〈生協ベストセラー〉 城山三郎・著『官僚たちの夏』(新潮文庫)—「不器用さ」が許された時代—(2009.10.16)

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夏にはドラマ化され評判になった城山三郎の代表作品。ドラマでは主役の風越を佐藤浩市、ライバルの玉木を船越英一郎が演じるという大物バトルが繰り広げられたが、読んでみると、主人公はもっと荒々しくオヤジ臭い人物である。内容は旧通商産業省のエリート官僚たちがそれぞれの信条に基づき執務、出世抗争をする様を描いたもので、人物はほとんど昭和30年代の実在人物たちをかたどっている。

司馬遼太郎と並んで一時期の社会人によく読まれた城山三郎。今この作品を読んでみて正直に思うのは、とにかく滑稽だということである。ドラマではやたらと黒スーツの官僚たちが扇子をパタパタやっていて、とにかく「オヤジ臭い」。その上、議論の大半は「天下国家」で片付き、終始人事をめぐるバトルが描かれているあたり、「社会が狭いにもほどがある!」と叫びたくなるような物語である。そんなあまりにも「狭い」風越の官僚人生からにじみ出るのは人間関係の「不器用さ」である。

ドラマでは保護貿易派の風越と国際通商派の玉木の政策バトルを中心に描かれていたが、小説で描かれていたのは、そんな政策論争のさらに下部にある「不器用な生き方」と「器用な生き方」の対立であった。風越は「無心臓」とあだ名されるほどに傍若無人に正論をかざして政策を語る男で、登用する部下も帰宅が午前1時や2時になるのは当たり前なほどに「無定量・無際限」に働く暑苦しい男たちだ。過剰にも正論をぶつ風越は出世するほどに敵が増えていく。一方で、部下の片山は超エリートだが器用で遊び好きであり、そういう暑苦しい生き方を忌み嫌い、人当たりがうまい。城山が描き出そうとしたのは、この典型的な社会人の生き方の二流派であり、それは現代に至るまで通底する普遍的な対立である。

風越が私の目に滑稽に映るのは、官僚主導からあまりにも変わった時代状況のゆえではなく、風越がいつの時代でもいる「不器用」な人物であるからだ。才能に裏打ちされた自尊心から正論を正論として吐き続ける姿勢。私もそんな「不器用さ」に憧れて進路に官僚を考えたりしたものだったが、そういう自分にわかるのは、こういう性分は生きていく中でどうしようもなく形成され、妥協を許さないものだということだ。官僚の「漆黒のスーツと黒光りする皮靴」にドラマを通じて聴衆も反応したのは、「尊大さ」の後ろに見え隠れするこういった「不器用」で素裸の信条ではないだろうか。片山のように休暇にテニスを楽しむ余裕が大事なのは理屈ではわかるが、感情的には24時間「天下国家」のために働き続ける「不器用」な人間が社会のどこかにいて欲しいと思う。

アダム=スミスの自由主義哲学は、徹底した分業体制の下で自己の技能を切磋琢磨させていく「職人たち」を前提にしていた。いかにも鼻に付く風越たちのパターナリズムは今日では特に受け入れられないものであろうが、それをかみしめた上で正論を吐き続ける「不器用な」人物たちには、社会は少しばかり席を空けてやってほしいものだと思う。(麒)

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