追悼 レヴィ=ストロース 構造主義を開いた功績(2009.11.16)

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10月30日、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが100歳で死去した。レヴィ=ストロースは現代思想を代表する「構造主義」の祖である。部族社会に通底する無意識的な構造を論じた『親族の基本構造』や、ヨーロッパ中心主義を批判した『悲しき熱帯』などの著書は、世界的に思想への影響を与え、日本のアカデミーにも大きな影響を与えてきた。

レヴィ=ストロースは1908年にベルギーの生まれ。国立機関コレージュ・ド・フランスの社会人類学講座を1984年まで担当。アメリカ先住民をはじめ数多くの民族を研究していた。

思想家として現代に与えた影響の大きさを鑑みて、編集部では学生が触れる思想家としてのレヴィ=ストロースを、3回の連載に分けて考えていく。

1回目の今回は、影響の大きさがある一方で難解なレヴィ=ストロースの著書を、原典とその入門書に分けて紹介し、編集員の視点から思想の解説を掲載する。そして、次号以降2回目には田中雅一・人文科学研究所教授、3回目には出口康夫・文学研究科准教授による、思想の解説を予定している。より専門的な解説は次号以降に期待をいただきたい。(編集部)


マルクス、サルトルとの戦い

以下は一編集員から見解を示す。

レヴィ=ストロースは人類学に基点を置きながら、その実地研究から得られた知見を思想的に展開することで「構造主義」とよばれる現代思想の1つの潮流を築いた。構造主義とは、人の思考や社会の現象には一定の普遍的な構造があり、それは人間が主体として変えることのできない、超自我的なものとする思想である。レヴィ=ストロースの思想自体からは若干ズレるが、超自我的な構造に関して乱暴な例えを挙げるとすれば、我々が毎日誰から命ぜられるわけでもなく朝・昼・夜にご飯を食べるのは、我々が積極的にそうしようと考えているからではなく、「習慣」という名の「構造」が我々に浸透しているからである。レヴィ=ストロースは博士論文『親族の基本構造』の中で、部族社会で部族間の女性交換による婚姻が規則的に行われている事実を見出し、音韻論を構造的に分析したロマン・ヤコブソンとの出会いなどから「構造主義」の基礎を編み出した。

しかし、これだけならカール・マルクスが論じた労働者の搾取構造と大差はない。マルクスによれば、労働者が朝から晩まで働いて資本家を利するのは、労働者がそれを目的として働くからではなく、賃金を求めて働くうちに無意識的にそうしているからだ。コーヒーという覚醒物質がもてはやされ、会社の利潤と給料が同時に下がるなら文句を言えない、という現代社会の在り方はマルクスの説明で言い尽くされているように見える。

マルクスはこうした社会を変えるために団結して改善することを主張し、その思想を受け継いだジャン=ポール・サルトルは個人の積極的な社会参加を促し、それを哲学的に体系化した。「人間は自由という名の刑に処せられている」という言葉の示すとおり、個人は社会に参加することでしか自分を見いだせない。「他者という名の地獄」という言葉には、行動なき人間が「他者」すなわち「もう一人の自己」に飲み込まれることへの警告がある。ここには、過剰に「主体」を考えることへの恐怖心とまでも言えるものが感じられる。
レヴィ=ストロースはサルトルを批判する中で自己の思想を展開していく。著書『野生の思考』では、「主体」至上主義は一つの思考にすぎず、西洋中心的な独善的思考だと批判。『野生の思考』では、「熱い社会」と「冷たい社会」という新しい社会像を基にして社会の自己維持システムを論じた。実地研究に基づくレヴィ=ストロースの主張は説得力を持ち、急速にサルトルと実存主義を衰退させていった。「主体」が世界を変え、世界を支配する時代は終わり、「構造」が主体を形成し、主体は世界と相互関係にある、そのような考え方が浸透していく。


構造主義の展開

構造主義は学問の主流を占めた。レヴィ=ストロースは引き続き研究を神話論まで進み、『神話論理』では、社会の正当化基盤である神話が普遍的な構造をもつことを示す。親族における基本構造や神話の構造など、こうした様々な現象に通底する普遍的構造は、数学者のニコラ・ブルバキの群論まで導入され、数学的なモデルとして社会像が示されるに至る。

しかし、一連のレヴィ=ストロースの研究に通底する考え方は、あくまで西洋中心主義を脱して非西洋社会の豊かな文化的社会を見るところにあり、その限りで彼は秩序を重んじる穏健的な思想の持ち主だった。一方で、構造主義の脱「主体」的な思考はポスト構造主義へと受け継がれ、「主体」はあくまで「構造」が抑圧的に形成するものとして、より先鋭的な思想へと変容を遂げる。

ミシェル・フーコーは「人間の終焉」を論じる中で「主体」概念のより抑圧的な恣意性を証明し、ルイ・アルチュセールによるマルクス主義の導入、ジャック・ラカンによる主体形成の分析など、理論が応用されていくに従い、徹底的な「主体」解体が叫ばれるようになった。先ほどの例えで言えば、朝・昼・晩の3食の習慣には、朝から晩まで働くことで社会の利益循環を止めさせない資本主義の論理がはたらいており、これを見つめることが本質なのだとする。ここには、まだマルクスには資本家という形であった「主体」が完全に喪失し、自己保存のみを目的とする「システム」という概念が導入される。だが、「主体」の完全に喪失したポスト構造主義は、社会の改善への道筋を全く示すことができず、ニヒリズムへと陥っていった。フランシス・フクヤマにより示された「歴史の終焉」という概念には、一種「末法思想」的な世情のアプレが反映されている。

レヴィ=ストロースを「生ぬるい」と批判したポスト構造主義は、20世紀末に代表的な担い手が死去していくにつれて、思想は拡散していく。一方で、「ゼロ年代」まで生き続けたレヴィ=ストロースは、黙々と環境問題や差別問題への提言を続けていった。「レヴィ=ストロースは古い」と言われる中、その思想を再考する余地はあるのではないか。


レヴィ=ストロースを京都で読む

レヴィ=ストロースの思想にふれて我々が最も興奮するのは、社会構造という人文・社会科学の分析範囲とされてきたものが、数学や生物学による自然科学的な分析を可能にしたところにあるのではないか。構造主義以降の新進気鋭の思想家たちは、なんとかして社会構造を数学や自然科学のモデルを用いて説明しようと試みた。その過度な挑戦は、様々ないかがわしい研究も生んだが、2つの分析手法が重なり合うことで生じる「徹底した客観主義」への憧憬は、現代で学問を志すどんな若者も抑えることのできない願望ではないか。


日本で「現代思想」というと、私などはアニメ「新世紀エヴァンゲリヲン」を思い出す。科学の過度な発展が終局的な世界を作る、という物語設定は、人間がその生存願望にも関わらずシステムの暴走によって破局を迎えるポスト構造主義の示す典型的な終末的な世界像である。しかし、徹底した客観主義が必ずしも世界の終末をもたらすという必然性はない。逆に、社会の停滞による人類の危機もいまだに危惧されているところである。

「人間の徹底的な科学的分析」というところで必ず一定のプレゼンスを示すのは京都大学だろう。サル学や、iPS細胞などの生物の先端的研究を行い、新しい物理学的世界像を示し続けるこの大学への社会の期待は大きいはずだ。「エヴァンゲリヲン」の中では、崩壊に瀕した人類を科学をもって維持保存しようとする「人類補完計画」を元京都大学教授という設定のフユヅキが担う。構想としては、人間という存在を超自我的な段階で捉える思考法が夢物語でなくなっていると言わざるを得ない。

レヴィ=ストロースが100歳に至るまで社会問題への提言を続けてきた背後にあるのは、徹底して客観的な文理融合の社会人類学と、それを人間が認識し社会の不合理を除いて行く建設的な眼差しだろう。サルトルが20世紀中頃までの「主体による改善」を代表したとしたら、レヴィ=ストロースはそれ以降の「自然との調和的な改善」を象徴する。

今の学生を強く魅了するのは、閉塞的な社会状況と重ね合わされるポスト構造主義の世界観だろう。そこには社会科学や自然科学がふんだんに生かされ、実存を裏側からつつくような魅力がある。しかし、レヴィ=ストロースが、「古い」と言われる一方で今まで提言を繰り返してきた歴史からは、我々はニヒリズムを超える未来への認識をくみ取るべきかもしれない。(麒)

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