複眼時評

河島思朗 文学研究科准教授「文学は実学だ!」

2025.01.16

「今日学校はどうだった?」「先生が『・・・』って言って、みんなを笑わせたの!」なんの変哲もない日常会話のようだが、これは人類が培ってきた文学を実践している。

紀元前8世紀頃、古代ギリシアの詩人ホメロスが叙事詩『イリアス』を作った。全24巻の長大な物語で、ギリシア神話の英雄や神々が活躍するトロイア戦争を描いている。『イリアス』はヨーロッパにおいて《現存する最古》の文学作品であるが、《最初》の作品ではなかった。そのことは、文学作品として高い完成度を持っていることからも、うかがえる。たとえば、1万5千行を超えるすべての詩行はダクテュロス・ヘクサメトロスという韻律を持つ。つまり、すべての行が同じリズムで歌いあげられている。それぞれの詩行は単調な説明文ではなく、直接話法による臨場感あふれるセリフや、客観的視点を提示する語り手の挿入など、多様な表現を用いる。韻律に合わせるために作られた定型表現も、長く培われてきた文学伝統の継承を裏付けている。作品の構成に関しても工夫が多い。トロイア戦争は10年間続いた戦いであったと伝えられるが、『イリアス』はほんの数日の出来事、突発的に起こった不測の事態を描く。これは、物語の初めから終わりまでを描くのではなく、出来事の途中から語りだす文学技法(イン・メディアース・レース)であり、現代の小説や映画にもしばしば用いられている。

ホメロス以後も文学作品はつねに作られ続けた。ギリシア悲劇や喜劇、竪琴や楽器に合わせて歌われる抒情詩、散文で語られる小説など、古代ギリシアには多様な文学形式があった。その形式はヘレニズム文学やラテン文学(古代ローマの文学)に受け継がれ、発展する。ちなみに、「文学」というと難しい小説や純文学といったものを思い浮かべるかもしれないが、それは文学形式のごく一部でしかない。文学は「言語で表現された芸術」を意味する。必ずしも書かれたものだけではない。たとえば、悲劇や喜劇のような舞台芸術も含まれる。『イリアス』は口承叙事詩であったので、文章を読むのではなく、聞いて楽しむ文学だった。古代ギリシアやローマにおいては、歴史書のような、いわゆるノンフィクションも重要な文学とみなされていた。現代でいえば、映画やテレビドラマやマンガも含まれるだろう。通学のときにヘッドフォンから流れる歌詞のついた音楽。それは古代ギリシアから続く抒情詩の伝統を受け継いでいる。わたしたちはスマートフォンのなかに多くの文学作品を持ち歩いているのだ。

文学の歴史は長い。ホメロス以前から、現代にいたるまで、わたしたち人類は文学を作り続けているし、文学とともに歩んできた。流行の歌、ドラマ、ポスターに書かれたキャッチフレーズ。生活のなかで、文学に触れない日はない。

それどころか、冒頭で示したように、わたしたちは文学表現を、日々、使用している。たとえば、臨場感をもって語ろうとするとき、直接話法を用いながら他者の言葉を再現する。これは文学に使われる典型的な表現技法だ。あるいは、恋人に愛を伝えようとするとき、どのような表現を用いるだろうか?法律を表す言葉、新聞や業務日誌のような報告文、数式?いや、ときに陳腐かもしれないけれど、歌詞や映画のセリフのような表現を駆使して気持ちを伝える。あるいはまた、わたしたちが悲しみを表現しようとするとき、「悲しい」という言葉だけでは足りないと感じる。「心が痛い」「体が引き裂かれる」「大地に沈み込むようにつらい」……このような比喩もまた、文学に特徴的な表現技法だ。感情を表すことはとても難しいが、少なくとも文学的表現を駆使して、あるいは模倣して、表現しようとする。文学が感情を描こうと試みてきたことを、わたしたちは知っているから。

感情を表現できる、感受できる、あるいは生み出すことができるように、人類は文学という営みを絶えず必要としてきたのだ。

文学研究は、感情を言語で表現する文学作品を分析し、その表現を読み解こうとする学問である。それは間違いなく「実学」だ。わたしたちが生きていくなかで、誰かに思いを伝え、大切な人の悲しみを共有できることほど、重要なことがあるだろうか。わたしは古代ギリシア・ローマで作られた文学を研究している。はるか遠い、はるか昔の文学を研究対象としているが、それは、いま生きているわたしたちを研究することに、たしかに結びついている。

河島思朗(かわしま・しろう) 文学研究科准教授。専門は西洋古典学