため、日々取材をしています。
弊社は団体名として「日本大学新聞社」としていますが、こちらは「会社」としての意味ではありません。京都大学新聞社様も同様なのではないかと思われますが、同門の仲間と活動をする「社中」としての意味を持っています。毎月1つの新聞を発行するのにも、学生記者同士が一丸となって動いていかなければ完成させることはできません。難解な研究分野の記事執筆や、なじみのないスポーツの事実確認をすることは日常茶飯事です。「学生による、学生のための新聞」の記者である私たちは、同じく学生である読者に正確でわかりやすい記事を届けなくてはなりません。そのためにも、最初の読者として仲間の存在は不可欠です。友人に「社会人」と揶揄されることもある活動ではありますが、弊社の「社」にはそんな意味が込められています。
弊紙で取り扱っている内容は大きく5つ。各学部生の受賞や研究を取り上げる「学術記事」、競技スポーツ部や付属校生の「スポーツ記事」、サークルやボランティアなどの「学生社会記事」、学生生活に焦点を当てた「エンタメ・オピニオン記事」、全学的な動きを載せる「本部記事」です。毎月6〜8面展開を基準に、内容は多岐にわたります。
また、弊紙も新聞離れを受けてか、本学生の知名度が低く、学園の一体化には遠く及んでいるとは言えません。まず、学生に弊紙を周知してもらうための地盤づくりが必須であると考えています。そのため、学術、スポーツに限らず、取材をした際にはSNSで発信を行っております。学生が日常的に利用するSNSで弊社の活動を知ってもらい、紙面や「日本大学新聞ONLINE」(弊社HP)で詳細な記事へ促すことで、本学の活躍を届けることができると考えております。SNSが発達した現代において、新聞は紙面のみを指すものではありません。あくまで、学生に本学の活躍を届けることに重きを置いております。
最後になりましたが、京都大学新聞社様、創刊100周年誠におめでとうございます。今回はこのような形で関わることができましたことを大変嬉しく思います。私たち日本大学新聞社も100年の歴史を持つ新聞として、学生のための新聞を日々届けていきます。
京大新聞担当者より
100年の歴史があるブランケット版の総合新聞という点で、現状の各大学新聞で最も本紙と似ていると言えそうだ。「社」に込められた思いなど、同様の名称を用いる団体として共感できる。一方、各部の動向を広くカバーするスポーツ記事などを見ると、エネルギッシュさに圧倒される部分がある。(村)目次へ戻る
北海学園大学 「崖っぷちは変わらず」 北海学園大学新聞編集部
こんにちは。京都大学新聞創刊100周年おめでとうございます。今回はこのような機会を設けて頂き、誠にありがとうございます。私たちは北海学園大学新聞会と言い、北海道は札幌市の北海学園大学という私立大学で年4回ほど学生新聞を作っている団体です。現在は10名ほどで活動しています。読者の皆さんのほとんどは聞いたことがない大学だなと思っておられるでしょう(笑)。当会は北海学園大学が設立された1952年に創刊した学生新聞で現在に至るまで2度の休刊を挟みつつ発行を続けています。1度目の休刊は1976年から77年にかけてです。理由は当会が過激派の御用新聞化し、お取り潰しになったからです。その後、有志の学生によって復刊し2019年まで発行を続けていました。
2度目の休刊は2020年から23年までです。理由はコロナ禍でした。22年まではサークルの活動に厳しい制限が課されました。例えば普段は部室があり、そこで紙面編集などの発行作業をするのですが、当時はそこにも立ち入ることが出来ないという有様で当会は崖っぷちの状況でした。そんな紙面での発行が出来ない中でしたが、先輩方は22年からメディアプラットフォームの「note」でオンライン記事の配信を開始しました。これは現在でも更新を続けており昨年には累計1万PVを達成しました。23年になると現2年生が入会します。しかし23年にもなると紙面発行のノウハウを持つ先輩方が卒業しており、紙面復刊はまさに手探りの状態からのスタートでした。1年かけて記事を集めて1名のOBの方に紙面編集を託し、タブロイド判かつ4面という構成でしたが24年の3月に復刊を成し遂げました。以後2年生も編集ソフトの使い方を学び、自力で紙面づくりを出来るまでにはなりました。レイアウトについては、コロナ禍前のものを単純に踏襲するのではなく、一般紙や他大学の学生新聞を参考にしながら、発行のたびに少しずつ改良を加えています。特に京大新聞さんは参考にさせて頂いています。
紙面の内容としては社会・文化・スポーツそれぞれ適性がある会員がおり奇跡的にバランスが取れています。
今後の課題としては人員です。コロナ禍から抜け出したとはいえ、新聞という堅いイメージか不人気で人員がまったく足りず、現2年生が就職戦線に赴くようになると新聞発行が滞るようになることは確実という状況です。編集部内では3度目の休刊が頭をよぎります。当会の運命は今年の4月の新歓にかかっているという崖っぷちの状況が続いています。
こんな当会ですが今後も数少なくなってきた学生新聞の歴史を絶やすことないよう努めていきたいと思います。
京大新聞担当者より
手探りで紙面発行のノウハウを身につけるのがいかに大変かは想像に難くない。春先に人員の面で不安に駆られるのは京大新聞も同じで、他人事とは思えない。最新号を見ると、スポーツから調査記事まで幅広い。節目の300号の発行を控えているということで、熱意を受け継ぐ者が現れることを祈る。(村)目次へ戻る
立命館大学 学生のための報道 一途に 主幹・小林秀太
創刊100周年を迎えられたこと、同じ京都の学生新聞として、立命館大学新聞社一同、心よりお祝い申し上げます。
学生による学生のための報道を担ってこられた皆さまの並々ならぬご努力に、改めて深甚なる敬意を表します。
1945年12月創刊の小紙と京都大学新聞は、今から50年ほど前、学生新聞では当時珍しかった共同企画を行ったことがあります。京都大の平澤興学長(当時)と立命館の末川博総長(当時)の対談を双方の学生新聞が設け、記事を同時掲載するものです。
当時の社員は、発行ごとに送られてくる新聞を見て、常々競い合いながらも、共通した意気込みを感じていたと書き残しています。
その後1968年ごろに「新聞社事件」と呼ばれる全学共闘会議による暴力事件が発生。学園紛争も続き、小紙の旬刊発行は途絶えました。
現在、小紙は紙面発行の規模を年5回に縮小しています。それでも全ての学生のための新聞を目指して、報道に努めてきました。
対面授業や課外活動が制限された新型コロナウイルス禍には、学生に対し調査を実施し、学生の約3割が休学を検討していると報道し、問題提起することができました。
近年では、大学の各部署に取材する傍ら、読者の視野を広げる存在として、大学外でも精力的に取材しています。
正課外で活躍する学生の姿を伝えることで大学生活の目標を考える材料とし、自由な挑戦のきっかけをつくることが、学生のための新聞の一つの使命であると考えています。
学生を巡る情勢を報道し、学生や社会に提起することは、これからも学生新聞の第一の使命です。新聞の読者が減る中で、小紙はインターネットやSNSも活用し、さまざまな人に届けようと尽力しています。真偽の分からない情報があふれるSNSが存在感を高めている中で、学生のため、学生目線で学生が取材・報道する学生新聞は、より重要性を増しているのではないでしょうか。
学生のための報道をけん引する存在として、京都大学新聞のますますのご発展を祈念しております。


京大新聞担当者より
寄稿で言及される末川氏は、京大新聞の創刊号に論考を寄せており、本紙とも関わりが深い。共同企画後も、立命館大学新聞からのアピール文を本紙に載せる(71年2月)など浅からぬ縁がある。最近の紙面を見ると、調査報道に加え、寄稿にあるように学生の日常生活に関わる話題も取り上げるなど模索の色がうかがえる。(村)目次へ戻る
参考 卒論にみる「学新」
昨年度末にかけて、専修大学4回生だったYさんは大学新聞を題材に卒業論文を執筆した。各大学新聞にアンケート取材を実施しており、本紙も依頼を受けて回答した。その調査によれば、スポーツ専門紙を除く大学新聞が現在も活動していることを確認できた大学は、全国で32校だったという。
一方、かつては全国学生新聞連盟(全学新)なる組織が存在し、本紙の記事によれば1950年の時点で200を超える大学新聞が加盟していた。非加盟の新聞がさらに100以上あったとされていることもふまえると、70年以上の時を経て全国の大学新聞が激減していることがわかる。
Yさんは単純な数の減少に加え、求められる役割を果たす新聞の数にも着目している。その分析の観点として資金源を挙げ、大学から援助を受けている大学新聞は、大学で起きている問題を紙面で追及するのを避ける傾向にあると指摘している。そのうえで、ヒアリング調査から、大学新聞にはジャーナリズムを担う意欲が求められるという旨の発言を援用し、そういった部分にやりがいを見出すことで、役割を果たすとともに構成員のモチベーション維持にもつなげられると説明している。
全国的に大学新聞の数が減っているとはいえ、今回の本紙の依頼に際して各地から意欲的な寄稿が集まり、卒論のテーマにするほどに関心を寄せる学生がいるという事実を前向きに捉え、希望を見出したいところだ。(村)