第3回京大新聞文学賞・開催記念インタビュー 作家・吉村萬壱(2014.12.01)

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京大学新聞社では来年6月30日まで、「第3回京都大学新聞文学賞」の原稿を募集しています。今号では文学賞の開催を記念して、選考委員の一人であり、第1回京都大学新聞新人文学賞を受賞した吉村萬壱氏のインタビューを掲載します。「京大新聞文学賞は芥川賞への道ですよ」と冗談を飛ばす吉村氏。自身の小説作法や文学賞との関わり、求める作品などについて話を聞きました。(羊・築)

よしむら・まんいち
1961年、愛媛県生。「国営巨大浴場の午後」で京都大学新聞社新人文学賞(1997年)、「クチュクチュバーン」で文學界新人賞(2001年)、「ハリガネムシ」で芥川賞(2003年)を受賞。高等学校、支援学校勤務の傍ら執筆を続け現在は専業。著書に『バースト・ゾーン―爆裂地区』『独居45』『ボラード病』など。最新刊『臣女』が12月10日発売。

初めて食べる「味」の作品を

―吉村さんが小説を書き始めた頃の話を聞かせてください。

大学時代から小説を書く真似事はしていました。その時に友達と同人誌を作って「雑居ビル」という小説を載せたんです。雑居ビルを舞台にした群像劇なんですが、本当に、本当にくだらない話で。友達にも「あかんなあ」と言われて自信をなくし、それからは書いていませんでした。
高校教師になって、職場の先生たちが出している同人誌に「居候」を書かせてもらいました。これが複数の国語の先生から褒められたんですよ。それからは年3回の同人誌に毎号書いていました。〆切もあったし、一定量コンスタントに書かないといけないし、今から思うと良い修行になりましたね。
その時は職場の人に読んでもらうためだけに書いていましたが、自分の力を試したいという思いから、だんだん文学賞を意識するようになりました。

―吉村さんは1997年、土星人に侵略された地球を描いた「国営巨大浴場の午後」(『クチュクチュバーン』文春文庫版に所収)で京都大学新聞新人文学賞を受賞します。数ある文学賞の中で、京大新聞の賞に応募しようと思った理由は何だったのでしょうか。

小説を書き始めて間もなかった自分にとっては、文學界新人賞などの大きな賞は、枚数が100枚と敷居が高くて無理だと思っていました。それで北日本文学賞とか鳥羽マリン文学賞とか、いわゆる地方賞に出した。しかし全然ダメでした。こういう地方の文学賞は、ホロっとくる良い話じゃないとアカンみたいで、僕のような作風では受賞させてもらえない。
そんな時、『公募ガイド』を読んでいて「京大新聞新人文学賞」の存在を知りました。「このような作品を求めます」というようなことは特に書いていませんでしたが、京大の「自由の学風」から考えて、自由、ノンジャンルだろうなと思いました。少なくとも地方賞のような縛りはないだろうと。枚数も確か30枚くらいで。〆切ギリギリで家に眠っていた書きかけを一気に仕上げて送りました。生まれて初めてもらった文学賞で、とにかく嬉しかったですね。
受賞して初めて「選考委員は誰やったんや」と確認したんです(笑)。その時の選考委員は森毅さんと若島正さんでした。こんな一級の知識人に僕の作品を喜んでもらえたんやと、ものすごく嬉しかった。宇宙人が攻めてくる話なんて、職場の同人誌に書いたら「何やってるんですか」と呆れられるのがオチですよ。
それからは鳴かず飛ばずの状態が4年ほど続きましたが、「京大新聞文学賞受賞」は支えになりました。この賞が無かったら僕は無いですね。

―吉村さんは2001年に、「クチュクチュバーン」で文學界新人賞を受賞しました。文學界一本に絞って小説を書き続けていたのですか。

職場の同僚だった三咲光郎さん(1998年オール讀物新人賞、2001年松本清張賞を受賞)から「君の作風だと文學界が良いよ」とアドバイスされたんです。多分いい加減に言ったと思うんですが(笑)、それを信じて文學界に応募していました。
文學界って一次審査で2000の応募作から50にまで絞り込むんですよ。2回か3回くらい出したけど全部ダメでしたね。それでも何かで読んだ「一次で落ちるということは、小説の体をなしていない」という言葉が頭にあって、一次通過を目標に高校教師の傍ら書き続けました。プロ作家になりたいとは全く思っていませんでしたね。もう少し出来るぞ、もう少し頑張ろう、という感じで。
受賞作の「クチュクチュバーン」は1週間で書き上げましたが、手応えなんか全然ありませんでした。当時の日記を読むと、「これは小説ではない」「俺は何を書いているんだ」なんて書いていました。

―2003年に芥川賞を受賞するまではどのような感じだったのですか。

文學界の受賞第一作がなかなか書けなくて辛かったですね。僕と同時受賞した長嶋有さんが芥川賞を受賞されて、「文學界の時はこっちの方が評価は高かったのに」と焦ることもありました。何とか受賞第一作の「人間離れ」を書き上げて単行本を出すことが出来ましたが、その後が書けなくなった。編集者に原稿を渡しても「預かり」状態で何の音沙汰もない。それが2年くらい続いたかなあ。「このまま俺は消えていくんや」と感じていました。
僕の「ハリガネムシ」が芥川賞の候補になった時も、下馬評では全然ダメで。編集者から「描写がひどいから、女性選考委員はドン引きですよ」と言われていました。僕も含めて皆受賞はないと確信していて、文藝春秋社近くの中華料理屋で酒を喰らっていました。そしたら電話が来て「おめでとうございます」と。あの時の編集者の驚きようといったらなかったですね。
後になって選考会の内実を聞いてみると、「ハリガネムシ」が一番上で、その次に栗田有起さんの「お縫い子テルミー」が本当に僅差でつけていたそうです。それで再投票しようとなった時に、石原慎太郎さんが「もうトップのやつで良いじゃないか」と言ったらしいんです。それで決まってしまった。多分石原さんには用事があって、早く帰りたかったんですよ(笑)。まあそんなもんです。あそこで逃していたら、もうとれていなかったでしょうね。

―吉村さんは織田作之助賞・青春賞の選考委員も務めていますが、作品の評価基準は何ですか。

とにかく徹底した作品です。奥泉光さんがよく言っていますが、徹底したものが一番面白いんです。中途半端なものは面白くない。

―徹底するとは、詳細に描写するということですか。

そうではなくて、自分のスタイルを貫くことです。徹底した作品は、本質的には何にも似ていない。誰々に似ていると形容することが出来ない小説。その人でないと紡げない言葉で書かれている作品を私は選びます。
どのように徹底するかは人それぞれです。プルーストが『失われた時を求めて』でやったように一秒ごとに描写するやり方もあれば、玄月さんのように省略を徹底して最小限の言葉で表現するという方法もある。徹底の仕方は色々あります。

―吉村さんが徹底しているのは、どのようなことですか。

「こうなるやろう」という読者の予想を裏切る関節外し、比喩、視覚イメージの喚起、変態性といったところで勝負しています。とにかく、「ここまで書くやつおらんやろ」というところまで徹底します。そうしないと自分が書く意味がない。取り繕ってどうする。だから、脱稿した後に読むと不愉快千万です。自分にとって徹底して書くということは、脱糞するようなものです。

―小説を書く上でのアドバイスがあれば教えてください。

初めて小説を書く人って、誰かに似たら「いけた!」と思ってしまうんですよね。これが一番良くない。反対に、何にも似ていない小説を書いたら、「これは小説ではない」と思ってしまう。自分の中にある小説の基準から外れているわけですからね。でも、そういう何にも似ていない作品こそ、新しい文学です。何かに似るのは要注意。
あと、一つの作品を納得いくまでいじくること。一筆書きみたいに一発で良い作品が決まることはほとんどありません。京大新聞文学賞みたいに、30から50枚くらいの短篇だったら、ひと月くらいは書き直しに時間をかけると良いと思います。そうは言っても、受賞するのは案外二日くらいで書いた作品かもしれませんが。
僕の場合、書き出しの一文を絶対に気に入るまで何回も書き直す。これは自分の好きなテイストだという書き出しの一文が出来たら、それに続く最初の一枚を絶対に面白いと確信できるまで、何度でも書き直す。その一枚が面白いと思ったら、2枚目に入る。2枚目の最後まで来た時に一から読み直して、面白いと思えるまで書き直す。その調子で5枚目まで続けると、最後までいけると思います。面白い小説っていうのは最初から面白い。

―最後に、京都大学新聞文学賞への応募を考えている人に一言お願いします。

初めて味わう作品を待っています。それが不味くても良いんです。めっちゃ不味いけど、味わったことがなければもう一口食べてみたくなる。それが中途半端に薄まった味やったらいりませんよ。ゲテモノでも何でも良いから、とにかく初めての味が食べたいですね。

―ありがとうございました。

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