教員が選ぶ 入学までに読んでおきたい本(2015.02.16)

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「二次試験終わって何をする?」 遊びつくす、後期試験の勉強をする、何もしない。色々な過ごし方があるなか、ここでひとつ「本を読む」ことを勧めたい。ありきたりだと思われるかもしれないが、あり余る時間に本を開いてみれば、そこには少し違った世界が広がるかもしれない。二次試験を終えた受験生に勧めたい本を、京大の教員に紹介してもらった。(編集部)

現在を知るための歴史


『中世の秋』
(ホイジンガ 著、堀越孝一訳、中公クラシックス、各1500円)


私がこの本に出会うきっかけになったのは、高校1年生のとき、たしかNHKの番組で、東京大学文学部教授だった堀米庸三氏による紹介をみたことだった。それまで、ヨーロッパ中世といっても、高校の世界史の授業の知識くらいしかなかったから、ルネサンスが始まるまでの暗黒の時代という程度の印象だった。解説をきいて、中世の世界がわれわれとはまた違った豊かさをもったものであったということに驚きと感動を覚えた。大学で学ぶ学問というのはこういうものなのかなと、少し楽しみになった。

実際に読んでみると、むしろ中世的な世界が終焉しつつある時代への感受性が全体を覆っているのが印象的だった。しかし、そのなかに出てくる中世の人々の激しやすさと穏やかさ、貪欲さと慎み深さ、傲慢さと無邪気さの間を揺れ動くような生活や感情の描写には、不思議さと好奇心を覚えた。大学に入ってから、文化史とか心性史といった歴史学の潮流があることを知り、その裾野の広さやアプローチにさらに関心が広がった。

日常生活の細部まで丹念に描くフランドル派の絵画のことを知ったのも、この本からだった。ブリューゲルの有名な「子どもの遊戯」の絵には、大人と子どもが一緒になってさまざまな遊びに興じている場面が数多く描き込まれている。当時の生活を垣間みる面白さと同時に、細部へのこだわりが醸し出す独特の魅力があって、機会があると他の作品もみるようになった。数年前に、かつてホイジンガが教鞭をとっていたオランダのライデン大学や美術館を訪ねる機会があり、なつかしく思い出した。

私が専門にしている教育社会学の研究は、現在起こっているさまざまな教育現象を通して現代社会を考えようというのが基本のスタンスだが、これまで社会を支えてきた制度が揺らぎ液状化しつつある状況を、現在の尺度だけでとらえるのは難しい。時間のスパンを大きくとって、今とは異なる社会のしくみや人間の生きかたを参照することで、少し距離をとったところから、自分自身や社会を見直すことができる。自分自身と現代社会を知るための方法としても薦めたい一冊である。

評・稲垣 恭子(いながき きょうこ)
教育学研究科教授
教育社会学・教育文化史


これぞ理学もの


『星を継ぐもの』
(ジェイムズ・P・ホーガン著、池央耿訳、創元SF文庫、700円)


SFと聞いて何を連想するだろうか.「2001年 宇宙の旅」「夏への扉」「日本沈没」だろうか? それとも「スターウォーズ」「エイリアン」「ダーティペアの大冒険」だろうか? SFとは「サイエンス・フィクション」の略なのだが,その多くは「科学もの」ではなく「冒険もの」や「未知との遭遇もの」である.ここで紹介する本はこれこそ「科学もの」と断言できる.誤解を恐れずに言うと「理学もの」である.

あらすじはこうだ.

「月面で発見された真紅の宇宙服をまとった死体.だが綿密な調査の結果、驚くべき事実が判明する.死体はどの月面基地の所属でもなければ,ましてやこの世界の住人でもなかった.彼は五万年前に死亡していたのだ!(裏表紙より)」

「彼は生物学的に100%人間である」,これは事実.「彼は5万年前に月面に存在していた」,これも事実.しかし人類の5万年前はまだネアンデルタール人.月面に到達可能な文明があるはずが無い.ではどういうことだ? 次々と出てくる矛盾だらけの謎に科学者たちは大論争を繰り広げる.

これにわくわくすれば,あなたも立派な理学研究者の卵だ.本の全てのページはこの謎を解くために費やされる.もちろんSF小説としての仕掛けも十二分にあるし,人類の過去と未来といった壮大なテーマも心に響く.でも本書の面白さの本質は理学の謎解きである.

この本は別の意味でも「理学もの」である.この本では実に正しい科学的アプローチでこの謎に取り組む様子が描かれる.観測事実に基づいた仮説を立て,それを様々な角度から仔細に検証する.反証が出れば,修正するか新仮説を立て,再び検証する.このように一歩一歩真実に近づく.決して天才学者の超絶的な頭脳が一気に解決する訳ではない.また,理学は「一人で机で研究」というイメージがあるかも知れない.しかし事実は複数研究者の共同作業である.この小説はそれもきちんと描写する.物理学者である主人公は,地球惑星学者,生物学者,言語学者たちと議論を重ね,時には激論に発展する.

理学研究は壮大な謎解きである(断言).小さく断片的な事実を繋ぎ合わせる.みんなと一緒に議論したり実験をする.地味で地道な準備も必要だ.でもその過程が楽しく,そして最後に謎が解け真実を発見した時の驚き「あー,そうだったのか!」.これを一度知ってしまうと研究者はもう絶対にやめられない.皆さんもぜひ,この本でそれを味わってほしい.本書もあっと驚く真実が待っています.

ホーガンの初期作品はどれもお勧めである.本書の続編の「ガニメデの優しい巨人」や「創世紀機械」「未来の二つの顔」「未来からのホットライン」.いずれも「科学もの」です.

評・鶴 剛(つる たけし)
理学研究科教授
宇宙物理学


ある青春を生きた若者の言葉


「フォイエルバッハに関するテーゼ」(『フォイエルバッハ論』付録)
(エンゲルス著、松村一人訳、岩波文庫(絶版)、京都大学経済学研究科・経済学部図書室、附属図書館蔵)


岩波文庫に、「白128‐9」として、フリードリッヒ・エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(松村一人訳)というのが入っています。その付録として付いているのが、この「フォイエルバッハに関するテーゼ」です。この「テーゼ」は一から一一までありますが、どれも短くて、読むだけでしたらあっという間に読めてしまいます。けれど、よく考えて読むと、入学式になっても、ずっと後になっても、まだ、どういうことだろうと考えてしまうかもしれません。

この「フォイエルバッハに関するテーゼ」は、当時二〇代後半だったカール・マルクスが、あ、当時というのは、一八四五年のことなんですけどね、彼はドイツ人ですけどベルギーのブリュッセルに亡命していまして、奥さんのイェニーさんが家計簿にしていたノートに書き付けたものでした。亡命というと、とても穏やかではない話です。だけど、二〇代後半というのは、入学されるあなたたちと、それほど遠くない歳ですよね。そんな若者が、今から一七〇年前に何を考えていたかと思うと、ちょっと興味を持っていただけるかもしれません。

さまざまな青春があります。さまざまなホモ・サピエンスが、自分の青春を、さまざまな思いで過ごしました。同じく二〇代後半だったプラトンは、尊敬する老ソクラテスが五百人(もしくは五百一人)の市民の陪審によって死刑になるのを経験し、のちに「アカデメイア」を開校することになりました。また、階級制度の強いイギリスではいくら才能があっても本来大学進学などありえなかったジョン・ロックは、父親の社会貢献が認められたことをきっかけにロンドンの名門ウェストミンスター校に入学、王の奨学金を得てオックスフォードに入りました。その後の彼の活躍は、高校の授業でも耳にされたと思います。

マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」は、そんなさまざまな青春時代を送った若者たちの、青春の言葉の一つです。(奥さんの家計簿に書き記したというの、いいですよね。夫の家計簿に奥さんが書き記したというプロットなんかも、私は好きなんですけどね。)その一一あるテーゼの最後がいわゆる「第一一テーゼ」です。もとのドイツ語のメモは、次のようになっています。Die Philosophen haben die Welt nur verschieden interpretiert; es kommt darauf an, sie zu verandern.
「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけである。重要なのは、世界を変えることである」(私の訳)。哲学者というのは、もともと自分を「知識人」だと思っている、もしくは思うべき人のことです。大学に入る? なら、みなさんは明らかに知識人の一人ですよね。だから、このマルクスの言葉は、もしマルクスが現代の若者だったら、この度めでたく京都大学に入学されるみなさんに対して語っていることでもあるのです。

どうぞいい青春を送られますよう。冨田でした。

評・冨田 恭彦(とみだ やすひこ)
人間・環境学研究科/総合人間学部教授
哲学


今だからこそ、読まれるべき一冊


『オリエンタリズム』
(エドワード・W・サイード 著、今沢紀子訳、平凡社ライブラリー、各1553円)


仏の週刊誌「シャルリー・エブド」襲撃事件は一般に、「表現の自由」に対する卑劣なテロとして表象されている。私はそこに、二〇〇一年九月一日にアメリカで起きた同時多発テロが、アメリカの自由と民主主義に対する攻撃として表象されたのと同じ「オリエンタリズム」を感じる。「表現の自由」(あるいは「自由と民主主義」)という近代的な文明世界の普遍的価値観を実践する「我々=西洋」と、そうした普遍的価値観を理解せず受け入れようとしない「彼ら=イスラーム」という二項対立だ。

これらテロ攻撃は、欧米が歴史的かつ今日的に行使してきたもろもろの暴力に対する対抗暴力として生起している。しかし、二項対立言説は、こうした事実を巧妙に隠蔽する。「表現の自由」や「民主主義」という普遍的価値を自らに割り振ることで、「我々」が他者に行使する暴力は忘却され、暴力とは一方的に「彼ら」の専有物となる。世界を野蛮で暴力的な「彼ら」と近代的で文明的で理性的な「我々」とに二分するこうした思考様式を、エドワード・サイード(一九三七―二〇〇四年)は、「オリエンタリズム」と命名した。

サイードは、近代二〇〇年間に英仏の様々な者たちの手によって生産され蓄積された中東イスラーム世界に関する言説を分析。中東をめぐる知の言説を生産するという西洋の営為それ自体が、パフォーマティヴ(=行為遂行的)に、中世的で野蛮で無知で暴力的な「彼らオリエント」を構築し、その反転像として、文明的で近代的で理性的な「西洋」なる主体が構築されたとする。オリエンタリズムとは、近代的で文明的な「西洋」の主体構築のメカニズムであると同時に、その西洋が、近代的価値観を共有しない「彼らオリエント」を植民地支配することを正当化し、機能させるためのソフトウェアである。

このオリエンタリズムの思考様式は、私たちにも根深く浸透している。「イスラーム国」も野蛮だが、彼らを空爆する有志連合もまた、その暴力性においては「イスラーム国」と同じくらい野蛮であるという認識を私たちが持ちえないのは、私たち自身に内面化されたこのオリエンタリズムの効果による。最新式のハイテク兵器による殺傷が、刃物による斬首よりも野蛮でない、などということはないのだ。オリエンタリズムは依然、現代世界に生きる私たちの思考を深く規定している。

評・岡 真理(おか まり)
人間・環境学研究科/総合人間学部教授
現代アラブ文学

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