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人権とは何か、考えるきっかけに 「偏見・差別・人権」教員ら体験交え著述

2007.11.01

全学共通科目「偏見・差別・人権」に関わる教員が中心となって、学生・院生や職員からの寄稿も求めながら、自らが人権問題に直面した体験談も交えて人権教育のあり方について考える『京都大学講義「偏見・差別・人権」を問い直す』(京都大学学術出版会)が10月20日に出版された。普段は壇上から人権の大切さを説く教員自身が、なぜ自身が人権について深く考えるに至ったかを率直な心情とともにつづっており、編集者の一人である駒込武教育学研究科准教授(東アジア教育史)は「かつてと違い、人権をめぐる問題自体が見えにくくなった今だからこその新しい試みの本」と話している。

例えば、駒込准教授は第2講で日本軍「慰安婦」問題にかかわって民族差別を取り上げているが、同時に自らの父親の足跡についても振り返っている。ある時駒込准教授は、父親が無料で通わせてもらった工業学校の経営母体の工場で朝鮮人女性が「挺身隊」として過酷な条件のもと働かされていたこと、そこを逃げ出して捕まり「慰安婦」をさせられた朝鮮人女性がいることを知る。それまで言葉だけは知っていた「慰安婦」が父親の足跡と交わることを知り、単に「日本人であるから加害者」であるという紋切り型の理解ではなく、自分自身が「慰安婦」をめぐる問題の延長線上に存在しているのだと感じたと述べている。

他にも第3講「ジェンダーから点検する社会―性差別と向き合う」では伊藤公雄文学研究科教授(社会学)が京都大学の学生時代に性差別主義者として殴られたこと、第4講「『自らを受け止める』とは―『障害』をめぐって」では脇中洋花園大学文学部教授(発達心理学)が心理士として養育者の多様な反応に戸惑ったこと、第5講「無関心な人々の共謀―部落差別の内実を問い返す」で前平泰志教育学研究科教授(生涯教育学)が教育学研究科での配布文書が「差別文書」として糾弾されたことを盛り込んでいる。

冒頭の第1講では野田公夫農学研究科教授(近現代日本農業史)と友澤悠季さん(農学研究科博士後期課程)が対話形式で環境問題を取り上げ、一見関係ないように思われがちな学問分野でこそ、じつは人権問題が深く問われていると提起している。また学生や職員の書いたコラム、編集の舞台裏や執筆者同士の意見の衝突なども取り上げており、現在の大学内の人権を巡る状況や今日行われている人権教育も手探りであることがわかる内容となっている。

全学共通科目「偏見・差別・人権」は93年に起きた矢野事件(当時の東南アジア研究所長・矢野暢が複数の女性秘書に性暴力を犯した事件。すべての裁判で矢野が敗訴)を受け94年に開講されたもの。全10学部が1年ごとに運営部局を持ち回ることで学生のみならず教員・部局の人権意識の向上にも努めている。しかし開講後も部落差別落書き事件が頻繁に発生し、06年には学生による婦女暴行事件、今年に入ってからも人間・環境学研究科でセクハラが起こり、旧態依然とした学内の人権意識、大学の対応のあり方が問題となっている。

12日には、本の出版としては異例の記者会見が行われ、丸山正樹理事・副学長のほか、本書の編集者である竹本修三名誉教授、駒込准教授、京大出版会関係者が出席した。16日から全国の書店で販売しており、「偏見・差別・人権」の講義を振り返りこのように本の形にすることで大学での人権教育のあり方を広く社会に問うという。税込み2310円。問い合わせは京都大学出版会(050・5526・9050)まで。

〈現状を可視化する土台に 駒込武・准教授に聞く〉

―個人的な体験を盛り込んだ新しい試みですが、逆に「学問はこうあるべき」という規定にはなりませんか。またこうした形式ゆえに網羅できない部分も生じたのでは。

編集の段階で語りの形式は統一しないと決めていました。例えば私の文章は私小説的な文体と他の執筆者から言われましたが、個人的なことは記さなかった方もいます。自分の合うものに共感してもらえればと思っています。この本にとりあげたもの以外にも取り上げるべきテーマはまだまだあるし、大学における人権のあり方を問う上では職員の方にももっと原稿を寄せてもらうべきだったと。

―なぜ今はこのような形式を取らざるを得ないと思うのですか。

今は人権という言葉をめぐる共通の価値観のようなものがほとんど崩壊しています。だから、最初から言葉に頼って語ることはできません。序文にも書いたように差別をしている人は、実は自分自身も別な意味で抑圧されているような人であったりします。ただ、それを自らの人権が犯されているとは捉えられないのです。名状しがたい生きにくさみたいなものが今の日本には蔓延しており、インターネット上にもあふれている。この本がそうした状況を可視化する叩き台になればよいと思います。もともと人権問題に関心を持つ人ばかりでなく、「人権」という言葉にうんざりしていたり、うさんくささを感じるような人にこそ読んでもらいたいのです。あと学生だけではなく、ぜひ教員の方々にも読んでもらいたいですね。

―今後の「偏見・差別・人権」のあり方は。

このような本を作るからには教科書にするという話も出たが、教科書指定はしません。ただ教員それぞれで扱い方がちがってくると思います。授業という場以外で、読書会などでこの本についてあれこれ議論してもらえればうれしいし、自分がそうした場に参加することを求められるならば、できるかぎり参加したいと考えています。

―この本の出版の話はいつ頃出たのですか。05年の京大生による女性暴行事件の後でしょうか。

そうではありません。05年度に計画は出ていました。ただし、原稿が思うように集まらず次の06年度にまたやろうということになったのです。暴行事件が起こり、停滞気味であったこの本の出版計画が促進された側面はありました。

〈執筆に携わった友澤悠季 さんの話〉

今回このような形で人権問題に関わり、何か自身の研究に影響はありましたか。

卒論では滋賀県の「環境こだわり農産物認証制度」を調べる中で、切羽詰まった農家の状況を知りました。それ以来「環境(問題)」という言葉では実際に困っている人間のことが伝わらないのではという危惧を抱き、言葉の一人歩きを感じています。今回「人権」を切り口に考えをまとめたことで、他の学問にも共通点を見い出すことができ、大事なヒントをもらいました。

―新しい試みであるが逆に「学問はかくあるべき」という規定にはなりませんか。

どう読むかは読み手に委ねたいですが、そう受け取られるとすれば書き手の足りなさだと思います。個人の体験談であるがゆえ「自分とは違う」と差異を感じる人にもいて当然です。ただ、それをきっかけに差異と差別の違いについて考えるなど様々な試行錯誤ができるのではないかと思います。

《本紙に写真掲載》