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自由の作風、復活を 『京大俳句』復刊目指し、句会ひらかれる

2009.02.08

1月31日、午後1時。小雨の降りしきる北部キャンパスで、第1回『京大俳句』復刊準備委員会句会が催された。

12人の参加者が北部キャンパスの京大植物園などでの1時間ほどの吟行の後、農学部図書館の一室で句会を行った。清記と一人5句の投句、ついでそれぞれが気に入ったもの5つを選句し、点数の低いものから順に司会が読み上げ、感想・意見・批判を述べ合う。作者が明かされないままに読み上げられていくのがみそで、ほぼ意見が出尽くしたあとに作者が名乗り出て作品の意図などを述べる。作者にきいてみないとまったくもって意図の分からないものがあったり、作者ですら考えていなかったような解釈に出会うことができるのが醍醐味だ。今回は12人の参加者が計55の句を詠み、最高4点の句が3句でた。参加者は基本的に素人ばかりで、だれかが指導するというよりは、各人がそれぞれに助言をしあう、というかたちですすんだ。講評会が予定を2時間以上超過するなど、濃密な句会となり、終了後、参加者からは「面白かった」「また来月も」との満足感の漂う声とともに、今後の句会に関する意見もだされた。

大学教職員を中心とした同会立ち上げメンバーは、昨年11月の北部祭典でも句会を開催。前尾池総長ほか20名ほどを集めた。そこでの好評をうけ、次回の開催を探っていくうちに『京大俳句』の存在に行き当たり、その復刊をさしあたっての目標として今回の句会を催した。今後も月1回の句会をひらく予定。

新興俳句運動の挫折…『京大俳句』とは

2005年出版の『新興俳人の群像―京大俳句の光と影―』によると、『京大俳句』は1933年、当時京大三高俳句会の機関誌であった「京鹿子(きょうかのこ)」が、京都武道専門学校国語教授であり同会の中心人物であった鈴鹿氏の主宰誌に突如改変されたのを受け、退会した若手俳人達によって創刊された。「自由主義」を掲げ、非定型・無季の句、戦争を題材とした句などを詠む同誌は、当時ひろがっていた新興俳句運動の中心として活動した。京大関係者にこだわらず全国に参加をよびかけたことにより西東三鬼など有力俳人が続々入会、人気を博した。しかし戦時社会下で、その革新的な傾向は治安維持法による取締りの対象とされ、1940年から3回にわたって『京大俳句』の主要メンバー計15名が特高警察に検挙された。当時の言論弾圧を象徴する事件とされ、これがきっかけとなり新興俳句運動は挫折を余儀なくされたという。

2000年には、復刻版が京都の臨川書店から出版され、あわせて京大近くの美術館・思文閣で「京大俳句の光芒」と題した特別展もひらかれている。