複眼時評

駒込武 教育学研究科准教授 「京都大学はどこに向かうのか?―人権問題への対応をめぐる『新体制』の問題点―」

2009.04.22

二〇〇六年度から毎年四月に『「人権」を考えるために』という小冊子が配布されている。この冊子は、新入生を対象としたオリエンテーション等の場面で利用することを意図して京都大学人権委員会が作成したものであり、「差別落書き・差別ビラ」と「ハラスメント」にかかわることを中心としながら、京都大学におけるこれまでの対応の問題点と今後の対応方針を説明し、あわせてさまざまな差別の背景について記している。

今年度、この冊子が大幅に「改定」された。大学が作成するパンフレットには無味乾燥なものが多いからオリエンテーションの時でもなければ開けてみない人も少なくないだろうし、この「改定」に気づいた人も決して多くはないだろう。しかし、今回の「改定」は、「ハラスメント」としか呼びようのない事態に遭遇してしまった人の人生を大きく左右するものとなりうる点で、見過ごすことができない。また、京都大学が何を守ろうとして、どこに向かおうとしているのかを示すものとして注目する必要がある。今年の三月まで全学人権委員会の委員だった者として、すなわち、自分にとって不本意な結果となったにせよ、今回の「改定」の責任の一端を担わざるをえない者として、新体制の問題点について私見を記すこととしたい。

今年四月に配布された新版のパンフレットでは、「2―2 「ハラスメント」にかかわる京都大学の対応」という部分が大きく変えられたほか、従来は「資料」として掲載されていた「京都大学ハラスメント防止・対策ガイドライン」が削除されている。「ガイドライン」はどこにいったのか? もともと京都大学の制定した法規の中に明確な根拠規程を持たなかったので正式な廃止の告示こそなされていないものの、事実上廃止されたことになる。はじめて全学的な「ガイドライン」が制定されたのが二〇〇五年九月のことであるから、「短命」に終わったというほかはない。

従来の「ガイドライン」に代わる内容は、『京都大学におけるハラスメントの防止と対応について』という別途作成されたパンフレットに記されている。そこには、「ハラスメントの定義」「調査のプロセス」などこれまで「ガイドライン」がカバーしてきた内容がかなりの程度盛り込まれている。だが、重要な修正が加えられてもいる。

今回の「改定」の要点は、従来は主としてハラスメント専門委員会(人権委員会の下部組織)が行ってきたことを、人権担当の理事が行うことになった点である。すなわち、相談者が全学相談窓口を通じてハラスメントの申し立てをした場合、調査・対応の要請は、全学相談窓口から人権担当の理事に対してなされることになった。個別の事案ごとに設置される調査委員会も、理事に対して結果の報告を行う。調査結果に基づいた対応(それは場合によっては教職員の懲戒処分を適当と認めるというような判断を含む)の策定については「部局長又は人権担当の理事は、委員会の調査の結果を踏まえて、連携して必要な措置を講じます」とされている。ここに部局長が登場するのは部局に調査委員会を設けた場合も想定しているからであり、全学で調査を行った場合は基本的に理事が中心となって部局長と連携して「必要な措置」を講じることになる。

要するに、人権担当の理事が、ハラスメントへの対応について強大な権限を握る体制が形成されたわけである。この点について、新版の『「人権」を考えるために』では「人権担当理事の責任を明確にする」「迅速かつ適切な調査・対応を目指す」と「改定」の趣旨を説明している。だが、大学のアドミニストレーションに参与している理事に強大な権限を認めるのはおかしいのではないか? 疑問に思う。もしも学内での対応が申立人の納得をえられず、法廷で争われることになった場合には、理事は総長とともに大学当局を代表していわば「被告席」に座らざるをえない存在である。ハラスメントを申し立てる側からすれば、将来的に「被告」として対峙することになるかもしれない人物が、学内での対応ではいわば「裁判官」のような立場を兼ねることになるのだ。ハラスメントの被害を申し立てるのは、ただでさえ心理的にハードルの高いことだが、新体制はそのハードルをさらに高くしてしまうことにならないだろうか?

もとより、理事に適切な人材をえれば適切な対応がなされることもあるだろうし、また、そうした対応を求めていくべきだと思う。ただし、人材の問題にすべてを解消することはできない。京都大学が学内で起きた問題について「自浄能力」を発揮するためには、できるかぎり公正で中立的な「仕組み」を考えなくてはならない。こうした観点からすれば、理事は大きな権限と責任を持つからこそ、個々の事案については直接的な影響力を行使せず、一歩も二歩もしりぞいた立場でかかわるべきだと思う。従来の体制も第三者性、客観性という点で十分とはいえなかったが、今回の「改定」は本来目指すべき方向とは逆行するものとしか思えない。

調査委員会の委員の人選にも問題がある。新体制においては、今年の一月に発足した法務・人権推進室の人権推進部門のメンバーにより調査委員会を構成するとしている。この組織は、人権担当の理事のほか、理事補、人権委員会委員若干名、担当職員、弁護士等から構成される。これにより、理事個人による恣意的な判断の余地は限定されるようだが、これらの顔ぶれを理事が指名することになっている点に注意を要する。従来のハラスメント専門委員会が各部局で選任された委員による「合議体」であったのに対して、法務・人権推進室は理事の「補佐組織」という性格が強い。弁護士にしても、「京都大学法務・人権推進室要項」で明示的に構成員として規定しているのは「本学の顧問弁護士」である。人権推進部門担当の弁護士に「顧問弁護士」をあてることはさすがにないだろうが、法務・人権推進室は一体誰を「弁護」し、何を守ろうとしているのか? そもそも、京都大学を被告とする訴訟への対応など「法務」を推進することと、「人権」を推進することは性格を大きく異にするはずである。それにも関わらず、法務・人権推進室という組織の中に両者の機能を取り込んでしまう「仕組み」は、「人権尊重」よりも「組織防衛」の原理を優先させたものとみなさざるをえない。

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今回の新体制の原案になった青写真は、昨年一〇月開催のハラスメント専門委員会で「役員懇談会で了承済み」の方針としていきなり提示された。その後、人権委員会でこの青写真について議論する機会が設けられたのは一度だけだった。委員会の席上では、江崎信芳理事、村中孝史理事補(法学研究科教授)、岸本佳典理事補(総務部長)など役員層を構成する委員を別として、多くの委員が反対意見を述べた。筆者も、右に記したような趣旨の反対論を述べるとともに、あまりに大幅な改変なのでせめて二〇〇九年度以降も継続審議とすることを求めた。だが、なぜそれほどまでに急いで改革する必要があるのか、納得のいく説明もなされないまま、多数の反対を押し切って部局長会議に持ち出されることになった。その部局長会議でも少なからぬ異論が提起されたと聞く。人権委員会でこれまで中核的役割を果たしてきた人びとが非公式に粘り強く交渉したこともあって、当初提示された青写真よりはよくなったと思える点もある。しかしながら、こうした手続きのあり方は「トップダウン方式」という言葉すら生やさしく思えるほど強引なものであり、それ自体、「人権」という原理を軽視する改革案と符合するものと感じられた。

意思決定の手続きをめぐる問題は、ハラスメントへの対応にとどまらない。昨年一〇月以来、さまざまな局面でこれまでの議論の積み重ねをほとんど無視した「新方針」について上意下達的に「同意」を求める措置が行われている。時間雇用職員の雇い止めや、寮自治に基づく慣行の否定についても、まともな議論が行われないまま、職員・学生との対話の道が閉ざされようとしている。

大学も巨大な組織である以上、「迅速」な対応が必要な局面のあることは理解しているつもりである。「組織防衛」的な発想を捨て去ることもできないだろうとも思う。筆者自身、人権委員会の一員としての活動は、ハラスメントの申立人や、「差別落書き」の被害者から見れば、大いに不満の残るものであり、組織それ自体を守るための「壁」の一部となってきたとみなされてもしかたがないものであると感じている。しかし、だからこそ、身も心も「壁」の一部となってしまいたくないとも強く思う。大学を高い「壁」に取り囲まれた城砦にしてしまわず真に公共的な空間としていくためには、最低限、合理的な討論に基づく意思決定が不可欠である。特に「人権」という観点からすれば、大学における意思決定のシステムから排除されがちな人びと―教員よりも学生、常勤教職員より非常勤教職員、男性より女性、日本人よりも留学生―の声が尊重される「仕組み」を形成すべきだと思う。

今回の「改定」を推進した理事や理事補は、「人権を尊重した運営を行うとともに、社会的な説明責任に応える」という「京都大学の基本理念」にしたがって、「改定」の趣旨を詳細に説明する責任がある。この小文についても本紙上での反論を求めたい。本学の構成員は、教職員と学生とを問わず、新体制がどのように機能するかを不断に監視する必要がある。また、やはりおかしいと思える部分があれば、「仕組み」の作り直しを要求すべきだろう。

新版の『「人権」を考えるために』は、ハラスメントに関する部分については大幅な「改定」を行いながらも、その他の部分については旧版の内容をそのまま踏襲して次のように記している。「大学という空間そのものが差別の現場」である。しかし、大学が「知性の府」である以上、「反差別」「人権尊重」の文化を社会に向けて発信していくことが求められている…。かろうじて残されたこうした言葉を空疎な決まり文句に終わらせてはならない。「反差別」「人権尊重」の文化を発信するという課題を、人権問題に対する今後の取り組みの中で実質化していけることを願っている。




こまごめ・たけし 教育学研究科准教授
専門は植民地教育史・東アジア近代史。著書に『植民地帝国日本の文化統合』(岩波書店,1996年)、『現代教育史事典』東京書籍,2001年,久保義三氏らと編著)、『日本の植民地支配―肯定・賛美論を検証する―』(岩波書店,2001年,水野直樹氏らと共著)、『帝国と学校』(昭和堂、2007年、橋本伸也氏と共編)など。