複眼時評

藤原辰史 人文科学研究所助教 「システムキッチン」

2008.06.18

台所には、いい思い出がない。

中高生のころ住んでいた古屋の台所の床はコンクリート、流しは剥げかかったタイルだった。下履きでしか入れないこの空間は「システムキッチン」という自虐的な名前で呼ばれていた。というのも、洗い手の手から茶碗が流しに滑り落ちると、たとえ数センチ上空からであっても、粉々に割れ、悲鳴が響き、流血の惨事になるという不動のシステムを兼ね備えていたからである。たまに片づけを命令される私も例外ではない。ところどころコンクリートがむき出しの流しの表面に茶碗や皿の底が接するたびに、不吉な音が響く。洗剤でヌルヌル滑る手を不器用に動かすのだが、集中力が切れた瞬間、このシステムは寸分の狂いもなく始動する。

早朝の台所もエキサイティングだ。ナメクジたちがナスカの地上絵のような模様を床に残していて、その終着点で力尽きつつある彼や彼女たちに塩を振りかける、というのが私の暗い楽しみだったが、たまにネズミの糞も発見する。途端に家族は非常事態宣言が発せられ臨戦態勢に突入、台所中を走りまわり、「戸棚に入った形跡あり!」「皿のうえにブツを発見!」という報告が終わると、やっと朝食の仕度に取りかかる。

ネズミやナメクジ、ハエ取り紙にくっついた無数のハエの哀れな姿を眺めつつ、ご飯をモリモリ食べて育った私も、ついに古屋を去る日がきた。京の都に引っ越しである。下宿を探したのは吉田生協。「狭く感じたらドラえもんみたいに押入で寝たらいいよ」「共同炊事だとみんなでご飯を分け合うことができて楽しいよ」と煽る、臨時不動産相談員らしき女子学生のアドバイスを信じ、北白川の閑静な住宅街にひときわ目立つ木造のボロ下宿を仮の棲家と定めた。月に一万二〇〇〇円(一九九五年四月一日現在)という家賃も魅力的。ネズミやナメクジとの共同生活から脱出した私には、四畳半の部屋も、汚さ満開の共同トイレも、汚れたステンレス製の共同台所も、ノイシュヴァンシュタイン城だった。もちろん、幻から醒めるのも早かった。下見のときに頑丈にみえた押入は、一二九・三キロのドラえもんはおろかのび太くんでさえ乗ったとたんに崩壊するような薄い板によって仕切られているにすぎない。定員一〇名ほどのこの下宿の台所には、火の調節に天才的テクニックを要する年代モノのガスコンロが一台しかなく、そもそも特定単数の住人が占拠していて使えない。部屋の隙間から様子をうかがっているうちに、その住人がジュウジュウやっている肉の香りが漂ってきて腹が減る。結局、朝は、自室のホットプレートで目玉焼きを焼き、どんぶり一杯のご飯に載せて、そのうえにキムチと納豆をかけるというソヴァージュな一品を食べ、昼や夜は、ライスL&ささみチーズフライというスタイルに落ち着く。しかも、その台所は洗面所も兼ね備えていて、たまに占拠して鍋をグツグツやっていると、自分の手が特定単数の住人の歯ブラシにあたり、それが今夜のおかずになってやろうとわざわざ転がってきたり、干しておいた白いまな板を取り出すと歯磨き粉の塊が虫の擬態のようにこびりついていたりする。ゴッキーが出現するのはいうまでもない。

それでも、というべきか、だからこそ、というべきか、台所という空間に無限の愛着を、私はほとんど形而上学的に感じてきた。なんて言ったら、キムチチャーハンを自己最高のレパートリーと誇って満足している男が何を血迷ったか、と、鼻で笑われるのは必至だ。けれども、台所という生命維持システムに漂う、秘められた、生の原初的ごっちゃまぜ感に、胸をムカムカさせながらも、長年親しみを覚えてきたことも否定できない。

一年間の在外研究を、台所の維持に労力も財産も惜しみなく投じる国、ドイツで過ごしたのは、それゆえ不幸だった。キールやシュヴァルツバルトの野外博物館の民家の台所の写真をとりまくったり、ハノーヴァーの歴史博物館にある一九世紀末の労働者住宅の狭い台所の復元に見入ったり、デパートの広大な台所用品売り場で一日ウロウロしたり、友人の家に招かれて台所用具の説明をしてもらったり、料理番組をはしごしたりしているうちに、山のような専門書を読まないまま帰国してしまったからだ。

いずれにしても、多くのドイツ人は、ある種の台所思想というものを持っている。ナチ時代、それは極限に達する。「武器としての調理用スプーン」というスローガンを掲げ、「台所は主婦の目が全体に届くように整理しよう」、「ジャガイモは柱から吊して保存しよう」、「ソーセージの断面に脂を塗って乾燥を防ごう」など、いまでいえばカリスマ主婦的ワザを「親方主婦制度」という言語矛盾的な制度を用いて伝え主婦の動員に成功したのである。だが、この史実でさえ、我が青春時代を灰色に染めた台所への憎しみを駆り立てはしない。台所とは根源である、という基本的な原理は変わらないからである。

台所をみれば、その家庭の雰囲気がわかるといい、自分の仕事場を他人にみられるのを「まるで台所をみられるようだ」という。「大坂は天下の台所」と誇り、財政が危機状態にあると「台所が苦しい」と嘆く。ドイツ語で「かまど」にあたるHeldは、派生して物事の根源をも意味する。水、火、刃を駆使し、いのちを支えるこの場には、しかし一方で、社会のマッチョさ、飽食社会に住む人間の奢りと空しさ、分解不可能な化学物質に汚染される川、生産者と消費者の乖離など、世界の矛盾が凝縮されて出現する。台所はメディアである。「先進国」の非人道的兵器に傷つけられた人々の写真を痛ましすぎるといって掲載しない新聞よりも無媒介的に、システマティックに人の死を娯楽に変換するワイドショーよりも誠実に世界を伝えてくれるし、意識の持ちようによっては、台所からちょっとずつ世界を変えることだってできる。

しかも、大切にされない台所は黙っていない。ゴミが溜まり、汚い食器がシンクに重ねられ、冷蔵庫が多種多様な生物ミイラの宝物庫となると、排水溝からは有象無象の虫が湧き、ミイラからカビが繁殖し、酸っぱい悪臭が立ちこめ、やがてそれが下宿全体を覆う。無数の新旧男子学生が証言してくれるだろう。これは、しかし、下宿だけの話ではない。食べものの価格変動がギャンブルの対象となり、「バイオ燃料」という偽名の食べものが人間でなくクルマ様のために生産されているいまなら、台所は、みずからを侮蔑する人間や国家を、茶碗のように粉々にしたっておかしくはない。


ふじはら・たつし 京都大学人文科学研究所助教
専門は、農業史。主著に『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)。なお、近刊の共著『食の共同体』(ナカニシヤ出版)でナチスの台所政策について論じている。