〈日々の暮らし方〉 第9回 正しい頭突きの仕方 〜人間の尊厳としての行為〜(2009.04.16)

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大学内でまっとうに暮らしているものなら誰しも、ゴツンとか一発ましてやりたい時が月に1回はあり、そのうち3回に1回ぐらいは実際にゴツンとやっているものだ。「そんなことは考えたこともないし考えたとしても年に1回ぐらいだ」という人は、残念だが感受性がかなりの程度で欠如していると言わざるを得ない。

しかし、ここでもし万が一、「頭突きはあまりしないけど、蹴ったりは時々するかな」などという人がいるなら、私は驚きを通り越して恐怖さえ覚える。蹴ることそれ自体は単なる攻撃性の表出であって、足の機能の一つにそういうものがある以上避けがたい行為だ(注1)。むしろ私が恐怖するのは、頭突きを単なる暴力行為と同列に扱っていることだ。

頭突きというのは、自らの頭を振りかぶり、相手の頭部にそれをぶつける行為だ。単なる攻撃としてみれば、これほど非合理的なことはないだろう(注2)。相手の頭部を攻撃したければ手を使えばいいだけのことであるし、なにより頭突きは自分も痛い目をみるのだ。

ではなぜ人は自分も痛い目をみるにもかかわらず頭突きをするのか。その答えはまさに自分も痛い目を見るからこそ、である。頭突きとは相手を非難しつつ、「非難するほうだって辛いんだぞ!」ということを無言のうちに主張する行為なのだ。

最近のテレビドラマなどでは、相手の眉間から鼻筋の部分に頭突きをしているシーンが見受けられるが、頭突きの堕落としか言いようがない。双方のぶつかっている位置から考えて、あれではぶつけた側の痛みはほとんどないだろう。人間の尊厳たる頭突きを単なる暴力行為におとしめている。あれではイノシシの突進と変わりがない。研究室、教室、サークルボックス、事務室などで、かつて頻繁に見受けられた頭突きが、最近ではめったに見られなくなったのも頭突きが単なる暴力行為とみなされるようになってしまったからに他ならないのだろう。

いまこそ、頭突きを正しく理解し、正しく実践する方法を知らなくてはならない。まず頭突きは、言葉で相手を説得し切れない、伝えきれない場合に行われる。このときの説得の内容は自らの利益になるものであってはならず、あくまで相手のためになるものでなくてはならない。例えば、試験で不可をとったにも関わらず、単位を求めて学生が教員に頼みに言った場面を考えてほしい。このとき学生が「なぜあと2単位で卒業できるのに不可なのか!」といって頭突くのはアウトであり、教員が「なぜそんな甘えた態度を続けていたら将来困るのがわからないのか!」と頭突くのはセーフだ(注3)。

しかし注意してほしい。せっかく正しい動機を持っていても、当たり所が悪くてはいけない。いざそのときとなったら、慎重にしかし躊躇せずに、相手の眉間から鼻筋の部分ではなく、おでこに思いっきりかましてやらなくてはいけない。しかるべきところに命中すれば、もはや相手も言うことはないだろう。最後に、恩着せがましく「私だって痛いのだ!」などとは言ってはいけないことも付け加えておく。

京都大学日々の暮らしを考える会・編

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