複眼時評

大園享司 生態学研究センター准教授「菌目線のススメ・菌目線でススメ」

2011.07.07

この春から「真菌自然史」という授業を担当している。今日に至るまでの足掛け15年、菌類(真菌類)の生態の研究に邁進してきた。しかし菌類を初めて学ぶ全学部・全学年の学生さんに向けて授業をするのはこれが初めてであり、自分にとって新しい挑戦だ。この授業のために、『菌類の生物学』というテキストを京都大学学術出版会から上梓した。菌類の生活の主体は、目に見えるかびやきのこではなく、目に見えない微小な菌糸である。このテキストでは、そんな菌糸のライフスタイルが平易に紹介されている。興味のある方は、ぜひ手に取ってみていただきたい。

菌類を始めたきっかけは何でしたか、とたびたび聞かれる。思えば私自身が菌類を知り、菌類に興味を持ったのは、やはりこの「真菌自然史」の授業だった。当時は教養部の科目で、相良直彦先生(現京大名誉教授)が担当されていた。ただ正直に言うと、授業自体はあまり印象に残ってない。むしろ相良先生に連れられて参加した「ツキヨタケ鑑賞会」のほうが、鮮烈なインパクトを与えてくれた。それは菌類が私を知り、私に興味を持ったきっかけだったと言うほうが、実情をよく反映しているかもしれない。

ツキヨタケというきのこがある。秋になると、ブナの枯れ木にワサワサ生える。シイタケのような形をしたきのこで、裏側のひだの部分が青白く光るのでそう呼ばれている。ツキヨタケ鑑賞会では、京都北部にある本学芦生研究林のブナ林を泊まりがけで訪ねる。

夜の山道。手元の明かりだけを頼りに、ツキヨタケが群生する立ち枯れたブナの巨木を目指して歩く。たどり着いた枯れ木の根元で、明かりを消す。漆黒の闇の中に座り込んで、じっと息をひそめている。すると、ほのかな光が少しずつ数を増やしてくる。そうして暗がりに慣れた眼前には、空に向かって群がり踊るきのこの光があった。秋の夜風の冷たさも忘れて、言葉も失って、その光をいつまでも見上げていた。

しかし鑑賞会は、それだけでは終わらなかった。ブナ林を彩る様々なきのこをふんだんに放り込んだ、きのこ鍋ディナー。もう時効だろうし書くが、コレにやられた。参加者のほとんどが中毒したのだ。複数の専門家が、事前に食毒判別した。にもかかわらず、15人の参加者のうち12人までもが食後に嘔吐した。もちろん私も、苦しみをタップリ「鑑賞」した。鍋に入っていたかは定かではないが、ツキヨタケも毒きのこであることを、そのとき初めて知った。

光る毒きのこ。一筋縄ではいかないところが、面白い。この経験のあと、私が菌類の面白さに目覚めたことは言うまでもない。光るきのこもきのこ中毒もそうだが、「生の体験」の大切さを、学生だった私は文字通り「生で痛感」したのだ。

私が担当する「真菌自然史」で、受講生の皆さんにこれと同じ生々しい経験をしてもらうことは到底できない。そのかわり、吉田山での菌類観察会を授業のなかで企画している。相良先生のときから続く、この授業の目玉行事だ。座学だけでは知ることのできない、自然界で暮らす菌類の姿を生で体験する機会になればと思う。

もう1つ、菌類が私に手を差し伸べてきた忘れられない経験がある。やはり相良先生に連れられて、先生自身のフィールドワーク(山仕事)に手伝いとして同行したときのことだ。今度は、もぐらである。

もぐらは巣のわきで排泄するが、その「便所」から発生するきのこがあるというのだ。もぐらの巣は地中にある。だから、地上からは見つけることができない。しかしそのきのこが出れば、その下の地中に巣があることが分かる。こうして、きのこを手がかりにもぐらの巣を「発掘」できるというわけだ。

兵庫県安富町の山林。きのこ発生ポイントのわきから、シャベルで掘り始める。15分ほどで、もぐらのトンネルが出てきた。本当にあるようだ。そのあとは、相良先生が丁寧に掘り起こしていく。すると今度は、白い菌糸とぼろぼろになった枯れ葉と木の根のかたまりが出土した。古い便所跡らしい。時に地べたに腹這いになりながら、相良先生はさらに慎重に掘り進めていく。作業開始から3時間半。ついに、土の中から白い菌糸と枯れ葉のかたまりが顔を覗かせた。そのふわふわの落ち葉のかたまりが、もぐらの巣だった。

このもぐらの巣の出現は、新鮮な感動を与えてくれた。そうと知らなければ誰も気に留めることのない、きのこともぐらのつながり。「いまぼくを原始的な悦びで満たしてくれているのは、天地間の秘密の言葉を、半語に自分が理解した点だ」サン・テグジュペリのフレーズが心に浮かんだ(人間の土地、新潮文庫、堀口大学訳)。そのとき、素知らぬ顔をしたその雑木林が輝いて見えた気がした。目に見えない自然の営みを、何とかして見ようとすることの大切さ。目に見えないことを想像する力の大切さに、思い至ったのである。菌糸の目線にたって、自然を眺める。それだけで、見慣れた風景が新しい発見に満ちていることに気づくことができる。

ヘンな生き物、かびきのこ―そう一言で片付けるのはモッタイナイ。その奇異性や特異性に気を取られることなく、心を落ち着かせ、目には見えない菌糸の暮らしに思いを馳せたい。菌糸の生活を想像すること。それは、豊かな多様性を誇る地球上の生物のなかでも、われわれ人間にだけ与えられた特権なのだ。その想像力は、菌糸が菌糸をとりまく生育環境にうまく適応して生活していることをわれわれに教えてくれる。その巧妙さに、感服させられる。菌糸の生き様の理解を通して、われわれ人間の生き方だけが正解ではないことを思い知らされる。授業を通じて、こんな「菌目線」の面白さを伝えていきたい。


おおその・たかし(生態学研究センター准教授)《本紙に写真掲載》