企画

11月祭講演会録 「記者になりますか?それともジャーナリストになりますか?」

2008.12.01

講師:上杉隆
日時:11月24日
場所:法経本館第六教室
主催:京都大学新聞社

外部の記者を阻み、メンバーすらも雁字搦めにする記者クラブ制度をはじめ、様々なシステム的問題を抱える日本のメディア。日本型の会社員的な記者ではなく、本当の意味でのジャーナリストになるためにはどうすればよいのか。この国は健全なジャーナリズムを築けるのか。議員秘書、海外メディア、フリーランスと様々な角度から日本のメディアを見てきたジャーナリスト上杉隆氏に話を聞いた。(編集部)


今日は、「記者になりますか?それともジャーナリストになりますか?」というテーマでお話をします。話は3部構成で、1つ目が最近の取材の中から抗議を受けたり、反政府ジャーナリスト扱いをされ、閣議決定までされてしまったエピソードの内幕など。2つ目が日本の記者クラブ制度について、私のかつての職場ニューヨーク・タイムズとの比較の中で話します。3つ目に日本のメディアがいかにその問題点を解決していくか、またジャーナリストを目指す人が、世界で通用するジャーナリストとなるためにはどうしたらよいかについて話します。

権力が発表したことはウラをとらなくていい―産経新聞

まず、最近の取材のことで、自分自身が話題にもなったことです。ことの始まりは週刊朝日の10月31日号に掲載された『麻生「外交」敗れたり』という記事。麻生総理は外務大臣時代、『自由と繁栄の孤』という本を書いています。その中で対テロ戦争でのアフガニスタン支援について触れていますが、その核となる給油法案を通し日米同盟を守るということがそのまま首相としての政治目標となっています。麻生総理が所信表明演説で堂々と国連よりも日米同盟が上であるとうちだした。それが麻生外交のスタートなのです。ところがこれは日本の片思い外交に過ぎず、アメリカは日本をなんとも思っていなかった。その根拠としては、アメリカが北朝鮮のテロ支援国家指定解除をする際、韓国には一日前に連絡があったにもかかわらず、日本への連絡は解除のわずか30分前だった。これが外交の敗北だったわけです。

記事の一つの材料にしたのが、外務省の斎木アジア太平洋州事務局長の懇談の内容でした。その局長懇談は、記者クラブのメディア、いわゆる番記者だけを集めて毎週水曜日に非公式に開かれているものです。記者クラブに所属していないメディアは出席できないし、問い合わせてもそのような懇談はやっていないとこになっている。ということで、その懇談内容をすっぱ抜きました。

すると外務省の報道担当官が、週刊朝日の編集部を抗議に訪れた。ただ不思議なのが、その抗議が週刊朝日に対してであって私には来ない。応対した統括副編集長は、上杉氏に抗議を届けます、と言いましたが、報道官はそれを断った。結局、その時の抗議は私のところには届けられなかった。

ところが、翌朝、産経新聞の一面を見ると、私が外務省に抗議されたことになっている。仕方ないので抗議は来ていないけど、翌週の週刊朝日(11月7日号)に再反論する記事を書いた。すると今度は産経新聞が抗議をしてくるのですが、やっぱり抗議の対象が週刊朝日に対してであって、私には来ない。また、産経新聞記者の阿比留瑠比さんもブログで言及していますが、正式に抗議を受けていないので反論もできない。一方で不思議なことに、阿比留さんや外務省には、再三インタビュー依頼をしているのです。にも関わらず、一切受けてくれない上にこのような対応です。更に外務省はHPで週刊朝日の記事が事実無根だとして訂正を求めたいという意向を示しましたが、これも一切連絡はありません。

それからしばらくして、麻生内閣のひとりが、さきほどの閣議で週刊朝日の記事を外務省が政府答弁書で否定したと伝えてくれたんです。一雑誌の記事によくそこまでやるな、と思ってもう一度反論記事を書いたのですが、今もって反応はありません。

一連のことから分かるのは、ひとつは外務省の役人根性です。斎木局長はじめ外務省幹部については、決して知らない仲ではないので、堂々と抗議してくれればいいのにそうしない。おそらく、外務省としては、もうわけのわからない上杉とはこれ以上関わるのはやめようという判断なのでしょう。そういう意味では外務省の判断は正しかったのかもしれません。(笑)

一方、産経新聞はちょっと勇み足だった。外務省抗議を、産経新聞がかなり煽っている部分がありました。特に産経新聞の記事は、一方的な外務省の発表ものです。私や週刊朝日に取材もせずに、週刊朝日の記事を閣議で否定したということを載せた。これは、産経新聞自身が掲げている双方向への取材というルールから大きく逸脱しています。日本では「権力が発表したことはウラを取らなくていい」という勝手なルールがあるんですが、それが今回の産経の記事に現れていました。

権力側の文章を記者が書くということ―朝日新聞

もうひとつ批判を受けたのが、たまたま同じ日に発表することになった記事なのですが、新潮45(11月号)に書いた『「所信表明演説」で読み解く麻生総理の“一寸先”』という記事。この記事では朝日新聞の編集委員の曽我豪さんが、麻生太郎さんが文藝春秋に書いた論文のゴーストライターを務めていたということを書きました。曽我さんは麻生さんと20数年来の付き合いで、永田町では麻生さんの意向は曽我さんに聞けば一番詳しいといわれている側近中の側近記者なんですね。実際しょっちゅう六本木の馬尻というお店や、最近話題のオークラのハイランダーや帝国のゴールデンライオンなどのホテルのバーで一緒にいます。その人が文藝春秋の麻生論文(冒頭解散を決断したとされている)のゴーストライターじゃないかという噂が流れたんですね。1ヶ月ほど取材をして、状況証拠やいくつかの具体的な証言がとれ、ほぼ確証を得たので、本人にインタビュー依頼と質問状を出し、文藝春秋の編集長宛にも質問を送りました。曽我さんの方は、インタビューは多忙のため受けられないといわれ、いくら時間がかかっても電話取材でも構わないから待つ、と伝えたのですが、結局そのまま返事がきませんでした。校了直前にも問題点を項目分けしてファックスで送ったのですが、結局、ノーコメントに終わりました。文藝春秋の方はというと、事実無根であると短い返事がきました。また麻生首相と村松首相秘書官にも当然ながら質問を送りました。やはりこれも返事はありませんでした。

この話で問題なのは、政治を左右する権力側の麻生総理の文章を、報道側の曽我さんという一記者が書いているということ。日本では、例えば新聞記者などが幹部になると政府の委員になるなど、報道と権力の垣根がはっきりしていない。海外でこのようなことが発覚した場合はその瞬間にクビ、更に深刻な場合ならジャーナリズム界からの追放ということになります。曽我さんはこういう意味で批判の対象となりました。といっても私しか批判していないのですが。(笑)

アメリカでは、権力と報道を人が行き来する際の明確なルールがあります。それはジャーナリズムが政府の委員やゴーストライターなどをして、権力になんらかの影響を与える場合はいったんペンを置かなくてはいけない。また、権力側にいるときはジャーナリズム側としての発表をしてはいけない。これをやってしまうと、両サイドへの二重の裏切りとなってしまいます。

例をあげると、作家で東京都副知事の猪瀬直樹さん。都民からの公金を得ながら、媒体に発表をしている。もし副知事の立場として書くのであれば、これは一向に構わない。しかしジャーナリズムの立場で書くことには問題がある。例えば東京都の情報を書くとき、副知事の立場を使って書類を出させることができる。それをなんらかの商業誌に書くことは公務員の立場としては漏えいにあたる可能性もある
し、ジャーナリズムの側からしても不正な手段で情報を得ていることになる。両方の立場でよくないんです。

また、先の2件に関してメディアの人たちから私が批判を受けているのですが、その理由が記者の名前を出したことについてでした。名前を出されて批判されることに慣れていないんですね。メディアの方というのは、ご自身たちは政治家や一般の人の名前を出して批判する割に、自分たちが批判にさらされると一切対応しないというダブルスタンダードを持っていて、それが問題なんです。

次に日本の記者クラブ制度について話します。私自身と記者クラブの関わりは、最初はNHKのスタッフとして中から、次に議員秘書という権力側から、その後ニューヨーク・タイムズというオブザーバーの立場から、最後に記者クラブから最も阻害されるフリーランス、という4つの立場からのものでした。15年ほど記者クラブという制度を見てきて、これが日本の報道がうまくいかない最たる理由ではないか、ひいては日本の社会システム全体を歪めているのではないかと思っています。

バブル崩壊後、企業などさまざまな組織が倒れていきました。自浄作用が働かない限り生きていけなくなったんです。遅れているといわれている官僚機構も、いろいろな形でスキャンダルが出て、国民の厳しい目線が注がれるようになり、ある程度自浄作用が働いてきている。農業ですら、WTO加入によって世界に合わせて変わっていかないといけなくなっている。

ところが、メディアだけが昔のまま変わらずに生きている。なぜかというと日本語という大きなバリアがあるからなんです。日本人は日本のメディアがジャーナリズムだと思っているが、海外ではまったく相手にされていない。記者クラブ制度は、同業者がアクセス権を持つという制度ですが、韓国でもなくなりましたし、いまや日本とそれをまねたアフリカのたぶんガボンだったと思いますが、そこにしかない珍しい制度です。

この制度がなぜ問題かというと、クラブの性質によって政治の様々なマイナス点が隠され続けてきたからなんです。最近の例をあげると後期高齢者医療制度。あれは3年ぐらい前に民主党の山井和則さんや福山哲郎さんなどの若手議員らが、とんでもない制度だといって委員会でどんどん質問をしていた。しかし記者クラブメディアはそれを一文字も取り上げない。なぜかと聞くと、野党の一議員が言ったってニュースにならないと言うんです。ところが2年経って制度の運用が始まると、今度は大騒ぎするわけですね。なぜこのことが明るみに出なかったのか、政府はこの制度を隠していたんじゃないのかと。しかし全然隠してなんかいなかった。山井さんなんか自分でビラを作って配っていました。このようなことになったのは、政治報道が権力側の発表に従う発表ジャーナリズムであることが原因なんです。政府が発表するまではニュースにならないし、逆に発表すればなんでもニュースになる。政府が発表したかどうかでニュースになるかを判断し、政策などで物事を判断しなくなってしまう。

“出入り禁止”禁止

この前、元財務省の高橋洋一さんと対談をしていて、そこで高橋さんが、マスコミは使いやすいよ、紙を1枚作っておけば、みんなヤギのように寄ってたかって取っていって、ありがたく記事にする。自分が作った中で本当のことなんて書いたことないが、それでも紙ならニュースになり、紙以外はニュースにならない。紙以外をニュースにする場合は取材が必要なわけです。権力側は、「本当に報じないといけないこと」は事実無根だと否定してくる。それを記事にするということこそ世界中のジャーナリストがやっていることなのですが、日本の場合は出しても全く得がないので出しません。これが記者クラブ制度の最大の問題点。

たとえば私が記事を出して、間違っていれば、基本的には、責任とって訂正記事を出すか、謝罪するか、再取材して改めて記事を出すか、そうしたことをすればいいだけだと思うんです。ところが日本のメディアでは1回間違えると、それがそのまま評価の対象になってしまう。そこには間違いは存在しないという前提があるんです。記者クラブの記者が、仮に間違えた場合どうなるかというと、処罰や人事に影響します。スクープをとればいいかというとそうでも無くて、場合によっては記者クラブから出入り禁止となってしまう。たとえば記者クラブには毎日のように紙が張り出されるのですが、それぞれのニュースには解禁時間があります。それを破ればスクープになるのですが、破ると出入り禁止になります。普通は出入り禁止になるのはいい記者の証なのですが、日本の記者は出入り禁止を恐れます。私なんかいろんなところで出入り禁止になっていて、いまやどこが出入り禁止かわからず、間違えて出入り禁止の事務所に入ってしまってしばらく話してから禁止を受けていることに気付いたなんてこともありました。麻生事務所なんですけど(笑)。そういう意味で出入り禁止自体はそこまで恐れる必要はないんです。

なぜそれを恐れるかといえば、取材された側が社内の上の方に言いつけて、お叱りをいただいて評価が下がるからです。非常に珍しいシステムです。それでもよければ記者は書き続けるのですが、当然ながら出世は見込めず、地方に飛ばされるか現場から外されるか、もしくは辞めざるを得ない状況に追い込まれる。記者も当然ながら生活をして家庭を構えているので、おとなしくせざるを得ない。それがシステムとして完成されているのが日本の記者クラブであって、そこから厳しい記事が出るはずがない。

根本にあるのが日本特有の経営と編集の一体化。ある政治部記者が担当する政治家が出世をすると、その記者も同時に出世します。逆に政治家が失脚すると記者も地位が下がる。取材対象と記者が連動しています。そうなるとその政治家のことはいろいろ知っていたとしても、政治家にとっていい記事は書いても悪い記事は書かない。自分の出世をなくしてしまう記事を書くような自爆行為はしません。そして政治家にとっていいことばかりを書くようになり、先にお話しした朝日の曽我さんのように論文なんかも書いてしまう。マイナス情報があれば事前に教えて対策を考える。

もっとひどいのでは、朝日新聞横浜・川崎支局が中心となった社会部によるリクルート疑惑報道。この時は、ある政治部記者が政治家に警告して、それでもままならないとなると、政治部は一切協力できないと言って社会部を妨害しました。こんなことをやっているといつまでも世界標準にはなりません。

便利な記者クラブ―秘書時代の経験から

自分の議員秘書時代の経験から言っても、記者クラブは権力側からすると本当に便利なシステムです。鳩山邦夫さんがまだ民主党の頃、私は政策と広報担当をやっていて、特に東京都知事選出馬の前にはマスコミ担当をやっていました。その時のノウハウから言うと、プラスになる情報を流すときは、あえてホテルなど誰もが入れる場所で記者会見を開きます。雑誌もフリーも海外のメディアも全部来られるので、報じてくれる可能性も上がるわけです。逆にマイナスとなる情報のときはそういうことはしません。

一つの例をあげるとオレンジ共済事件。友部達夫元参議院議員などが逮捕された事件ですが、その事件に当時選挙区であった中央区だということもあって、鳩山さんの名前も挙がったんです。記者クラブの記者は私に、社会部記者が鳩山さんを追っかけているという情報を入れてくれました。本人は関係なかったのですが、すぐに30人ぐらいの秘書を集めると、うち2人が関係があった。法的に問題はありませんでしたが、その2人には全部情報を出させて、政治資金収支報告書なども調べても含めてセーフではあったんですが、イメージのことを考えて1人を事務所から外し、事態の治まるのを待ってから、再雇用を考えるとしました。

次に記者クラブに取材状況を聞くと、雑誌などにはじきにでるだろうということだったので、記者会見を開くことにしました。報じられる前に自分で報じた方がいいというのはメディア戦略の鉄則です。その時会見に使ったのが国会内の記者クラブと都庁の記者クラブ。クラブで開けば、クラブ所属の記者しか入れないし、フリーなどがオブザーバーで入ったとしても質問権がない。さらにあらかじめ記者クラブに対して質問事項を出させて、それにそって質問をさせる。そうすれば、ある程度報じられても、少なくとも会見を開いた事実は担保される。取材の申し入れがあっても、断る口実にできます。今から考えると私自身が非常に不健全なことをしていたのですが、権力側がこういうことができるということにシステムとして問題があるという証人でもあるのです。

逆にニューヨーク・タイムズにいたときには、記者クラブに阻まれました。ニューヨーク・タイムズで当時の小渕総理の単独インタビューを取ろうとした際、秘書を通じてその許可をとりました。そこまでは良かったのですが、首相動静の欄などに載せないといけないというので内閣記者会(記者クラブ)にも一応日程を報告してくれと言われ、報告した。そうすると記者クラブで問題となり、結局単独インタビューを認めないと言ってきた。そんなことは記者クラブに入っているわけでもないし、守る必要はないのですが、今度は総理側が、記者クラブ全体を敵に回したくないので許可を取ってくれという。それでさんざんやりあったが、結局小渕首相の死によってインタビューは実現しなかった。

知るべきことを知らされない国民

記者クラブは、同業者の仕事の邪魔をする不思議な制度であって、権力側からすれば大変便利だが、フリーからすると非常に邪魔。しかし一番不利益を被っているのは、本来知るべきことを知らされない日本の国民です。これを打破する動きとして、鎌倉市や長野県で記者クラブを開放したということがあったのですが、これはいつのまにかなくなってしまった。また5年以上前に民主党が岡田克也代表のとき記者クラブを開放しているのですが、不思議なことに一切これは報じられなかった。これは既得権益に絡む問題です。民主党の記者クラブ開放を報じてしまうと、雑誌とか海外メディアや私のようなフリーが入ってくる。するとこれまでの記者クラブの調和が崩れてしまい、当たり前ですが政治家に厳しい質問も出てしまう。こういった理由で5年間黙っていたのですが、最近私が『ジャーナリズム崩壊』という本の中でこのことを書いてしまったために、記者クラブの開放が明るみになりました。民主党のある職員からは、お前のせいで仕事が増えてたまったもんじゃないよ、と言われました。(笑)それだけメディアは記者クラブの開放にナーバスになっています。

しかし記者クラブの開放自体は時代の流れだと思います。これまで記者クラブが維持されて来たのは記者たちが、どうでもいい情報をいかにも大事であるかのように扱い、自分たちだけが持っていることで価値を高めて、報じて来たからなんですね。

ところが、そういうことができなくなって来た。その一つの原因にインターネットの普及があります。かつては委員会などの国会審議とかは記者クラブの記者以外は現場に入ってみることができなかった。傍聴してもいいけれど、毎日やっている暇はない。それがいまや完全に動画で公開されている。それを見れば一般の人でも本当のことが何なのかがわかり、記者クラブの記者がどうでもいいことを取材したフリをするなんてことがまずできなくなってきている。また秘書や役人が匿名で書くブログのようなものも増えているし、なんといっても大きいのが政治家とか官僚、つまり取材される側が本人の名前でブログで直接情報を発信していること。特に若手政治家、河野太郎さんや山本一太さんなどはかなり早い段階でブログを書いていて、官邸で首相の話を聞いて来たなんてことをその直後にはアップするわけです。そうすると政治部記者はたまったもんじゃない。翌朝の新聞に書いてあることよりも、もっと詳しい内容を当事者が全部書いてしまうわけですから、いままでのようなごまかしはきかない。そういう意味で変化の兆しはあります。

ただ根本的な部分はちょっと変わりにくい。というのはやはり記者クラブを守って来た人が、いまやメディアの経営陣となっていて、それを開放するというのは自分たちのやって来たことを全否定することになってしまう。私が記者クラブ批判を書いていても、若い記者からは好意的な反応をもらったりもするのですが、幹部の人からは例外無く嫌われている。そういう今の幹部の人がいなくなって、記者クラブに疑問を感じている人が上にいけば、メディア自身から変わっていくこともあるかもしれません。

もうひとつやっていかないといけないのが署名記事の普及です。毎日新聞以外は誰が書いた記事か全く分かりません。毎日新聞もデスク等が手を入れることを考えると、記事に責任を持つという意味での厳密な署名制とは言えません。客観報道という名の下に名前を書けないということらしいのですが、まず人間が客観的だなんて100%有り得ない。客観なんて言う人に限って主観が入っている人が多い。客観報道なんて言うこと自体おかしい。まずその記事が誰によって書かれたかを読者に知らせることも情報のひとつとして必要です。海外の新聞は通信社の記事以外は全て署名記事です。新聞社の記事は分析や評論を主とするので、どういう人が書いたかということが非常に重要なんです。例えば書いた人が、保守的なのかリベラルなのかということを頭に入れながら記事を読めるわけです。また署名をして堂々と批判をすれば、相手も反論してきてそこで論争が芽生える。結果としてそれが政策に影響したり国民の知るところとなる。署名記事が普及することは記者クラブの開放にも繋がります。韓国の記者クラブ制度崩壊の一つの理由には、メディアの側が署名記事制にしたことも大きく関わっています。そうすることで個人が記者クラブに入るきっかけができた。そしていい記者は転職をどんどんするようになり、会社が記者クラブを作る利点がなくなったのです。これが、記者個人として変わっていくべきことです。

新聞業界の再編 通信と新聞の分離

システムとしての部分ではいろんな考え方があるのですが、最近私が一番いいと到達した考え方をお話しします。日本のメディアはジャーナリズムと言われていないのですが、じゃあ何に分類されるのかというと、ワイヤーサービス、いわゆる通信社の業務なんです。海外では新聞記者と通信記者の仕事は明確に分けられます。新聞記者は分析や評論、通信記者は発生もののストレートニュース。通信記者は事件があるといち早く現場に駆けつけて第一報を送る。新聞記者は事件が終わった後にその事件が取材すべき価値があるか、記事に書かれるべきかを判断して取材をして分析し記事を書きます。通信社の記者は署名はいらず、人数は大変多い。その分給料はちょっと安め。新聞記者は、人数は少ないけど、一本の記事が非常に長く執筆力を求められる、文体なども考慮されます。ニューヨーク・タイムズは全世界に300人程度の記者しか居ません。一方日本の朝日新聞は3000人を超えているという状況です。これをどうすればいいか。アメリカのまねをする必要は無いのですが、日本も世界と同じシステムにすればいい。そうすれば3000人の記者はおそらく300人ぐらいになる。ストレートニュースは通信社の記事で十分です。そうすれば記者クラブ自体不要になって通信社の記者だけがいればいい。新聞記者は外に出て取材をするようになる。

ただこの改革をすると、その新聞社は記者クラブを開放しなくてはならないし、9割ぐらいの記者の首を切らなくちゃいけない。難しいかなと思っていたのですが、最近一つアイデアを思いつきました。日本の新聞社が体制を変え、自社の改革として通信社を子会社として作ればいい。そうすれば取材ができて筆力のある記者を新聞社に残して、他は通信社の記者にする。全く取材のできないような記者は淘汰される。こうすれば3000人の高給取りを抱えて危機的状況にある新聞社の経営も、ずいぶん改善されるんじゃないでしょうか。

ただメディアの経営陣と話していると、ものすごく頭が古いのでそうは簡単にいきそうにありません。おそらくショック療法として一社や二社経営破綻して、いよいよどうしようもない状況にならなくては日本のメディアは変わらないのではないでしょうか。これだけ批判をしている私が言うのもなんですが、私も新聞やテレビで仕事をして生活している以上、潰れられては困るし、なんといっても報道機関が無い国では全体主義、独裁主義が始まる可能性もあるので、日本のメディアになんとかして立ち直って欲しいと常日頃思っています。

新しいメディア体制 その先駆者として

最後に、これからジャーナリストを目指す人。まず絶対に守って欲しいことが1つあります。これから報道機関を受ける時、私の名前を絶対に出さないでください。(笑)間違いなく落ちるので。よくエントリーシートとかに尊敬するジャーナリストとかいって書いてしまうと、上杉の上ぐらいまで書いたらもうアウト。面接の時も口が滑ってしまわないように気をつけてください。面接官に1人ぐらい奇特な人がいて、いいよね、なんて言ってくれるかもしれませんが、面接で上がっていって、経営陣になってくると、100%、橋下知事の言葉を借りると2万%、私のことが嫌いです。今日の講演とかも聞かなかったことにした方がいい。聞きにいこうと思っていたけど、雨だしやっぱりあの人変だからやめておいたということにしておいてください。最近じゃ内定取り消しとかもあるので、入社式が終わって、研修が終わって、半年後に正式に配属になって、初めて知っているとでも言っていただければいいと思います。でも基本的には中でも言わない方がいいです。

アドバイスになっていませんが、そもそも今目指されている方が入って第一線の記者になる頃には、今の記者クラブ体制は維持できていないと思います。なのでそれを変える努力をするというよりは、新しい日本のメディア体制の先駆者として自分なりのジャーナリズムをそれぞれが構築していけばいい。別に基本的なことをのぞけば、こうしなくちゃいけないというルールはありませんから。それぞれのジャーナリストとしての手法を自分なりに経験で学んでいってどんどん表現していくことがいいと思います。入る時はくれぐれも黙って入って、中で暴れる(笑)。まぁ追い出されるぐらいの方がどちらかというと優秀なジャーナリストとして拾ってくれるところに多くなると思われます。もしそうならなかったら、皆さんがクビになるよりも日本のメディアが終わっていく方が早いんじゃないでしょうか。逆の意味で、日本のメディアが機能していないからこそ、今から入る人は最初さえ上手くだませれば、ジャーナリストとしての未来は非常に明るいんじゃないかと思います。全くアドバイスにならずにすみません(笑)。

(了)

《本紙に写真掲載》

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