複眼時評

小山智朗 京都先端科学大学人文学部教授「『できないって意味ない!?』~『魔女宅』と『不如意』のお話し~」

2025.02.16

この度は貴重な機会をありがとうございます。「ところで……アンタ誰?」って?私はアヤシイものではありません。きっと。いや、たぶん……笑。

私は京都先端科学大学の教員で、京大では「教育心理学Ⅰ」「教育心理学Ⅱ」を担当しています。これまで20年ほど街場のカウンセラーとして悩みを抱えた方と会ってきました。その悩みの大半は「鬱で仕事に行けない」「不登校になった」「いじめられた」「受験に落ちた」といった、いくら頑張ってもどうしようもない現実や限界に関するものでした。この「どんなに努力をしても、どんなに知恵を絞っても、どうしようもない現実」を仮に「不如意」と名付けましょう。

「いやあ、僕は京大でもトップだし、イケメンだし、不如意なんて関係ないね」……そんなアナタ!ぜひ私の講義を取ってください。単位を落として差し上げるので、不如意を体験できますよ(笑)。

冗談(?)はさておき、そもそも人生は寿命や病や能力の限界、思い通りにならない人間関係といった不如意が付きものです。「コヤマ先生、分かったけど、話しが暗いよ、暗すぎるよ……」って?でも不如意に出会うことは成長につながることも多いんです。

スタジオジブリの『魔女の宅急便』は、「不如意」との関わり方を教えてくれます。

主人公は見習い魔女のキキです。修行前のキキは皆に愛され何の悩みもありません。無邪気で屈託がなく、自信に溢れ、本人曰く「素直で明るい」ありかたでした。

しかし、それは自らの力を過信し、人の気持ちを汲めない「お子ちゃま」でもあります。幸福な赤ちゃんは、周囲が不快(おむつが濡れた等)を取り除いてくれ、快(ミルク等)を提供してくれます。ただ赤ちゃんは、そんな人のことを思いやることはありません。同じように、自分の手足のように思い通りに動いてくれる時、相手の気持ちを慮ることはありません。「右手くん、今日はめっちゃ痒いとこ43回も掻いてくれて、ホンマおおきに!」なんて感謝しませんよね、普通。

そんなキキは修行先で、不如意に直面していきます。どれだけ愛想良くしても歓迎されない、頑張っても失敗する、好きな男の子に仲良しの女の子がいる…。キキはすっかり自信をなくし、悩みに打ち沈みます。「全然成長してないじゃん……コヤマ先生、やっぱアヤシイ……」って?

チッチ、まだ甘いな、若造め(笑)。この頃からキキは、旅立ち前のハナモチならない態度が影をひそめ、謙虚になっていくのです。また、健康を害して初めてその有難みが分かるように、キキは支えてくれる人の有難みに気付いていきます。だからこそ、周囲に感謝するようになるのです。

さらに、物語の後半では「魔法が使えない」という最大の不如意に直面します。ここで友人の画家ウルスラに相談したのも、キキの成長を示します。「相談するって弱いんじゃね?」って?……まだまだ甘いぞ、若造め(笑)。そこには、自分の限界まで独力で頑張れる強さ、かつ自分の手に余る時は、他者を信頼して自分の弱みをさらけ出せるという逆説的な強さがあるのです。

では、2人の会話に耳を傾けてみましょう。飛べないことに悩むキキに、ウルスラは絵となぞらえながらこう指南します。(編集部注:以下、会話文は『フィルムコミック 魔女の宅急便4』(徳間書店)を参照)

「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて 描いて 描きまくる‼」

まずは「ジタバタ」すること、つまりがむしゃらな努力の大切さを伝えます。

「でもやっぱりとべなかったら」
「描くのをやめる。散歩したり景色を見たり昼寝したり……なにもしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

ただ、それで埒が明かない時には遠心的な活動を止め、心のエネルギーを内側に向かわせる大切さを示唆します。

「絵描くの楽しくてさ。ねるのがおしいくらいだったんだよ。それがね、ある日全然描けなくなっちゃった。描いても描いても気に入らないの。それまでの絵がだれかの真似だってわかったんだよ。どこかで見たことがあるってね。自分の絵を描かなきゃって……」
「苦しかった?」
「それはいまも同じ……でもね、そのあとすこ~~し前より絵を描くってことわかったみたい」

ウルスラは知恵の言葉を授けます。不如意にぶつかって悩み、苦しみ、足掻くことは無意味ではなく、その体験を経て絵を描くことに自覚的になれることを、そして真の創造性に近付けることを。

「わたし魔法ってなにか考えたこともなかったの。修行なんて古くさいしきたりだと思ってた……今日あなたがきてくれてとてもうれしかったの……わたしひとりじゃ……ただジタバタしてただけだわ」

キキは、魔法について「無自覚だったことを自覚」したわけです。それで魔法について深く考えることになります。また自覚的に魔法を身に付けられたなら、今度は「自分で掴み取った能力」となります。

幼い頃から「神童」「天才」とされた人の大半が思ったほど大成しないのも、この辺りに関連がありそうです。彼らは考えなくてもできてしまうので、スランプに陥ると抜け出し方が分かりません。少なくとも良い先生にはなれないでしょう。できない人の気持ちが分からないし、できるようになる道筋を教えられないからです。

キキは私たちに身をもって教えてくれました。不如意を乗り越えるには、悩み、ジタバタあがき、時に周囲に助けを求めることを。その足掻きの中で、謙虚になれ、人に感謝できるようになることを。そして自覚的に乗り越えることで、創造性に近付けることを、です。

……なんて言いつつ、私の講義では不如意を味わわないよう、しっかり勉強すること(笑)。



小山智朗(こやま・ともあき) 京都先端科学大学人文学部教授。専門は心理臨床学