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【号外】吉田寮食堂解体決定撤回

2012.04.24

A棟交渉も継続へ 現寮補修の検討開始

【速報】

京都大学が4月10日の部局長会議で吉田寮A棟の建設とこれに伴う吉田寮食堂の取り壊しとこの件に関する吉田寮自治会との交渉を打ち切りを決定していたことが19日明らかになるも、23日に文学部新館第一・第二講義室で開かれた説明会で批判が殺到し、その場で赤松明彦・学生担当理事は食堂取り壊し決定の撤回と交渉継続を確約した。

赤松副学長が4月19日付けで「旧食堂の取り扱いと吉田寮新棟の建設について」という文章を発表し、10日付け部局長会議の決定を寮自治会側に伝えたことで事態が発覚した。

同文書で副学長は「食堂の取り扱いを決断しない限り、いつまでたっても吉田寮の老朽化対策を具体的に進めることができないままとなり、その結果として取り返しのつかない事態をむかえるようなことは何としても避けなければならない」さらに「吉田寮新棟の建設は十全な形では困難」として、吉田寮食堂の取り壊し及び代替スペースの新設、A棟建設を寮自治会に対して通告した。

これに対し09年4月以来断続的に当局側と新棟建設の交渉を続け、食堂の補修を要求していた吉田寮自治会側は「当事者の意見を無視した一方的な決定であり容認できない」と、「吉田寮食堂の取り壊し強行、交渉拒否に反対」する旨を発表していた。

23日に開かれた「吉田寮食堂取り壊しに関する説明会」開始時間の午後7時から150名近くの吉田熊野寮生や食堂使用者らがつめ掛け満員の状態だった。

説明会では冒頭から赤松副学長への激しい批判が相次いだ。副学長は2014年3月までのA棟を建設、ついで2016年秋までに現寮を取り壊してB棟(仮)を建設するというプランを提示し、①吉田南再整備計画という名目で27億円の予算が獲得できている第2期目標中期計画期間内に予算を消化する必要があること、またその選択が寮生の安全を守るために最善の策であること ②A棟には十分な定員を確保し寮の収容人員不足を解消したい、③A棟の建設を決定することで、現吉田寮の老朽化について議論でき、寮生の安全の早期確保にもつながる、という3点を挙げ、「寮生の自治を否定するものではない」と理解を求めた。

寮自治会側は大学側の一方的な決定の撤回を要求。さらに対案として食堂を含めた現吉田寮の補修と焼け跡のみを敷地とするA棟建設案を提出し交渉継続を求めた。寮側は吉田寮の建物は歴史的な意義を有するのみならず、過去の寮生が寮のあり方を追求する中で形作られてきた建物は、自治寮として継承していくべきものであるといった理念面での利点を挙げ、続いて①当局が提案する現寮の建替え工事計画はそもそも第2期中期計画の期限2016年3月に間に合わない。一方、自治会側の提案する補修案を採用すれば工期が大幅に短縮され、第2期中期計画期間中に工事が完了する公算も大きい、②自治会側は現棟(吉田寮食堂含む)を補修したうえでA棟を建てた場合でも当局の主張する十分な定員を確保できる案を提出しているにも関わらず、大学側はこの案を無視しており納得できない、③吉田寮の老朽化対策が必要なのは事実であるが、これは補修でクリアできる問題であり、むしろ補修をした方が早急に問題を解決できる、といった具体的な利点や大学側プランへの疑問点を挙げて副学長らを追及した。

赤松副学長はしばらく「(食堂を除く)現吉田寮の補修については検討していきたいが、食堂とA棟について考えを改めるのは難しい」と食堂撤去と新築を譲る姿勢は見せなかった。しかし会場からは、当事者との交渉に基づく合意の地道な積み重ねの重要性を訴える声や、未だ交渉可能な時間が残されているにも関わらず合意抜きの決定をした大学側の姿勢を批判する声が相次ぎ、最終的に「食堂撤去決定の撤回と交渉継続」を、日付をまたいだ今日午前3時半過ぎに以下の文面で確約した。

赤松副学長は本日午後2時から臨時部局長会議を開き交渉での決定事項を伝える予定。なお今日付京都新聞朝刊27面の記事「食堂取り壊し方針」は昨日の交渉開始から2,3時間ほどまでの情報のみしか記載されておらず不完全な情報である。

確約

私赤松明彦厚生補導担当副学長は、2012年4月23日の話し合いにおける、吉田寮自治会からの吉田寮食堂を含めた現吉田寮の大規模補修方針の提起とそれに関する議論とを受け、2012年4月23日付けの吉田寮自治会に提出した文書「旧食堂の取り扱いと吉田寮新棟の建設について」を撤回する。
今後、吉田寮、食堂の存廃、A棟の条件、現吉田寮の老朽化対策などの事柄に関して吉田寮自治会の団体交渉を含む話し合いを継続することを、ここに責任ある担当副学長として確約する。
また、私赤松明彦は厚生補導担当副学長として、吉田寮自治会及び関係者の合意なくして、食堂の取り壊しとA棟の建設に関する、設計・契約・その他の規定路線化につながる事柄を一切決定することはしない。
また、教職員、警察または警備員を導入した吉田寮食堂の強制的な撤去を行わない。
2012年4月24日  赤松明彦



【解説】吉田寮自治会と大学当局
老朽化問題をめぐる交渉の推移

吉田寮A棟とは



話の発端は2009年4月20日、京大当局が「吉田南構内最南部再整備方針(案)」を吉田寮自治会に提示したことから始まる。計画はメディアセンター南館に隣接するテニスコート(当時)に国際交流拠点施設を建設する他、「焼け跡」と現吉田寮食堂の場所に吉田寮新A棟、現在の吉田寮の位置には吉田寮新B棟を建設する、といった現吉田寮の将来に大きく関わるものだった。その後同月24日に大学当局は説明会を開き、その場で整備案はあくまでも素案であることを確認。吉田寮新棟については寮自治会と大学当局の間で話し合いを続けることが決まった。寮自治会にとっても、築97年目を迎える現吉田寮建物の老朽化対策、および旧西寮のキャパシティ回復は長年の懸案事項だった。同年5月18日に開かれた折衝の場では吉田寮新A棟の建設と現吉田寮の老朽化対策は分けて考える。等の確認がなされた。

予算をめぐるドタバタ



西村周三・厚生補導担当副学長(当時)は当初、新A棟の建設予算を国の予算で確保するために、2009年6月までの合意を寮自治会に求めていた。自治会側も連日の協議を重ねこれに対応していたが、結局文部科学省と西村副学長の協議の中で、概算請求をしても認められる可能性がほぼ無いことが分かり、改めて年内の合意を目指して話し合いを続けることになった。

そうした矢先の2009年7月29日、吉田寮自治会との折衝で西村副学長は新A棟の学内予算申請をしたいと発言。つづく2009年9月7日の折衝では、寮自治会側から何と言われようとも9月8日、つまり翌日の部局長会議に予算申請をするとした。ここで注目すべきことは2009年7月の折衝では「予算は一度通るとひっくり返すのが大変」と言いながら「予算はいつでも撤回可能である」と180度異なる発言をした点である。更にこの場で西村副学長は「新A棟は吉田寮とは別の施設なのだから必ずしも寮自治会の同意は必要ない」と、これまでの前提を反故にする発言をした。

2009年9月30日の情報公開連絡会では、既に8月31日の役員会で吉田寮建て替え予算について議題にしており、2009年9月8日の部局長会議では単に「報告」事項として扱ったことを明らかになった。つまり折衝の場で西村副学長は虚偽の説明をしていたのだった。

予算は学内アクションプランとして吉田寮建て替えに用途を定めた上でなら、次期以降に繰り越しができる。だから暫定的に建て替え予算と決めておきたい、というのが西村副学長の説明である。しかし撤回は出来ると言っても、一度予算を確保して「建て替え」を既成事実化することで寮生との合意が無いまま当局が建設を進める可能性は十分にある。しかも部局長会議での検討を回避し、役員会で何らかの決定が既に行われたのではないか。こうした懸念が寮自治会に生じた。こうしたゴタゴタにより新寮についての具体的な話し合いがほとんど出来ない状態が続いたが、10月2日の折衝で結局年内で寮自治会と一定の合意が見られない場合は予算を撤回すること、松本総長の発言についてはあくまで「希望的観測」を語ったものらしいこと、そして5日の役員会には吉田寮関連議題は出さないことが確認された。

14時間を越えた団交



09年10月8日、文学部新館第三講義室にて吉田寮自治会と西村副学長との団体交渉が行われた。この交渉の目的は、寮自治会と大学当局の関係を規定する文書である「確約」を締結するためのもの。確約をめぐる交渉自体は西村副学長が就任した2008年11月より続けられていたが難航しこの日まで至っていた。この日も改めて問題になったのは「大学当局は吉田寮の運営について一方的な決定を行わず、吉田寮自治会と話し合い、合意の上決定する。また、吉田寮が団体交渉を希望した場合はそれに応じる」という条項1。西村副学長側はこれまでの交渉の中で「やはり京大全体のことに責任を持って考える部署として、(大学当局の側が)最終的に決定権を持っていたという形ではないと困る」と自治会側の要求を拒否した。建て替え問題が浮上している今この条項が無ければ大学当局が寮自治会の意に沿わなくとも新寮建設を強行する可能性があると寮自治会は考え、確約が締結されるまでは新A棟についての具体的な交渉には進めないというスタンスをとった。

両者の交渉は夜を跨いで長引き、結局条項1は一般条項として残した上で「吉田寮自治会と副学長西村周三は新寮・新規寮の建設と現吉田寮の老朽化対策について誠意を持って合意を形成する努力を行う」との条項を追加することで翌朝8時40分に合意を見た。交渉は18時すぎから始まり、実に14時間半掛かって帰結した。

1年2ヶ月ぶりの交渉再開



2011年4月27日、学務部二階会議室において、大学当局が建設を提案している、吉田寮の新棟の条件に関する交渉が行われた。吉田寮自治会と厚生補導担当副学長との確約引き継ぎ団体交渉のため、この新棟交渉は2010年2月を最後として一旦中止されていたが、2011年3月、赤松明彦副学長との確約引き継ぎ団体交渉が終了したため、再び交渉が行われる運びとなった。

が、ここで再び予算問題が浮上する。京都大学第Ⅱ期重点事業実施計画「吉田南構内再生整備事業」の中の「学生寄宿舎の再整備」のために、現在保持されている予算の性質について確認された。ところが、第Ⅰ期重点事業実施計画から第Ⅱ期計画への予算繰り越しの際に、西村周三前副学長が「もし吉田寮自治会と老朽化対策について合意が形成できなくても、予算は転用可能である」と発言していたことが真実ではなく、消化できなかった予算は国に返還されてしまうことが発覚したのだ。

吉田寮自治会は第Ⅰ期重点事業実施計画から一貫して、吉田寮老朽化対策について予算をとることによって、なし崩し的に老朽化対策が押し進められるのではないかとを懸念しており、2009年から2010年にかけて大学当局が強行した予算繰り越しを追認した際にも、予算の転用が可能であることをその一番の動機としていた。そのため、会場は一時騒然となった。

このことについて赤松副学長は、「西村前副学長の頃と違って、最近、予算の監査の目が厳しくなってきている」としながらも、「厚生補導担当副学長として、吉田寮自治会に正確な情報を知らせなかったことを謝罪する」と発言、吉田寮老朽化対策を強行しないなど予算の性質について口頭で約束した。

新A棟の条件をめぐる交渉



2011年5月30日と同年6月13日、吉田寮西、サークルボックス棟跡地(通称焼け跡)への建設を目指す吉田寮の新棟(通称A棟)についての、大学当局と吉田寮自治会間での交渉が行われた。これらの交渉は、2009年2月をもって一旦停止されて2011年4月27日に再開された交渉の継続議題を扱うものである。

予算の性質、寄宿料についての交渉



5月30日の交渉では、まず新棟建設予算の性質についての議論がなされた。「大学当局と自治会が合意に至らなかった場合、予算の転用は可能である」とした2009年当時の大学当局の見解が現状では間違っており、自治会にそのことを伝えなかったのは当局のミスであったことや、合意に至れなかった場合大学当局が強制的に新棟建設を強行しないことなどを大学当局が文書にすることを約束し、自治会はその文言や内容に関して意見を述べた。また新棟の寄宿料について、大学当局は「この金額設定なら学内の諸機関を説得できるし、他の大学や寮(留学生寮)、アパートなどとも折り合いがつく」として月4700円案を主張。自治会は「他との兼ね合いが問題なのではない。経済的に困窮している人々が安心して大学に通うためには、月4700円という金額設定は間違っている。原則として寄宿料・負担区分(水光熱費)は無料であるべきだ」と反論した。この場では議論がまとまらず、食堂の存廃も含め合意は持ち越しとなった。

寮自治会、食堂の補修求める



6月13日の交渉では、主に吉田寮食堂の存廃について議論がなされた。自治会側は食堂を補修することを主張。その理由として、①食堂が外部に開かれたスペースとして、入寮資格枠の拡大など吉田寮自治会の運営に好影響を与えてきたこと、そしてこれからも与えるであろうこと②吉田寮食堂が学内の数少ない自治・自主管理スペースとして存続してきたこと③食堂の雰囲気や構造が、代替不可能であることを挙げた。これに対し大学当局は食堂を取り壊すことを主張した。当局は自治会の主張する食堂の役割を認めつつも、新たな食堂の代替スペースでそのような機能を新たに作っていってほしい、と述べた。また、食堂を取り壊せば新棟の収容人数が増加するため、京都大学念願の定員増加を達成できるとも主張した。定員の増加について自治会は、「吉田寮食堂」という吉田寮自治会にとって意義あるものを壊し、自治会に悪影響を及ぼしてまで定員の増加を望んでいないと反論した。この場では議論は平行線をたどり、前回交渉と同様、合意の形成は次回交渉以降に持ち越しとなっていた。