文化

青木昌彦氏講演会「経済学をどう学ぶか」 抄録(上)

2009.06.10

2009年4月20日
於・京大会館

私は京都大学の経済研究所にしばらく在籍していましたが、経済学部の学生の皆さんにレクチャーするのは30年ぶりです。15年前くらい前に東京大学の経済学部で客員教授だった時授業して以降、日本の学生の皆さんと議論する機会があまりなかったものですから、今日は少しトンチンカンな話になるかもしれませんが、勘弁して下さい。

今日は学部の学生が多いでしょうが、これからどういうキャリアに進むかそれぞれ考えていると思います。会社に勤めて経済活動をしたい人や、お父さんの事業を継ぎたいとか、自分で事業を興したい人もいるでしょうし、霞ヶ関の財務省とか経済産業省とかの省庁に入って経済政策に従事したい人、国連や世界銀行といった国際機関に勤めて色々な経済問題に携わりたい人、金融機関に勤めたい人、あるいは学者になりたいという人もいるでしょう。色々なバックグラウンドや希望を持っておられる人に対して、その目的を達成するための勉強の仕方などを話すのは大変難しいですが、世界の経済が金融危機などで大きく動いている中で、経済学が歴史の中でどのように動いていくか、という事もお話ししていきたいと思います。

「経済学をどう学ぶか」という題をいただきましたが、京都大学の経済学部にはきちんとしたカリキュラムがあるので、ミクロ経済学、マクロ経済学、経済数学などをちゃんと勉強するのは当たり前ですが、これからの時代は、ビジネスに行くにしても学問の世界に行くとしても、経済政策の世界に行くとしても、グローバルな視野を持って活動するのが重要だと思いますね。

どういう点から経済学を学ぶかなんですが、三つくらいポイントがあります。

一つは、経済学とは経済がどう動くかを勉強するわけですから、初めのうちに数学をしっかり勉強しておくことを勧めたいと思います。ではなぜ数学をやるかと言うと、問題を解くというよりロジカルにものを考えることが重要だということです。私が高校を出たのは50年位前ですが、当時の高等学校では微積分や確率論などをきちっと勉強させられた上で、大学に入ったんですね。私は大学にいる頃は学生運動などにかまけて授業に出なかった事のですが、その後一念発起して経済学を勉強しようと思って、大学院に行って2年くらい、独習で当時としては最先端の経済学を勉強するために、数学的にも当時としてはヘビーな論文を自分で勉強して、アメリカのミネソタ大学と言うところに行きました。そこのハーヴィッツ(※2年前にノーベル賞を受賞)という先生から、最初の1年くらいは数学をしっかり勉強しなさいと言われて、最初の1年目は3科目のうち2科目は数学の解析と代数を数学科の大学院生と一緒に勉強しました。今から考えてみると、ハーヴィッツという先生が私に言いたかったのは、数学をどう技術的に解くかという訓練を受けるということではなくて、論理的に物を考える事が重要だと言う事だったと後から気が付きました。先生自身、メカニズムデザインという数理経済学の最先端の業績で,ノーベル賞をもらったわけですが,因数分解などは得意じゃなかったのですね.先生が言いたかった点のもう一つは、数学といえば微積分とばかり考えられがちだが、経済学に有用な数学的考え、という事です.確かに経済学でも微積分を応用してきた訳ですが、微積分というのはご存知の通りニュートンが天文学・力学を考えていく上で用いた数学の一分野ですよね。ところが、経済学とは当然人間社会を相手にする訳ですが、社会というのは色々な個人から構成されているのですね。人々がお互いにインタラクトすることで色々な社会現象が生まれる。人間と言うのは、物理学が対象としている要素と違って心を持っていますから、経済行動をする場合には相手はどういう行動をとるだろうか、また自分がある行動選択をした時、相手はどんな反応を示すだろうかと予想するという特徴があります。これは政治の世界の政治家と当事者の関係でもそうですし、近所づきあいでもそう。つまり相手が自分の行動にどう反応するかを読みながら反応する。そこでゲームの理論が55年くらい前にフォン・ノイマンと言う天才が作ったというわけです。私はこのフォン・ノイマンは20世紀が生んだ最大の学者だと思っています。彼は理論物理の基礎を築き、実際に原子爆弾の製造にも関与した人物ですし、それから現在のコンピュータはフォン・ノイマンマシンと言われているように彼の考えた論理学の上に築かれている。生物学の分野でもDNAが発見される前に自分をコピーする働きを持つメカニズムの理論は寄与している。彼は社会科学の分野でもゲーム理論、すなわち相手の出方を窺いながら相互行動する中で、社会現象のプロセスがいかに進展していくかを考える基礎を築いた人物でもあります。経済学で最近使われている数学はゲーム理論であり、微積分とは違った社会科学に特有の数学です。幸いこの分野では京都大学でも経済研究所の今井晴雄さんなどの専門家がいますから、経済学を一生懸命勉強したい人はゲーム理論という社会科学に特有のロジカルな考え方をきちっと勉強しておく事を一つお勧めします。

二番目には、これから学問の世界に行くとしても、パブリックポリシーの世界に行くにしても、日本の経済問題を解くにしても、非常に大きな国際的な関わりを持ってくるわけですから、国際的なコミュニケーションのスキルを養っておくべきと思います。できるだけ英語で物を書けるとか、英語の文献を読めるようになる事が学部の学生にも必要です。ウィキペディアというものがありますよね。インターネット百科事典として色々な人が参加して編集していくわけですが、日本語版より英語版のウィキペディアの方が内容的には充実しています。非常に詳細に渡った記述があるので、経済問題、あるいはキーワードを知りたい時に英語版のウィキペディアを開くことで、英語の勉強にもなると思います。

三番目に、経済学でも英語でも数学でも、それだけでも勉強するのは大変ですが、これはゲーム理論とも関係しているわけですが、最近経済学者は「人間」の認知の問題に関心を持つようになってきました。心理ゲームであるとか,経済行動科学やブレイン・エコノミクスなどの分野です。今は脳科学が自然科学の分野でも最先端のフィールドになっていますが、経済学の分野でもニューロン・エコノミクスが台頭してきています。これからの時代は認知理論、進化理論、脳科学の分野での仕事が、経済学における人間観や組織観にも重要な影響を与えていく可能性があります.たとえば、果たして人間は完全合理的な存在なのか、会社などという組織ができるのは個人の認知の限界を越えていく仕組みとして考える必要があるのでないか、などという問題です。ですから、従来の伝統的な経済学以外にも知的関心を大いに持っていただきたいと思います。

(次号に続く)


あおき・まさひこ
世界的に著名な経済学者で京都大学名誉教授。1962年 東京大学経済学部卒業。1964年東京大学経済学修士。1967年ミネソタ大学経済学博士号取得。京都大学、スタンフォード大学で教授を務め、現在両大学の名誉教授。