文化

〈企画〉名古屋に「一人ぼっちの夜」 吉田寮ヒッチレース体験記(2)

2011.07.07

ヒッチレースとは吉田寮祭でもっとも過酷なイベントの一つである。ヒッチレースの出走者達は深夜に車に乗せられて寮を出発し、全国の各地へと運ばれる。徳島、岐阜、愛知、それぞれの場所にランダムで捨てられた出走者は無一文、かつ身分証明書なしでヒッチハイクのみにより、京都を目指す。今回は編集員猪が静岡からのヒッチハイクに挑戦した。

《本紙に写真掲載》

ヒッチレース(静岡編)

「せいぜい苦しんでくれ。きゃははー」という非情の笑い声を残して、私を吉田寮から乗せてきた車は猛スピードで去っていった。

静岡市の「閑静な住宅街」に降ろされた私は、とりあえず太い道を探して歩き始めた。時刻は6時前である。車の多い通りに出て30分くらい歩いたところでコンビニを見つけ、そこでドライバーに片っ端から声をかけていく。5人くらい声をかけたところで、焼津ICまで乗せてくれるというサラリーマンを見つける。福島へボランティアに行った帰りだそうで、缶コーヒーを飲ませてもらったり、励ましの言葉をくれたりといろいろ良くしてもらった。

焼津IC目前の「焼津さかなセンター」で降ろしてもらう。時間が時間なら観光客で賑わっているらしいが、朝の7時半には閑散として物悲しい雰囲気が漂っており誰もつかまりそうにないので、近くにあったコンビニに移動する。数人に声をかけるも私の風貌を警戒してか、誰も話すらまともに聞いてくれない。私より怖そうな人に声をかければ良いのだと閃いた私は勇気を出して、大きなかばんを持っていた体格のいいお兄さん二人組みに声をかけてみる。この二人組み、どうやら愛知県に向かっている最中らしく、ぜひ乗せてくださいとお願いしたところ快く承諾してくれる。車中で、彼らが草野球大会に参加するため愛知県豊橋市に向かっているのだと聞き、私も長い間野球を続けていたことを話すと、それならば俺らの試合を観戦しに来いと、命令に近い形で誘われる。ヒッチハイクにおけるドライバーの権力は絶対である。断ることもできず、渋々豊橋市の球場までついていくこととなった。球場では、彼らの荷物をきれいに並べたり、監督が雨に打たれないように傘を差したりするよう指示され、野球観戦というよりかは、単に雑用を押し付けられただけで、ほとほと散々な目にあった。試合に見事勝利した彼らは意気揚々と帰り支度を始め(もちろん手伝わされた)、あろうことか彼らが昼食をとるという静岡県の浜名湖SAまで連れ戻されてしまう。そこで昼食を食べさせてもらい、彼らと別れる。

焼津SAでは名古屋市方面に行く車を簡単に見つけることができ、東郷PAまで乗せていってもらう。 これが地獄の始まりであった。東郷PAで16時から20時まで声をかけ続けるも、誰も乗せてくれない。東郷PAは21時までしか開いていないため、これ以上ここで粘っても恐らく無意味だろうことを悟る。幸い東郷PAから一般道へは歩いて入ることができたため、その道を通って名古屋市内まで行こうと決意する。名古屋市まで20キロの標識を見て、ヘラヘラと力なく笑いつつ、大雨の中ひたすら歩き続ける。

午前1時頃に名古屋市内のどこかのICを見つけヒッチハイクを再開。奇跡的に乗せてもらうことに成功するも、急に仕事が入ったようで、先ほどとは別の名古屋市内のどこかのICで降ろされてしまった。乗せてくれたドライバーの、南に5キロほど歩いていけば国道1号線があるから、そこでヒッチハイクすればいいとの助言に従い、南に歩を進める。
雨は降り続け、喉の渇きは限界に達していた。飲食店やコンビニのネオンは眩しいほどに輝いているが、私にはそのどれも利用することができないのだ。知り合いもいない。金もない。「街」はそんな「剥き出しの個人」を拒絶している。それでも、いや、それだからこそ、生還するためには歩き続けるしかないのだ。

そうして、なんとか国道1号線までたどり着くことが出来たが、午前5時にずぶ濡れの他人を乗せてくれる車など当然ない。やはりこれが現実か、などとニヒリスティックな思いを抱きはじめていたところに四日市まで乗せていってくれる車が見つかる。自分はもう吉田寮には帰れないのではないかと思い始めていた矢先だっただけに、これは本当にありがたかった。また、道中で朝食を食べさせて貰ったことも私の疲れ果てた心と体を回復させるには十分であった。

「救世主」の登場によって、光が差したかに思われたのだがやはり現実は甘くなかった。大津方面と書いた紙を掲げるも、誰も止まってくれずに3時間近くが経過する。食べさせてもらった朝食の効果が早くも切れようとしていた。しかし、神は私を見捨ててはいなかった。突然後ろから「兄ちゃん、亀山までなら乗せたろか?」と声がかかる。振り返ると、気の良さそうなお兄さんが手招きしてくれていた。濡れ鼠の私を見るに見かねて、声をかけてきてくれたらしい。なんでも、このお兄さんは一文無しで生活していたことがあるらしく、名古屋での苦しい思い出を話すと、一々頷いて、自分もそのような苦労をしたことがあるのだと同意してくれた。同じような思いをした人と苦労を分かち合うことは涙が出そうなほど嬉しい。

亀山では、すぐに京都へ行く車を拾うことができ、二条城付近まで送ってもらうことができた。そこから吉田寮まではただ歩くだけでよいのだが、足の甲が炎症をおこし、靴の中でパンパンに腫れ上がっているために、まともに歩くことができない。1時間30分、足をひきずりながら歩き続け、吉田寮に到着したのがちょうど昼の12時であった。寮は出発前と変わらぬ姿でそこに建っていた。

これで私のヒッチレース体験記は終わりである。道中、死ぬ思いを何度もしたが、それでも行ってよかったと断言できる。読者の皆さんにも、一度行ってみることをお勧めしたい。ただし、命の保証はできないが。(猪)