〈研究ノート〉 9頁目 今だからこそ考えるべき「人間を見る経済学」の在り方 竹澤祐丈・経済学研究科准教授(2009.08.01)

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かつて社会思想史といえば、マルクス経済学やヘーゲル観念論等の観点から、現在の地点より見た過去の在り方を考える手法が主流だった。しかし、思想の背景となる環境と個々人の内面は直に結びついたものではなく、その相互関係は個々の要素からは独立に考えられなければならない。竹澤祐丈准教授は、これを「不況下の経済学部生の学習の動機」を例にとって、不況の打開策を見出すために勉学に励む学生もいれば、彼女にフラれて一念発起して不況下に「偶然に」勉強を始めた学生もいるはず、と説明する。このような視点はとりもなおさず、アダム=スミスより今日まで発展してきた数理経済学が見落としてきた、数値に表現できない経済学の前提としての価値観を見出す作業に繋がっている。本来「現実をとらえるため」の経済学が、過度に数理化し「現実をとらえられないがため」に目指す人が現れ始めたことに竹澤准教授は危機感を示す。

サブプライム問題を信用の拡大と収縮の問題と捉えたときに、数理分析に加えて考えなければならないのはバブルと非バブル、贅沢と非贅沢といった概念のあり方である。しかし、これらは人間の期待のあり方を問うものであり、スミスやヒューム以来の哲学的問題でもある。例えば、キリスト教社会では奢侈を否定する一方、貧困な経済状態の内では実際に贅沢を享受できる人間はほんの少数であった。しかし、社会が豊かになっていく中で、秘かな喜びとしての「贅沢」は、人に見せつけて貧富の差を見せつけるための「贅沢」へと変貌をとげる。この局面に至って、抑制からコントロールへと「贅沢」への扱い方が変換する。これはまず国家規模での輸出入の規制という形となって表れ、スミスやヒュームが原理を一般化することで個々人の内在化への途を再びたどる。この過程で投機の規制や株式市場の透明化などの施策が編み出される。こうした文脈に乗せてみれば、現今の金融危機も陰謀論としてではなく、システム的な分析を必要としていることがわかる。そこには微細な数理解析と共に、以上のような人間理解の問題が欠かせない。

こうした概念の変容は、一種の「パラダイム転換」として捉えられる。イギリス・ケンブリッジ学派の思想史家J・G・A・ポーコックは、歴史像の変化を外的な環境、個人の内面、そしてそのインタラクションの問題として考える手法を確立した。例えば、17世紀のイギリスにおいてホッブズは反逆罪を恐れる小心者として、同時代人から当然に受容されたわけではない。ここから「ホッブズ異端論」が有力となったが、同じくケンブリッジ学派の学者Q・スキナーは当時の社会での議論を検証し、ホッブズの参照のされ具合を見ることで、ホッブズが当時いかに大きな存在だったかを論証した。こうして、現代の地平から個別の哲学書を解釈するという思想研究から脱し、言語環境を総体的に考える手法を確立・採用することで、社会思想史は新たな説得性を獲得してきた。そして、こうして得られる過去の解釈こそが、学問としての経済学が提言する、進むべき自己決定の素材になる。

竹澤准教授の専門は近代形成過程のイギリス。個人を国家の不可欠の要素として認識する社会契約説が浸透しだしたイギリスは、18世紀の不断の戦争の時代へと突入する。それまでヨーロッパの片田舎にすぎなかった地位からの躍進は、異教の排除、成金趣味や異国趣味など、今から見れば浅はか極まりない問題を多々抱えていた。しかし、文化や社会制度を総体として捉える「文明論」的な見方が啓蒙思想を軸に発展していくにつれて、他の文明を理解する「他者理解」の困難を克服し、社会の「自己理解」、すなわち一定の「社会観」へと形成されていくことになる。原初の経済学が取り組んでいたにもかかわらず、現代の経済学が自覚的に取り組まなくなった最も大きなテーマこそ、この「自分の社会をどう捉えるか」という問題なのだ、と竹澤准教授は語る。

竹澤准教授が長期的に念頭においているテーマは、理想的な経済人を想定することで近代経済学の幕を開いたスミスの思想に、共和主義の思想がどのように影響しているか、というものだ。上述のケンブリッジ学派を中心に研究の進む分野ではあるが、共和主義そのものの捉え方から始まって未知の領域は多く、これからの展開が期待されるテーマである。(麒)


《本紙に写真掲載》

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