〈書評〉収集癖の営みから研究を学ぶ 今和次郎『考現学入門』
2026.08.01
「街並み」と言っても風景画の類ではない。植木鉢、雨樋、燕の巣、井戸、下駄箱といった、民家のひと部分についてのサンプルが、筆者の素朴だが写実的なイラストと論説によって紹介される。例えば植木鉢といっても様々で、既製の植木鉢だけでなく壊れた土瓶や切り株が用いられることもある。筆者はそうした郊外の事例を引いた上で、「都会の人は植木鉢にでなければ草や木を植えることを知らない。そんな不便な考えの下に、都会の人たちは宇宙から遠ざかった国に住んでいるんだと考えさせられる」と綴る。植木鉢の観察を切り口に、激烈な近代化を遂げて落ち着く大正末期の日本社会に向ける鋭利な視点は、現代社会の我々の私生活にも及んでいるように思える。
今の観察対象は民家のみならず、街を往来する人々も含まれる。特に今が目をつけたのは銀座を闊歩する「銀ブラなる人種」と、深川に当時あった「貧民窟」だ。「銀ブラ」については襟や足袋、髭の形状や着物の模様まで細分化して数量を記録している。また、深川の調査では銀座の調査を引き合いに出し、その相違は道路の舗装状況や経済事情の相違に由来すると仮定する。今は、歴史的伝統と自然的環境の相違に加え、経済的な相違を勘案することで風俗研究は社会科学的に発展すると主張しているのだ。ただ一方で、この2者の比較の際に差別的な論調が見受けられることも留意したい。
学生視点で読むと「学生ハイカラ調べ」が興味深い。1926年において大学の試験中に教授が学生の髪型を記録した一覧図が載っている。結果は上位から順に、七三分け(約60%)、オールバック(約30%)、そして坊主、中央分けと続く。同時に調べられている眼鏡の着用状況についても、着用率は約30%、その中でもセルロイド縁、縁なし、鉄・赤銅縁という順で多いようだ。別の調査では、複数の科の学生が揃う教室で学生の頭髪を「シャン(お洒落)」「ブショウ(無精)」に分けている。面白いのは、「芸術的な科目」の学生ほど「ブショウ」が多く、「純科学的な科目」の学生ほど「シャン」が多いという今の結論だ。現代の直感とは反している印象を受ける。翻って評者が所属する文学部の中でも、「歴史系は黒系の髪色がほとんどだが、メディア系は髪色が明るい傾向がある」といった言説も囁かれており、直近1週間で評者が学部棟を往来する頭髪を見回す中でも、その傾向は大嘘ではなさそうだ。蛇足ではあるが、弊社編集部の黒髪・眼鏡率が90%を上回る点も特記事項かもしれない。こうした暗示的な結果も、今は「発展のレールを敷くための枕木の役をすれば足りる」としている。
さて、どの調査にしても、民家の各部位のサンプルを集めたり、往来の装いを記録したりといった作業工程は気が遠くなりそうだ。今も「学問にするのには根気がいるけれど」と留保しつつ、各地方における地道な採集活動は長期的には地方的個性への考察に繋がり、「少なくとも具体的な検討をつけることは可能になってくる」と、やや心細いが等身大の展望を述べてくれる。おそらく一見地味な研究というものは、こうした点と点が繋がる瞬間を待つ営為と言えるのではないだろうか。百年前の風俗を覗き見ることで現代との比較や当時への想起が捗ると同時に、研究活動の意義付けに些細な示唆を付言してくれる一冊である。(燕)
『考現学入門』
今和次郎 藤森照信・編
筑摩書房 1987年
今和次郎 藤森照信・編
筑摩書房 1987年
