インタビュー

上野吉一 東山動植物園企画官、元霊長研助教授 「動物福祉がつくる動物園の未来」

2007.11.16

この度、動物福祉の研究で知られる上野吉一氏が、京都大学霊長類研究所(愛知県犬山市)准教授から、東山動植物園(名古屋市千種区)の企画官に就任した。研究者から動物園企画官への転身は国内では大変珍しく、当初から注目されていた。この人事は、同動植物園が2016年度までに約500億円を投じて行う再生プランによるもので、上野氏はこの再生プランを支えるキーパーソンとして、今後の活躍が期待されている。今回、その上野氏に動物福祉と動物園改革について直接話を聞くことができた。(灯)

―今回、研究所を離れて動物園企画官という動物園運営に直接携わる立場へと転任された動機を聞かせてください。迷いはなかったのでしょうか。

私はこれまで、主に実験動物や動物園の展示動物を対象に動物福祉の研究を行ってきました。ここへ赴任してくる以前は、犬山にある京大の霊長類研究所で研究していたのですが、大学における研究というのは、応用的ではあるけれども基礎研究的な立場をとることになります。しかし、福祉というのは実際にそれをやってみて初めて見えてくる面もあります。そういう意味で、今までの研究を具体的に形にできるチャンスと考えたのが今回の話を受けた動機です。

東山動物園とは、これまでにも研究などで関わってきましたし、事前に何度か話もした上で決断しました。その決断をするにあたっては、やはり東山動物園が今、再生計画という大きなプロジェクトを持って動物園を作り替えようという姿勢で動いている動物園だったのが重要なポイントでしたね。

ただ単に動物園であればいいということではなく、高い目的意識を持って展開できるような場でなければ移る意味がないので。
 
―東山動植物園に赴任して来られて、大学での研究と現場で実際に見聞きすることとで何かギャップを感じたことはありますか。

動物にプラスになるような方法を使いましょうという動物福祉の考え方は、同時に動物を管理する人間にとって作業量が多くなることを意味します。エサをやって掃除をして、もちろんそれだけが今の飼育担当の人がしている全てではないけれど、それ以上に作業が増える。

例えば、エサを隠すだとか、エサをあちこちに置くだとか、動物にとってなるべくストレスが少ない方法で展示施設へと動物をシフトするだとか、一つ一つの作業に非常に労力がかかります。現場の飼育担当の人たちがそうしたことを嫌がっているわけではないけれど、動物福祉を考えて実行していこうとするとそういった大変さがありますね。
 
―それは展示施設に関しても言えますか。

そうですね。東山動植物園の展示はまだまだ古いタイプの展示スタイルが多いですが、そういったものを今後、新しいスタイルのものへと変革していかなければならないという自覚しています。新しいスタイルというのは、見栄えが良いだけではなく、動物の側に立った思考というのが必要になります。

動物園には、展示動物としての野生動物を人々に見せていかなければならないのだという使命があるため、動物を飼育していかなければなりません。しかし、そうだとしても、彼らの生活を最大限に考えてあげなければならない。いろいろな制約、特に空間的制約のため、野生と同じような生活空間の中で飼うなどということはできません。野生に比べれば非常に狭い空間ですが、ときには人工的な方法を使って彼らの要求に少しでも応えることができる方法をとっていかなければならないのです。

行動学から動物福祉へ

―人間と動物の双方が野生を疑似体験する場を構築していくということですか。

野生を完全に再現することは動物園という施設の中では不可能なので、常に動物のことを十分配慮して、動物の種に合わせた環境に対する要求を満たしてあげるように最大限に工夫をしていかなければなりません。

しかし、動物園は人々に動物を見せるための施設ですから、動物にだけよければいいのかって言うとそうではない。動物のためだけではなく、見る人にとってもプラスにならなければならない。見る人がある種の野生を疑似体験することにより、野生で生活する動物や生活する自然環境の大切さに思いをはせるきっかけを作ることができると思います。そうした環境教育という機能も、これからの動物園にとっては重要な役割といえます。

動物に話を戻すと、動物が必要とする環境の機能を作り上げるということに対して、決してこうすればいいという明確な答えはありません。まさにそれが研究とリンクしていく部分なのですけれど、動物の野生での生活を参考にしながら、それを展示施設という限られた空間の中でいかに構築し、動物の環境との関わりを少しでも深めることができるよう工夫をしてあげる。

まあ、これを動物の野生の「疑似体験」といえば言えるかもしれませんね。いろいろな試行錯誤を繰り返していかなければならないという側面はまだまだ多く、その中で工夫をしていく段階です。
 
―大学院では文学部に行かれたそうですね。動物福祉を研究することになった経緯を聞かせてください。

もともと行動学をやろうと思っていて、農学部ではそれを専門である化学に結び付けたいと考えていました。始めはフェロモンを研究しようと考えていたのですが、結局卒論は研究室のテーマの一つだった植物病理学で書きました。 そこから大学院は動物心理学と動物行動学を勉強するために文学研究科心理学系に行きました。最初は専門の化学と行動、嗅覚や味覚の研究をずっとしていました。京大の霊長類研究所では、サルを使って嗅覚の研究で学位をとりました。行動学あるいは心理学というのはある種、動物の側に立つというか、動物の「心」を考える、彼らがどう捉えている、どう感じているかを考えることになります。

そして、研究で北海道の動物園を訪れる中で、動物園で飼われている動物は何か問題があるなと感じ、それを何か考えるような研究はできないかと考え始めました。

そのころから、日本ではまだ十分浸透していませんでしたが、世界的に環境エンリッチメントという考え方が広まり始めていました。そういった背景もあって彼らの生活・要求というものを理解して、それを実際の飼育下でどう応えることができるか、ということを研究し始めました。

そして次第に嗅覚や味覚の研究から、動物福祉へとシフトしていきました。
 
―その動物福祉の研究が今後、動物園にどのように応用されていくのでしょうか。

これからの動物園は、動物福祉を無視しては成り立ちません。動物を見せなければならないとしても、彼らをいい状態で飼育していなければ、動物園が果たすべき「教育・研究・種の保存」といった三つの役割を満たすことができませんから。ただ檻に動物がいるだけではなく、彼らの生活、野生の生活というものをある種実感できるような展示の工夫が必要です。それは、景観がジャングルに似ているだとか、サバンナに似ているだとかといった単に見せるためだけの工夫だけでは不十分です。

それよりむしろ、彼らが必要としている環境の役割、機能というものをどう充実させるか、それで彼らの生活というものがどう表現されるかというものを見てもらう。それで環境教育を進めていくといったことがこれから重要になっていくでしょう。それは決して動物園の動物だけに限ったことではなく、これから人が動物を飼育していく上でほとんど不可欠になってくるのです。
 
―動物福祉が実現されているかどうかはどのように評価するのですか。

それは現実には非常に難しい問題です。動き回っていれば生き生きしているのかというと、「常道行動」と呼ばれる異常行動もあるようにそうとばかりは言えない。しかし、行ったり来たりすることがすべて異常行動かというと、人間で言う貧乏ゆすりのように単なる癖かもしれない。評価するのはまだまだ難しいところがあるのだけれど、ひとつは行動のレパートリーを見ることが重要です。

実際に彼らはいろいろな行動をしますが、その行動のレパートリーにどのようなものがあるかを観察します。また、その行動レパートリーがどのような割合で表出しているかという時間配分。それとその行動を主体的にやっているかどうか。えさを隠すだとか、おもちゃを与えるだとか、いろいろな環境に関わるチャンスをたくさん与え、その行動を主体的に行っているかどうかを評価します。

そして同時に、そのような行動的な側面ばかりではなく、コルチゾールといったストレスマーカーを使って生理的なストレスの度合いを調べるということも重要です。

「種の箱舟」をつくる

―これからの動物園が果たすべき役割について聞かせてください。

この東山動植物園再生計画の一つのコンセプトとして「人と自然の架け橋になる」というのがあるのですが、まさにそういうことです。動物園が動物を見せるためだけの場としてではなく、都市に住む人たちにとって自然というものを意識する一つのきっかけになるような動物園にしていくことが必要なのです。

それは、動物に対する教育も含めた環境教育と、その中できちんといろいろな研究をし、研究した情報をきちんと動物園の中で発信する。伝え方はいろいろあるけれど、動物園という、動物に強く関心を持って集まってくれる人たちがいる場で伝えることが効果的なのです。

あるいは繁殖ということに関して言えば、野生動物をきちんと繁殖させることのできる施設というのは当然動物園しかありません。そのため、動物園という「種の箱舟」とも呼ばれる施設で、きちんと種を維持していくことが必要となってきます。それは単一の動物園がただ独自に頑張っても難しく、様々な動物園と連携してやらなくてはなりません。場合によっては将来それを野生復帰させるということもあるかもしれませんし、そもそもの展示動物を考えたときに、野生から収奪してきて展示するなどということはもうしてはいけません。

そうすると、動物園で展示する動物というのは、日本の動物園、あるいは世界の動物園と連携して、きちんと繁殖をしなければならない。それもただ生まれればいいのではなく、遺伝的に健全な、つまり同じ血筋の子供だけを作るのではなく、遺伝学者などの協力を得て、健全な繁殖がこれからは必要になってくるのです。
 
―そのような動物園としての使命を果たしていくことがこれからの展示の要となるのでしょうか。

見せるということだけではなく、動物園が果たさなければならない役割をきちんと充実させることができる動物園になっていくということが、これからの動物園の売りになっていくでしょう。

少なくとも世界標準で考えられるような、見せる部分だけではなくて、その裏にある部分、研究や福祉を充実させる。動物を見るだけではなく、動物を見ることによって、動物が置かれている環境に対して問題意識を持ってもらうことができるような展示を考えることが必要です。

動物園が窓口になって、具体的な環境保護活動に参加してもらう、あるいは動物園そのものがそういう顔を持たなければならないということです。見せて終わりなのではなく、実は動物園は人と自然の架け橋になって、資金や人材を投入して環境保護の第一線に立たなければならないのです。
 
―最後に、動物園改革への意気込みを聞かせてください。

これまで日本の動物園では、動物学や行動学で学位を持って入ってきた研究者はいません。そういった人達を取り込んでいくという組織の見直しという意味も含め、これからの動物園を考えていく上での新しいモデルになっていきたいと考えています。

―ありがとうございました。

《本紙に写真掲載》


うえの・よしかず 1960年生まれ。岩手県出身。北海道大学農学部卒業。北海道大学大学院文学研究科修了。博士(理学)。北海道大学実験生物センター助手を経て、2000年より京都大学霊長類研究所付属人類進化モデル研究センター准教授。専門は、味覚・嗅覚に関する比較認知行動学、動物福祉学。動物(ヒトもその一種)の“心”や、動物の視点に立った福祉などを研究。主な著書は『グルメなサル 香水をつけるサル』(講談社)、『心の進化-人間性の起源を求めて』(共著、岩波書店)ほか。