塩田浩平 医学研究科教授 「最近の科学研究雑感」(2007.06.16)

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科学研究の世界では、研究の進歩と情報の流れが加速度的にスピードアップし、それが研究のあり方や研究者の研究態度にも少なからぬ影響を及ぼすようになってきている。スピードという点について言えば、外国の研究者と電子メールで連絡をとる時に、ヨーロッパやオーストラリアの相手であればその日のうちに、米国やカナダであれば翌朝には返事が来ているという状況になり、手紙の往復に二週間を要していた三十年前が夢のようである。最近、研究室の若い人の留学を米国の研究者に打診したら、二十分後にOKの返事が来た。

こうした状況は、研究上の競争にも拍車をかけ、様々な影響を研究者にもたらしている。研究論文の査読や出版が格段に早くなった一方で、学会のあり方も変化を余儀なくされている。新しい研究成果はまず一流誌に論文として発表することが重んじられるので、国際学会や国内の学会に出席して新しい研究成果の発表に接して興奮するということが以前に比べて少なくなり、また、重要な未発表の成果は論文投稿や知的財産権との関係で、学会では詳しくは開示されないという残念なことも少なくない。既成の学会は、今や自らの知識をブラッシュアップし学問を通じた交友を楽しむ場に変質しつつあるかのようである。一方で、研究業績のデータベースや情報ネットワークが整備され、個別の研究者がどのような研究を行いどのような論文を発表しているかを世界中のどこからでも見ることができる。研究面では、個人は裸同然でプライバシーなど事実上ないに等しい.

また、論文を掲載する雑誌の電子ジャーナル化が進み、紙媒体のジャーナルの利用がどんどん減少している。わざわざ図書館へ出向かなくても、自室に居ながらにして必要な論文をダウンロードすることができる。図書館で「文献を漁る」などという言葉は死語になり、キーワードを打ち込みさえすれば関連の文献のリストがコンピュータ上で瞬時に手に入る。このことは、研究を進める効率を格段に向上させたが、雑誌のページを繰っている間に目的とする論文の前後にあった論文がたまたま目について新たな研究のヒントを得た、というような楽しみを我々から奪ってしまった。若いときには一つのテーマ一筋に打ち込むのがよいが、やがてその研究テーマが完結したりあるいは行き詰まったとき、また指導的な立場になったときに必要なものは、広い知識とバランスのとれた見識である。情報が満ちあふれているように見えて実はピンポイント的な情報の世界に陥りがちな今の時代にこそ、良い意味での幅広い知識と教養を身につけることを若い人に望みたい。

最近は、論文の価値が、それが他の論文に引用された回数や、掲載論文の被引用回数に基づいて計算される「インパクトファクター」の高い雑誌に掲載されたかなどによって格付けされる。こうした数字は、研究者人口が多い分野の論文が当然高くなるので、異なる分野の論文をこれらの数字で単純に比較するのは妥当でない、等の問題点がしばしば指摘されるが、実際には人事の際などにこの数字が独り歩きして問題を生じていることも事実である。教育者や指導者としての力量、医学であれば臨床家としての腕などは「インパクトファクター」では測れない。人事の難しさはこうした所にもある。

一方で、研究者を志す最近の若い人は、一流紙に載る論文が書ける研究分野、いま研究費が潤沢にある分野へ群がる傾向がある。これは、ある意味で当然であるが、見方を変えれば、多くの若者が研究の「流行を追う」という結果になっている。流行している研究は、今がピークかピークに近い研究、または一時的にファッションになっているテーマに過ぎないことが少なくない。十年ほど前、大学院を志望する学生が口を揃えて「環境ホルモンの研究をやりたい」と言ったので驚いたことがあるが、いま環境ホルモンをやりたいと言う人はいない。研究者を職業選択の一つと考える若い人が増え、今はやりの研究に流れる傾向が顕著であるが、本来、人を研究へ駆り立てるものは、自然界の現象に対する好奇心、その現象を「おもしろい」と思う心である。研究者の喜び、わくわくする興奮を覚えるのは、こうした知的好奇心がもとにあってのことであり、その先に新しい発見や発明、あるいは革新的な技術が生まれるのである。「他人のやらないことをやる」のが京大の研究を支えてきた精神である。孤独でも未踏の分野で困難な課題にチャレンジする若者がこれからも多く出てくれることを期待したい。

もう一つ、科学研究と研究者を取り巻く新たな問題に、社会との関わりがある。科学と科学者集団は本来自律的で外部のいかなる価値基準からも中立であるのがよしとされたが、昨今は、基礎研究の成果とそれから派生する技術が社会や人々の生活に密接に関連することが増え、科学や科学者に対する社会の期待や要求もそれに連れて大きくなってきている。コンピュータ科学、先端医療、ナノテクノロジーなどを例に挙げるまでもなく、広い範囲で両者の関わりは今後ますます深まってくると思われる。

しかし、科学者コミュニテイーと一般社会の関係は必ずしも望ましい状況にあるとは言えない。科学技術は過去1世紀ほどの間に人々の生活や福祉を飛躍的に向上させ豊かにしたが、いま、その負の面のみが過大に強調され、また科学者のミスコンダクト(不正や論文ねつ造など)が大きなニュースになったりする。科学と科学者に関するマスコミの扱いはしばしば一面的、興味本位で、一般の人々に科学と科学者に対する誤ったイメージを植え付けるのに一役買っている。最近の事例としては、奈良県で起こった妊婦死亡事件に関して一部新聞が偏った論陣を張ったため、近隣地区ばかりでなく、全国的にも多くの産婦人科医が出産医療から撤退するという、国民にとって取り返しのつかない大きなマイナスを生じてしまった。また、近県の某市公立病院では医師側と市民との間に拭いきれない深刻な不信の溝が生じている。これらの例においては、医療側にそれなりの落ち度があったのも確かであろうが、それを過度に攻撃する一部記者の「正義の味方」的記事が一般の読者を誤った方向へ誘導したことが明らかである。

先端科学や先端医療のニュースが茶の間に入ってきて人々がそれらに関心を持つ時代になり、科学の動向と科学の本質を正しく伝えるコミュニケーター、サイエンスライターが求められている。ようやく京大を含むいくつかの大学に、科学コミュニケーションのコースが出来、あちこちでサイエンスカフェなどが行われるようになってきたが、一般社会の科学に対するアレルギーと科学者一般に対する不信感は相当なものがある。最近、科学技術のあり方が社会とのコンセンサスに基づいてガバナンス(統治)されるべきだと言う指摘がしばしばなされる。このこと自体は正しいが、実際には一般社会と研究者、理系と人文社会科学系の間にある認識のギャップは大きく、真に適切なコンセンサスを得ることは容易でない。現にわが国では、社会的に影響があるいくつかの重要な科学の課題(ES細胞など)について、議論ばかりで物事が先へ進まないという事態が起こっている。科学者コミュニテイーと市民との間の関係が成熟し、研究者の役割と責任、科学研究の価値が正しく理解されて、科学研究が広く市民にサポートされる日が来ることを願っている。



しおた・こうへい 京都大学大学院医学研究科教授、地球環境学堂三才学林兼任教員、京都大学女性研究者支援センター長。
専門は解剖学、発生学、先天異常学。著書に「Color Atlas of Clinical Embryology」(Saunders)、「Atlas of Human Prenatal Histology」(医学書院)、「先天異常を理解する」(日本評論社)など。

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