複眼時評

山田晃三 国際高等教育院非常勤講師「演劇体験から知る中国」

2025.03.16

山田晃三 国際高等教育院非常勤講師「演劇体験から知る中国」

昆劇「夜奔」の林冲を演じる筆者(山田先生提供)

北京で四半世紀暮らしていました。中国の情報が乏しかった時代、現地の人たちがどんな生活をしているのか見てみたい、という単純な好奇心で留学したのが始まりでしたが、留学前、周囲からは「研究テーマは何か、計画は立てているのか」と何度も問われ、反論できるほどの考えも自信もなく、もやもやした気持ちで出発しました。

留学後しばらくして中古自転車を購入し、日々街へ繰り出すようになりました。当初は授業に出て毎晩遅くまで机に向かっていたのですが、これでは北京まで来た意味がないと強く思ったからです。そのうちひょんなことから画家と知り合い、そこから友人がどんどん増え、あちこち飲みに行ったり、テントを持って旅行に出かけたりするようになりました。

そんな時に出会ったのが昆劇でした。歌あり、踊りあり、立ち回りありの芝居に魅了され、自分も挑戦したくなり、当時はカルチャー教室などなかったので、芸大に留学中の友人を頼って先生(俳優)を探してもらいました。当時は物価が安かったので、苦学生の私でも個人レッスンが受けられました。

稽古は基本動作の型から始まりました。伝統演劇の舞台上は基本的に机一つと椅子が二脚のみで、場面の状況は俳優の動きや台詞で表現しなければならず、一見すると複雑な立ち回りも実は型を繋いで演じています。そのため型の習得は重要で繰り返し練習しました。また、伝統演劇ではあらゆる動作が弧を描いているのも特徴の一つです。

基本動作が終わると芝居の稽古に入りましたが、適当な稽古場がなかったので、かつて御苑だった北海公園の池のほとりで練習しました。夏は柳が揺れ、水面に浮かぶ蓮の花がきれいでした。練習していると、散歩にやって来たお年寄りにあれこれ指摘されたり、いつの間にか顔を覚えられたらしく街で見知らぬ人から突然声をかけられたりすることもありました。

やがて地道な努力が実ってか、舞台に立たせてもらえるようになり「日本朋友」と大事にしてもらいました。多くの中国人が無関心な伝統演劇を外国人が学んでいたからだと思います。それが2001年に昆劇が世界無形文化遺産に登録されると、政府が昆劇の保護に乗り出し、企業も経済成長の波に乗って芸術に投資し始め接待で観劇するようになるなど、昆劇を取り巻く環境は一変したのでした。

一方、これまで多くの演目を演じてきましたが、最も難しかったのは水滸伝でおなじみの林冲の一人芝居「夜奔」です。乱暴に言えば、伝統演劇は型を繋いでいけばそれなりに演じられるのですが、この芝居は林冲の複雑な心理を歌と舞いで表現できないと目の肥えた観客をうならせられません。どうすれば型に魂を込められるか、俳優の力量は「眼神」といって目に現れるため、動作をつけず目の動きだけで演じてみたり、ひたすら歌詞を書き写したりしました。そうした修練と年齢を積み重ねてようやく「型を破る」という意味が理解できるようになり、その後、台湾公演に声をかけてもらったり、子供の指導を任されたりするようになりました。帰国した今、舞台に立つ機会はなかなかありませんが、他大学で実技を教えています。

また北京滞在中は、現代劇やテレビドラマ、映画にも出演しましたが、忘れられないのが2005年に参加した舞台での経験です。当時日中関係が悪化し北京でも反日の嵐が吹き荒れ、稽古中も居心地はよくありませんでした。ある時、伝統演劇の型を演技に応用したところ演出家の好評を得たのですが、共演者たちからは演技が大げさと酷評され、なかには「私は日本製品なんて買わない!」と言ってくる人もいました。オーディションに合格した外国人は私一人でしたので疎外感を味わっていましたが、稽古をしていくうちにだんだんと中国人の人間関係が見えてきて、それは自分に対する態度よりずっとシビアでした。このとき中国社会の厳しさを深く感じました。

芝居以外でも、ボランティア活動でチベットへ赴き高山病に罹ったり、通訳で日本側と中国側との考え方の違いで板挟みになったりと様々な経験を積みました。そんな私に今度は「あれこれ手を出さず一つに絞ったほうがいい」と言う人もいましたが、今はあれこれ手を出してよかったと自負しています。中国は広大です。一握りの似通った環境の人たちと交流していては理解できません。現地で興味を持った世界に飛び込み、内側から中国を見てきたことで、中国社会や人間関係の複雑さを感じ取ることができ、それが今の私の中国理解の礎となっています。

振り返れば、留学前に目的を絞らなかったからこそ、知らなかった世界や価値観に触れることができたと思います。嫌なこともありましたが、そうした時こそ異文化を深く考える絶好のチャンスです。皆さん、留学に限らず興味のあることにはどんどん挑戦してみてください。中国に「車到山前必有路」ということわざがあり、私は「人生何とかなるもんや」と訳しています。応援しています。

山田晃三(やまだ・こうぞう) 国際高等教育院非常勤講師。専門は日中関係・中国伝統演劇