複眼時評

鎌田浩毅 人間・環境学研究科教授 「講義はライブが命!」

2006.05.01

私の専門は火山学である。噴火の堆積物を調べるフィールドワークが主な仕事で、海外の火山へもたびたび出かける。京大では総合人間学部にも所属し、地球科学の教養教育を担当している。私にとって全学共通科目の「地球科学入門Ⅰ」と「フィールド地球科学A」の講義は、じつは楽しくて仕方がないものだ。毎回熱中しているといって良いだろう。

講義では、専門の火山噴火や地震を話題にする。我が国は世界でも有数の変動帯にあるのだが、高校で地学を履修している生徒はたった七%しかいない。だから大学で地学のリテラシー(基礎学力)を回復しておかないと、地震・火山の知識は中学生のまま、というお寒い状況なのである。

近い将来に南海地震、首都直下型地震、富士山噴火などをひかえている日本にとって、これではあまりにも無防備ではないか、と私は心配になる。災害から身を守る上で、地球科学の知識はたいへん重要なのだ。

講義では毎時間、実際の噴火を撮影したビデオを見せる。地学に初めて触れる学生に対して、二十五年かけて蒐集したビジュアル教材をまず見せるのだ。これで受講生が興味を失うことなく、地球のダイナミックな姿を実感できる。

テキストには『火山はすごい』(PHP新書)と『地球は火山がつくった』(岩波ジュニア新書)を使う。いずれも、火山や地球についてまったく知らない人が、最後まで投げだすことなく読み通せるように、分かりやすく書き下ろしたものだ。この執筆のために、私は研究人生の大部分を投入して(棒に振って?)しまった。

講義のために親しみやすい教科書を用意することは、とても大切なことだと思う。学生は授業の前に読んで良臭ができる。これによって講義の理解度は格段に向上するのだ。さらに、板書した内容を写し取ることにエネルギーが吸い取られる、という無駄を省くこともできよう。

また、講義の終了後にテキストを読み返すことで、知識の確認もできる。なお、半期一コマの講義に二単位を与えるのは、学生が良臭と復讐のために講義と同じ時間を費やすことを前提としているからだそうだ。

私の講義では、地球科学のコンテンツを与えることの他に、学生が自分の頭で考えることを積極的に促している。受け身の状態で漫然と聴講するのではなく、自身にとって「活きた時間」となるように、あの手この手を使って働きかけるのだ。

毎回、講義の始めには白紙を配る。そこに学生の意見・質問・感想をペンネームで書き込んでもらい、次回私がアドリブで回答する。これによって双方向の授業を実現しようともくろんでいる。

学生は自分の考えを書き記すことで、表現する訓練ができる。言いたいことを書くために、頭を九〇分間しっかりと使うようになるのだ。半期の講義が終わるころには、見違えるほど文章力も付いてくる。

時には、私の研究室を訪問した人に講義へ参加してもらう。二人で教壇に立ち、現場の体験を語ってもらうトーク・ショウである。今年の一回目は新聞記者、二回目は京大卒の出版編集者に出ていただき、学生の質問にフランクに答えてもらった。出席した学生には評判がよかったので、これからも続けたい。

教養の講義では、教科の学習だけでなく勉強の仕方を指南することも大事だと思う。噛み砕いた内容を先生から「教わる」だけの勉強から、自主的に「学ぶ」勉強へと、転換して欲しい。その際に、学生の状況に即して水先案内するのも、教授の大事な役目である。

しばしば私は「頭は縦と横の両方向に使え」と学生に言う。専門性を深めること、広く教養を身につけること、の両方が必要だからだ。そのための方法論を、私は講義の中に「雑談」としてはさむ。勉強法、本の読み方、専門の決め方、人との付きあい方、などを自由に語る。

私の学生時代を振り返ってみると、悲しいかな教授たちの雑談しか覚えていない。しかし、講義のコンテンツを離れた雑談には、私の進路を決定した重要な話がいくつも含まれていた。雑談と軽んじるなかれ、人生を変える影響力もあるのだ。

この「雑談」をあとで学生が体系的に確認できるように、私は三冊の本にまとめることにした。『成功術 時間の戦略』(文春新書)、『ラクして成果が上がる理系的仕事術』(PHP新書)、『科学者が見つけた「人を惹きつける」文章方程式』(講談社プラスα新書)である。新書なのでタイトルはややトンデいるが、中身はいたってマジメな副読本だ。

私は九年前に国立研究所から京大に着任して初めて講義をもった。最初は見るも無残な授業だったのではないかと思うが、ようやくテキストもそろい講義のスタイルが確立してきた。

最新の週刊文春(三月三〇日号)に「現役学生二〇〇〇人が選んだ面白い自慢の授業」という記事が出た。京大から七件ほど載っており「地球科学入門Ⅰ」の講義も入っていた。選定は学生により行われたということで、私はちょっぴり心強く感じた。京大は世間から研究大学として一流の評価を得ているが、教育に関しても一流を目指してはいかがだろうか。

もちろん大学の講義には、研究者が自分の専門をとことん詰めこむ講義があっていい。特に京大のような大学では、学生のレベルにおかまいなしに、教授が最先端の研究内容を開陳する授業があっても構わない。

一方で、私のような講義がもう少し増えても良いかもしれないと思う。京大の強みは、教員と学生の多様性である。色々な研究と教育のスタイルを互いに尊重しながら、次の時代を担うクリエイティブな人材を育てたらよい。

大学の使命の一つは、若者たちに優れた教養を与えることだと思う。そのためには、教師が熱く楽しく語ることが肝要だ。学生たちも大いに乗ってきて、教室全体が「活きた時間」に満ち溢れるのである。

結局、良い講義とは、教師自身が教えることを楽しんでいる授業といえよう。講義はいつもライブが命なのだ。教師にとっても、学生と巡り逢う一生で一度のチャンスがここにある。学生と教授の一期一会とは、どの時代にも変わらぬ真実ではないだろうか。

(かまたひろき 人間環境学研究科教授。専門は火山学だが、科学の啓発活動に熱心な自称「科学の伝道師」)