短期留学体験記
2026.08.01
3人で語り合った中文大内の場所。夕暮れ時は特に美しい
今回はそんな悩みを持つ人に向け、3人の編集員が「短期留学」を紹介したい。短期留学は留学の良さを気軽に体験できる機会だ。これを読んでぜひ世界に飛び込んでみてほしい。(編集部)
目次
悩むまえに飛べ!夜明けに肩を並べ
一定會再回去(必ずまた戻って来よう)
悩むまえに飛べ!
留学先:インドネシア大学 期間:2週間半
大学院進学を控えた学部4回生の春休み、私は初めて日本を出た。海外に行きたい気持ちはあったが、外国語でのコミュニケーションへの苦手意識が勝ち、気が付けば国境を跨がないまま学部生活を終えようとしていた。今を逃せば一生行かない気がした。どうせなら馴染みのない場所へ。そう思ってインドネシアのプログラムを選んだ。
現地ではインドネシア大学の敷地内にある外国人用宿泊施設に滞在した。急勾配で赤褐色の瓦屋根が目を引くその建物で、ビュッフェ形式の朝食を食べたのち、午前中にインドネシア語の授業を受け、午後は自分たちでテーマを設定した最終プレゼン課題の準備を進める。それを終えると、またこの建物に戻って、床に就く。それが平日のルーティンだった。こう聞くと、日本での大学生活と同じではと思われるかもしれないが、異国の地での日々は驚きの連続だった。
昼食は、大学内の食堂で食べることが多かった。生協が運営する日本の学食とは違って、個人が出店するテナントが所狭しと並び、独特の香辛料の香りと熱気に包まれていた。ナシゴレンはもちろん、インドネシア風の焼きそば「ミーゴレン」や甘いタレがからんだ串焼き「サテ」などのインドネシア料理が楽しめる。驚いたのは、一部の店舗が閉まっていることだ。イスラーム教の断食月「ラマダン」だったためである。ムスリムの学生と昼食の時間をともにすることもあったが、日中は断食しているため、目の前で我々だけが申し訳ないと思いながら食事をとることとなった。「気にするな」と言ってくれたが、生活の至るところに宗教が根付いていることを身をもって体感した瞬間だった。
ジャカルタの郊外デポックにある広大なキャンパスにはモスクが複数あり、街のレストランには礼拝室が備えられていた。街中では、一日数回、アラビア語による独特の音色が響き渡る。イスラム教における礼拝への呼びかけ「アザーン」だ。一緒に参加している学生は、夜明けのアザーンに起こされ、寝不足だと愚痴をこぼしていた。初めての異国の地で疲れた私は、まったく気づくこともなく、寝坊しそうなほどだった。
最終プレゼンのテーマは、インドネシアと日本の若者の政治参加の比較。準備を進めていたある日、キャンパスで学生たちが集会をしているのに出くわした。主催は日本の学生自治会にあたるBEM(学生執行部)で、これからジャカルタでデモをするのだという。横断幕を掲げ、声を合わせる一団を、通りかかった学生が眺めている。かつての日本にはあったのかもしれないが、現代の日本の大学では珍しい光景だと感じた。
平日のインドネシア語の授業は、間違えても温かく受け止めてくれる雰囲気だったため、語学に苦手意識がある私でも無理なく楽しみながら参加できた。インドネシア語自体がアルファベット表記で発音も素直であり、文法構造もシンプルで学びやすかったことも幸いした。授業で習ったフレーズが街中で通じたときは、語学を学ぶことの歓びを肌で感じた。
土日は、電車でジャカルタに向かい、インドネシア国立博物館やイスティクラル・モスクなどを訪れた。約一時間で着き、片道運賃は3000ルピア、日本円で30円くらいだった。列車は日本の中古車両を活用しており、列車内にいると、なんだか日本に戻ってきた気分だった。列車内は身動きが取れず、日本の満員電車を思い出したからかもしれない。満員電車の息苦しさまで日本から持ち込まれているような気がして、思わず苦笑いした。
帰国してからも、言語学習アプリでインドネシア語の勉強をしている。いつか、再びインドネシアを訪れたい。行ってしまえば何ということもなかった。何事も、少しでもやりたいと思ったなら、迷っている時間はもったいない。(法)
目次へ戻る
夜明けに肩を並べ
留学先:香港中文大学 期間:3週間
「早晨!」まだ薄暗い波止場に続々と集まってきた人たちが互いに挨拶を交わす。早朝にやってきてひと泳ぎするのが地元の人たちの日課らしい。静かだが人々の営みが動き始めている、そんな朝の空気の中、異邦人の私たちは、ただ水平線を眺めて波の音に耳を澄ませていた。留学最終日の朝のことだ。
香港での滞在を思い出すと、脳裏によぎる美しい風景がいくつかある。薄く靄がかった夜明けの浜辺もその中の一つだ。私の短期留学は、短い時間の中にそうした印象深い瞬間が詰め込まれた濃密な3週間だった。
1回生の4月末、中国語の授業中に配られた留学プログラムのビラを見てすぐ、夏に香港へ短期留学することを決意した。思い返せばかなり即断即決だったが、入学直後の満ち溢れたやる気にこそ為せた業だろう。とにかく日本以外の世界を見てみたかったので、第二外国語に中国語を選択しているという単純な理由で行先を香港に決めた。
8月、夏休みが始まってすぐに香港へ渡った。留学先の香港中文大学はとにかく広い。山の斜面がまるまる大学なのだ。内部には無数の寮や食堂、スーパーまであり、ほとんど1つの町の様相を呈している。端から端まで歩いたらどれほどかかるのか見当もつかない。滞在しているうちに行けるところまで行ってやる、と初日に心に決めた。
3週間の滞在といっても、それほど観光に時間を割けるわけではない。朝から夕方までみっちり中国語の授業を受けるし、課題もちゃんと出る。平日の放課後は同室のYと食堂開拓を進めるかスーパーで食料を調達した後、一緒に課題に頭を悩ませては泥のように眠る毎日を過ごした。大学内部の探索で手いっぱいで、私たちが大学の外に出るのはほとんど土日だけだった。
香港滞在中に訪れた場所で最も印象深いのは、初めての休日にYと昇った岩山・香港獅子山だ。マカオでカジノ、女人街でショッピングなどと華やかに休日を過ごす他の学生に対し、ひねくれた逆張り精神が働いた結果、私たちは地獄のようなハイキングを体験する羽目になった。その日は香港でも特に猛暑で、道を聞いた現地の住人に「よりによって今日登るの?」と言われるほどだったのだ。標高495㍍、香港の富士山とも呼ばれる獅子山のごつごつした山肌は、何の登山の用意もしていない素人に牙をむく。異国の山中でもし足を踏み外したら、どう考えても大事だろうと頭をよぎった。しかし、この恐ろしい妄想はむしろ私を高揚させた。徹底的な非日常、体力の限界に迫る感覚が心地よかったのだ。ようやく頂上にたどり着いた時、晴れ晴れとした達成感が私を包んだ。眼下に広がる香港のビル群が猛烈な日差しと青空を反射してすがすがしく美しかった。
留学中には多くの新しい出会いもあった。中でも特に親しく付き合ったのが、他大学からプログラムに参加したSだ。Yと3人で意気投合し、時には寮で騒ぎながら夕飯を作り、時には真面目に将来を語り合った。Sは国際教育に興味があること、Yは香港で働きたいと考えていることを打ち明けてくれた。将来のことをまだ考えていなかった私は2人のことを心底尊敬し、その目標を応援したいと強く思った。留学も終わりに近づ
いたある日、Sが突然私とYを誘った。「最終日の朝、日の出前に海に行こう」。
積極的なSが計画を立て、好奇心旺盛なYがすぐそれに乗った。そして未明の朝5時、私たちは最寄りの浜辺にいた。タクシーの荒い運転と徹夜状態とで、全員疲れ果てて言葉少なだった。薄桃色と水色と黄色が入り混じった嘘みたいな空が明けるしばらくの時間、私たちは別れを惜しむ言葉の代わりに肩を並べて見届けた。
これを書いている今、その空の写真を眺めてたった1年前のことを懐かしく感じている。もう一度香港へ旅行に行っても、この時ほどの経験はできないだろう。特に、この留学でしか出会えなかった様々な人との縁は、多くの得がたい刺激を今も与え続けてくれている。今冬からYは香港へ、Sは上海への長期留学を決めた。このうれしい報告を聞いたとき、彼女たちが香港で語ってくれた目標に向かって迷いなく進んでいることを知り、多くの勇気をもらった。2人とは現地で再会する約束だ。香港で繋がれた奇縁に驚くとともに、あの夏に留学に行くことを決意して良かったと心から思う。(燈)
目次へ戻る
一定會再回去(必ずまた戻って来よう)
留学先:国立台湾大学 期間:3週間
以前から日本統治時代の台湾史の研究をしたいと考えていたので、台湾留学にいつか行きたいとは思っていた。とは言っても、すぐに長期留学をしようとまでは決心できなかった。まず語学要件を満たすため勉強に励もうという気にはなれなかった上、台湾の風土や食生活、衛生環境に適応できるかも心配だった。もし合わなかったとしても、ひとたび長期留学に行ってしまえば、中断して帰ることなどできない。どうしようかと考えあぐねていた時に見つけたのが3週間の短期プログラムだった。不安はあったが、自分が台湾に適応できるのかの試金石になるだろうと考え、申し込んだ。どんなに嫌になったとしても3週間なら耐えられるはずだと楽観的に思えたのが大きかった。
3月1日に私は6人のメンバーと共に台湾に飛び、3週間のプログラムが始まった。私の留学先である国立台湾大学は日本統治時代の1928年に「台北帝国大学」として設立され、キャンパス内には帝大時代に造られた建物が多く残っている。
私の一日は早餐(朝食)を食べることからはじまった。台湾では町中のいたるところに早餐店があり、もちろん台湾大の中でも楽しめる。私のお気に入りは蛋餅(卵クレープ)と豆漿(豆乳)とチキンナゲットのセットで、これを食べるため早く登校したこともあった。平日の午前中に受ける中国語の授業は、京大での語学学習とは一味違った。まず授業が全て中国語だった。京大でも2年間中国語を学んでいたが、はじめのうちは台湾大の講師の話す中国語を半分聞き取れるかどうかだった。当てられたときはどう言えばいいかわからず、中国語と英語まぜこぜで何とか乗り切った。一番印象に残っているのは文法の授業だ。日本でも習ったものが多かったが、区別しづらい表現の違いをイラストで解説してくれたので理解が深まった。授業が終わった後は、クラスのメンバーと学食へ。台湾大の学食はビュッフェ方式のものが多く、お皿一杯に盛り付けても500円程度と大変お得だ。焼売や春雨、台湾排骨、さらには知らない料理が数多く並んでいて、3週間いても制覇できなかった。午後は台湾大生が主催するアクティビティで台北市内の寺院やタイヤル族(台湾の原住民族)の住む烏来区を訪れたり、同じクラスのメンバーと大学近くの繁華街でタピオカを飲み歩いたりした。
3週間の中で最も濃密な時間を過ごしたのは、実は宿舎だった。宿舎は大学からバスで10分ほどのところにあり、ドイツ・アメリカ・中国など世界各地の学生が居住していた。宿舎1階の共同スペースで、彼らと時にお酒を飲みながら夜遅くまで英語で語り合った。お互いの生活や大学の話だけでなく、政治をめぐって侃侃諤諤の議論が飛び交うことも多々あった。私がドイツの学生に右翼政党の台頭について質問した時には、日本の若者は右翼と左翼どちらが多いのかと逆に聞かれた。総じて感じたのはどの国の学生も自国の政治情勢への感度が高く、それを話すことを全くタブー視していないことだった。
一方、中国人学生とは政治的な話題を話し合う難しさもあった。中国国籍の人は、原則交換留学など学術目的以外で台湾に行くことが認められておらず、彼らの多くは「台湾に来るためにプログラムに参加した」と言っていた。あるとき私が習近平国家主席についてやや批判的に話したところ、彼らはとても微妙な顔をしていた。あまり下手なことを言うと帰国できなくなる恐れがあるらしい。それ以降、彼らとは政治的なことをなるべく話さないようにした。帰国前日の出来事も印象に残っている。中国人学生と食事をしていた時「中國人還是臺灣人(中国人それとも台湾人)」という表現を私が使ったら、中国人の前ではあまりその表現を使わない方がよいと忠告を受けた。中国人の中には「台湾は中国の一部だ」と考える人もいるからだという。自由と民主主義が今や根付いている台湾にいながら、中国による統制を意識せざるを得ない彼らの姿にもどかしさを覚えた。
3週間を通して多様な背景を持つ同世代と思う存分語りあえたことは旅行では決して得られない留学の醍醐味の一つだと思う。ただ中国語があまり使えなかったことは悔やまれる。中国や台湾の人とたくさん話したのに、英語ばかり話してしまった。
台湾に適応できるかという不安もいい意味で裏切られた。気づけば毎食台湾料理を求めるようになり、念のためと持ってきた日本食に手を付けることは一度もなかった。大丈夫だろう、そう思って長期留学への決心がついた。来年夏また台湾に戻ってこよう。 (鳥)
〈コラム〉短期留学をするには
まずは留学の情報がまとまった「京都大学海外留学情報ポータルサイト」を見てみよう。ここには奨学金や留学プログラムなど留学に関する様々な情報が掲載されている。京大が提供する短期留学プログラムには「京大主催」「大学取りまとめ」「個人応募」の3種類がある。京大主催のものは、主に夏休みと春休みに実施され、大学からの支援が手厚いのが特徴だ。航空券や宿泊先の手配は大学側が行い、支援金も支給される。プログラムを終了すると全学共通科目の単位(2単位)が取得できるものも多い。なお、今回紹介した3つのプログラムは全て京大主催のものだ。「大学取りまとめ」と「個人応募」となるのは、京大と大学間学生交流協定を締結している協定校が主催するプログラムだ。京大からの支援金はない上、個人応募のものは一から自分で手続きを行う必要がある。京大主催のものと比べると、語学や成績の要件が課されているものが少なくない。その一方協定校による受講費の免除や割引があるプログラムも一定数ある。受講費が免除された場合は京大主催のものよりも安く短期留学ができることもある。締め切りにも注意が必要だ。特に京大主催のものはプログラム実施の3ヵ月前くらいに締め切られることが多いので、決断はお早めに。(鳥)
まずは留学の情報がまとまった「京都大学海外留学情報ポータルサイト」を見てみよう。ここには奨学金や留学プログラムなど留学に関する様々な情報が掲載されている。京大が提供する短期留学プログラムには「京大主催」「大学取りまとめ」「個人応募」の3種類がある。京大主催のものは、主に夏休みと春休みに実施され、大学からの支援が手厚いのが特徴だ。航空券や宿泊先の手配は大学側が行い、支援金も支給される。プログラムを終了すると全学共通科目の単位(2単位)が取得できるものも多い。なお、今回紹介した3つのプログラムは全て京大主催のものだ。「大学取りまとめ」と「個人応募」となるのは、京大と大学間学生交流協定を締結している協定校が主催するプログラムだ。京大からの支援金はない上、個人応募のものは一から自分で手続きを行う必要がある。京大主催のものと比べると、語学や成績の要件が課されているものが少なくない。その一方協定校による受講費の免除や割引があるプログラムも一定数ある。受講費が免除された場合は京大主催のものよりも安く短期留学ができることもある。締め切りにも注意が必要だ。特に京大主催のものはプログラム実施の3ヵ月前くらいに締め切られることが多いので、決断はお早めに。(鳥)





