大山修一 アジア・アフリカ地域研究研究科教授「偶然を必然に変える」
2024.11.16
サハラ砂漠の南側、サヘルという地域にニジェールという国があります。この国では砂漠化が深刻な問題で、人々が飢餓や貧困にあえいでいます。昨年の7月にはクーデターが起きて、軍事政権が誕生し、ロシアとの関係を深めていることもあり、日本人が渡航しにくい状態です。
わたしは20年以上にわたり、ニジェールの荒廃地にゴミをまき、緑化をつづけています。砂漠化した荒廃地に厚さ5㌢、1平方㍍あたり50㌔のゴミを投入します。1年目には、かならず作物が生育してきます。それは、脱穀作業で地面に転がった種子がゴミになり、荒廃地にまかれることで、雨季に発芽するのです。人間がその作物を収穫したあと、そこに家畜を入れて、家畜は植物を食べて糞をします。
2年目以降には、風で飛ばされた草本の種子、あるいは家畜の糞から樹木の種子が発芽して生長し、家畜の飼料となります。3年目には小さな潅木が生え、5年目には木の茂みになっていきます。10年も経過すると、りっぱな森林となり、その林床に草が生えて、ウシやヤギ、ヒツジが食草します。
わたしは昨年8月から、研究仲間や学生アルバイトの力を借り、ウェスティン都ホテル京都で食品残さを材料にコンポストをつくっています。水を入れないことから、ドライ・コンポストと名付けています。土と米ぬか、鶏糞を材料とし、1週間、放置し、仕込みます。そのあと、毎週火・木曜に自転車で通い、10㌔ほどの食品残さを受け取り、資材に混ぜ込んで堆肥にします。
材料の土は、観葉植物を枯らした植木鉢の土でもいいし、庭の土でも、ホームセンターで買った黒土でもよいのです。米ぬかはコイン精米機から無料でもらいます。土と米ぬかを混ぜると発酵がはじまり、2日ほどで温度が55℃まで上昇します。鶏糞を入れると、高温状態が続きます。
1週間すると、気温くらいにまで温度が低下し、そこから食品残さを入れます。ゴミを入れると、40℃以上に温度が上がり、分解が進みます。コンポストの状態をみながら、投入する食品残さの量を調整します。水分が多くなると、腐敗臭がきつくなり、投入する食品残さを減らします。混ぜるときには機械をつかわず、スコップを使って、五感をたよりに、においや水分の状態を見極めます。
資材と同じ重さの食品ゴミを入れると、温度上昇はゆるやかになり、分解も遅くなります。そうすると、2週間、ゴミの投入をやめてコンポストを熟成させ、畑に施用します。ホテルで作成したコンポストは、城陽市のいちじく生産者に使用され、そのいちじくはホテルに買い取られ、レストランでタルトやジャムとして提供されます。わたしの畑にもコンポストを施用し、ピーマンやなす、たまねぎ、モロヘイヤなどは大きく育ち、味もよいように感じます。小さな循環の輪ができあがります。
このドライ・コンポストとの出会いも、偶然でした。京大のキャンパスで放置されている植木鉢の土を自宅マンションに持ち帰り、ホームセンターで購入した36㍑のたらいに土を入れて米ぬかと混ぜると、2日後には60℃にまで発熱したのです。植木鉢の土は、猛暑でからからに乾燥していました。微生物の分解活動には水が必要だと思い込んでいましたが、まったく水が必要なかったのです。どんな土であっても、米ぬかを入れると、かならず熱を発し、その後に生ゴミを入れれば、すばやく分解し、生ゴミは消えていきます。何度、繰り返しても、同じことが起きます。偶然と思ったものが、必然に変わったのです。
来年3月16日まで、金沢21世紀美術館の特別展「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」で、コンポスト・ハウスという作品を展示しています。アーティストの保良雄さんとの共同作品で、ホテルの食品残さを材料にコンポストをつくり、その発酵熱で温室内を温めてバナナを育てています。たびたび雪が積もる、寒い金沢でバナナが越冬できるのでしょうか。研究でも、アートでも挑戦しつづけ、偶然と思えるものが必然に変わるところに、おもしろさがあります。
わたしはアートと縁がなかったのですが、形のないものを論文にしろ、作品にしろ、形にしようとするところに共通点があり、楽しさがあることに気づきました。わたしの研究スタイルは「泥臭く、根気づよく」をモットーに、ニジェールの都市でゴミを集め、それを運び、荒廃地にまいてきました。
今は、ニジェールとともに、ザンビアやガーナ、ジブチなどアフリカの各地で、そして京都市内で食品残さの有効活用を通じ、自然再生や環境修復、農業生産の向上に取り組んでいます。成果がみえるまで時間のかかる仕事で、粘り強さが必要ですが、地球環境の問題が叫ばれ、各地で異常気象も頻発していることもあり、時代の要請を感じながら、研究活動に取り組んでいます。
大山修一(おおやま・しゅういち)
アジア・アフリカ地域研究研究科教授
わたしは20年以上にわたり、ニジェールの荒廃地にゴミをまき、緑化をつづけています。砂漠化した荒廃地に厚さ5㌢、1平方㍍あたり50㌔のゴミを投入します。1年目には、かならず作物が生育してきます。それは、脱穀作業で地面に転がった種子がゴミになり、荒廃地にまかれることで、雨季に発芽するのです。人間がその作物を収穫したあと、そこに家畜を入れて、家畜は植物を食べて糞をします。
2年目以降には、風で飛ばされた草本の種子、あるいは家畜の糞から樹木の種子が発芽して生長し、家畜の飼料となります。3年目には小さな潅木が生え、5年目には木の茂みになっていきます。10年も経過すると、りっぱな森林となり、その林床に草が生えて、ウシやヤギ、ヒツジが食草します。
わたしは昨年8月から、研究仲間や学生アルバイトの力を借り、ウェスティン都ホテル京都で食品残さを材料にコンポストをつくっています。水を入れないことから、ドライ・コンポストと名付けています。土と米ぬか、鶏糞を材料とし、1週間、放置し、仕込みます。そのあと、毎週火・木曜に自転車で通い、10㌔ほどの食品残さを受け取り、資材に混ぜ込んで堆肥にします。
材料の土は、観葉植物を枯らした植木鉢の土でもいいし、庭の土でも、ホームセンターで買った黒土でもよいのです。米ぬかはコイン精米機から無料でもらいます。土と米ぬかを混ぜると発酵がはじまり、2日ほどで温度が55℃まで上昇します。鶏糞を入れると、高温状態が続きます。
1週間すると、気温くらいにまで温度が低下し、そこから食品残さを入れます。ゴミを入れると、40℃以上に温度が上がり、分解が進みます。コンポストの状態をみながら、投入する食品残さの量を調整します。水分が多くなると、腐敗臭がきつくなり、投入する食品残さを減らします。混ぜるときには機械をつかわず、スコップを使って、五感をたよりに、においや水分の状態を見極めます。
資材と同じ重さの食品ゴミを入れると、温度上昇はゆるやかになり、分解も遅くなります。そうすると、2週間、ゴミの投入をやめてコンポストを熟成させ、畑に施用します。ホテルで作成したコンポストは、城陽市のいちじく生産者に使用され、そのいちじくはホテルに買い取られ、レストランでタルトやジャムとして提供されます。わたしの畑にもコンポストを施用し、ピーマンやなす、たまねぎ、モロヘイヤなどは大きく育ち、味もよいように感じます。小さな循環の輪ができあがります。
このドライ・コンポストとの出会いも、偶然でした。京大のキャンパスで放置されている植木鉢の土を自宅マンションに持ち帰り、ホームセンターで購入した36㍑のたらいに土を入れて米ぬかと混ぜると、2日後には60℃にまで発熱したのです。植木鉢の土は、猛暑でからからに乾燥していました。微生物の分解活動には水が必要だと思い込んでいましたが、まったく水が必要なかったのです。どんな土であっても、米ぬかを入れると、かならず熱を発し、その後に生ゴミを入れれば、すばやく分解し、生ゴミは消えていきます。何度、繰り返しても、同じことが起きます。偶然と思ったものが、必然に変わったのです。
来年3月16日まで、金沢21世紀美術館の特別展「すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー」で、コンポスト・ハウスという作品を展示しています。アーティストの保良雄さんとの共同作品で、ホテルの食品残さを材料にコンポストをつくり、その発酵熱で温室内を温めてバナナを育てています。たびたび雪が積もる、寒い金沢でバナナが越冬できるのでしょうか。研究でも、アートでも挑戦しつづけ、偶然と思えるものが必然に変わるところに、おもしろさがあります。
わたしはアートと縁がなかったのですが、形のないものを論文にしろ、作品にしろ、形にしようとするところに共通点があり、楽しさがあることに気づきました。わたしの研究スタイルは「泥臭く、根気づよく」をモットーに、ニジェールの都市でゴミを集め、それを運び、荒廃地にまいてきました。
今は、ニジェールとともに、ザンビアやガーナ、ジブチなどアフリカの各地で、そして京都市内で食品残さの有効活用を通じ、自然再生や環境修復、農業生産の向上に取り組んでいます。成果がみえるまで時間のかかる仕事で、粘り強さが必要ですが、地球環境の問題が叫ばれ、各地で異常気象も頻発していることもあり、時代の要請を感じながら、研究活動に取り組んでいます。
大山修一(おおやま・しゅういち)
アジア・アフリカ地域研究研究科教授