『心が叫びたがってるんだ。』を解く 僕らの「呪い」は解けたのか(2015.12.01)

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『あの花』から四年

2011年春、全国フジテレビ系の深夜アニメ枠「ノイタミナ」などで『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』が放送された。少年時代の追憶と後悔を下地に、揺れ動く若者たちの心情描写がネットを中心に共感を呼び、満を持して最終回を迎えた。それから2年、2013年夏には劇場版が公開され、興行収入は10億円を突破。テレビアニメオリジナル作品としては異例の大ヒットを記録した。

そしてこの秋、監督の長井龍雪と脚本の岡田麿里、そしてキャラクターデザインの田中将賀の三人による、劇場版『あの花』以前から構想を練っていたアニメオリジナル作品、『心が叫びたがってるんだ。』が公開された。各社のアンケートで9割超の高い満足度を誇るこの作品、これは大学生である我々こそ目を見張るべき変容の物語である。

「オシ」の少女

主人公の成瀬順は、日がな一日言葉を喋らない少女。幼い頃に何気なく発した言葉によって、家族がバラバラになってしまった。お喋りだった少女はそれ以来、二度と人を傷つけることのないよう、その声を封印されてしまったのだ。

言葉にまつわる誤解や偏見を恐れずに言えば、成瀬は「オシ」になった少女だ。すなわち「オシ」とは心を忍び、声を押し込む者である。

『ことばが劈(ひら)かれるとき』を著した竹内敏晴は、幼少期以来の中耳炎が平癒して耳が聞こえるようになった後しばらくの間は発声がうまくできず、思いを人に届けられない「オシ」として苦しんだ。彼がその本で述べたように、言葉を話せないということは、他者への経路を失うことなのだ。

口を噤ませる「呪い」

成瀬の言葉を封印したのは、「お喋りすぎる」と母に迫られ、家を飛び出した先で出遭った玉子の妖精だ。それは彼女のお喋りが災いを呼び寄せると脅し、「黄身も白身もぐちゃぐちゃのスクランブルエッグ」にならないよう、お喋りなその口に呪いをかける。

夫と離婚してから彼女を女手ひとつで育ててきた母は、口を利かない娘をなじる。学校で誰とも話すことがなければ、家でもひとり喋ることのない彼女を、母は戸口に出ることさえ許さなかった。いわく、少しも喋らない娘を人前に出すなんてみっともない。

ところでこの「玉子の呪い」、一体誰の仕業だろうか。もっとも玉子は成瀬の世界に産み落とされた仮想のキャラクターにすぎない。しかし玉子の姿を借りて、喋ろうとするとお腹を痛めて彼女を罰するものの正体、それは他ならぬ「母の呪い」ではなかろうか。夫の不義を娘に告発され、幸せな毎日をめちゃくちゃにされた母の内なるイメージが、メルヘンな玉子に姿を変えて、彼女の声を自身の世界に閉じ込めたのだ。

心の中の「王子様」

成瀬のクラスが担当となった地域ふれあい交流会の実行委員に、彼女はチアリーダー部の優等生・仁藤菜月、野球部の元エース・田崎大樹、そして坂上拓実とともに任命されてしまう。辞退を申し立てようと担任がいるはずの音楽室に向かったその先で、彼女は自分の心を言い当てる坂上の歌を聞く。この人なら自分の心を声にしてくれるかもしれない。歌は呪いの対象でないことに気づいた成瀬は、押し込めてきた思いを彼の奏でる歌に託し、メッセージを打つ代わりにミュージカルの脚本を書き上げる。

成瀬は坂上の歌に、自らの声を救い出す可能性を見出した。そして坂上という人物に、それを実現してくれる王子様の姿を重ね合わせた。呪い以前より憧れていた空想世界の王子様が、呪いを解く歌の作り手として現前したわけだ。それは彼女の中にある「王子様コンプレックス」の一方的な投射に過ぎないが、そのイメージに力を得て、彼女は自分の殻を破る力を蓄えはじめる。

〈感情の嵐〉

交流会前日の晩、成瀬は坂上と仁藤の姿を目撃する。そこで彼女は二人がかつて恋仲だったことを知り、成瀬との関係を仁藤に問い詰められた坂上がその恋愛感情を否定する言葉を耳にしてしまう。彼に対して抱いていた淡い期待が崩れ去り、彼女の中の王子様が死んだ。成瀬は学校を飛び出し、統一を失った世界へと駆け入ってゆく。

交流会当日、姿を現さない成瀬にクラスから焦りと失望の声が渦巻き始める中、坂上が彼女を捜し出すべく立ち上がる。成瀬との出逢いの場所をたどるうち、頭に「すべての始まりの場所」が浮かぶ。果たしてかつての「山の上のお城」、今は廃業となったラブホテルの一室に、彼は成瀬の姿を見出した。そこで彼はもはや呪いを失った彼女の口から、それまで溜め込んできた心の叫びを怒濤のごとく浴びることになる。

ロマンチストの恋とは、理想的な異性像の一方的な投射である。坂上がもはや王子様でない以上、成瀬もまたお姫様にはなれない。坂上をいう存在を鏡に映し出された成瀬の世界は、その鏡が割れたことで像を結べなくなってしまった。坂上は確かに成瀬の中で調和していた世界を「めちゃくちゃにした」のだ。

成瀬の溢れ出る声を、禽獣を絞めて血を抜くように、坂上は真剣に受け止めていく。最後に残ったのは、名前を呼びたいという気持ちだった。その前にいるのは王子様でも何でもない、坂上拓実という一人の人間であり、彼とは別の人間としてそこに対峙し、存在を認められることで、成瀬はお喋りすぎる自分の心を受容することができたのだ。そうして彼に思いを伝えることで、彼女はようやく自分自身を閉じ込めていた自分の世界から救い出された。彼の答えが、彼女の告白に沿えないものであったからこそ。

そして「玉子」の僕たちは

坂上は成瀬を連れて戻り、すでに公演の始まったミュージカルに復帰する。成瀬はクラスメイトの皆に見守られながら、自らの物語である舞台の幕を閉じるのである。

この映画を通して、我々は成瀬というキャラクターの人間的変容を目撃する。人が変わってゆくためには、多大な労力が要るのみならず、激烈で、不安定な心の段階を、必ず経験することになる。それでも自分の力で殻を破り、自分を縛りつけていた世界から解き放たれたとき、そこには新しい人間関係と、生まれ変わった自分がいるのだ。

その物語から我々は、成瀬がもがく姿に自らを重ね合わせて、彼女が遂げた変容に救いを見出すかもしれない。あるいは自分が成瀬のように頑張る少女を救う「王子様」になりたいと願うかもしれない。もしそうであるならば、我々は成瀬と全く同じ心の構造を有していることにも気づかねばならない。我々もまた呪いの解けない「玉子」だからだ。

利口で真面目だと親や先生に褒められ、受験勉強を耐え抜いて大学に入学した我々は、本当は叫びたがっている心を忍んで押し黙ってきたのではないか?

大学生の我々がこの映画を見ることの意義は、成瀬のような自己変容を遂げる時期が、後にも先にも学生のうちにしか残されていないということを気づかせてくれる点にあると思う。呪いを解き、心を叫ばせるには、今しかないだろう。

そしてそのような機会は、案外近くにあるかもしれない。あなたの心をいま孵化させるもの、それはきっと、人の触れる温度、魂を揺さぶる振動覚、そして名前を呼ぶ声だ。(交)

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