複眼時評

福間良明 教育学研究科教授 「『電車の中で本を読むな』?」

2026.08.01

ふと気が付くと、電車やバスのなかで本を読む人を、あまり見かけなくなった。やはりスマートフォンを手にしている人が多い。私自身も、短時間の移動であれば、ついメールチェックやニュースサイトの閲覧に終始しがちではあるが、寸暇を惜しんで電車内で本を読む人が減ったことは、いささか寂しい気もする。

そんなことを考えていたときに偶然目にしたのが、林健太郎「電車の中でものを読むな」(『文藝春秋』1956年1月号)である。林は『ワイマル共和国――ヒトラーを出現させたもの』(63年)などの著作で知られる著名な西洋史家で、当時は東京大学文学部教授、のちに東大総長を務めた。林はこの文章のなかで、「ともかく電車の中で本を読めば、それがむずかしいものであればあるだけ、その意味が正確に理解されないのは当然である。その意味で私は学生が電車の中で社会科学の本などを読むことには賛成出来ない」と述べ、電車内の読書への懐疑を綴っていた。

50年代後半は、新書ブームに沸いていた。なかでも、岩波新書と光文社カッパ・ブックスが二大レーベルだった。中公新書や講談社現代新書、ちくま新書が創刊されるのはまだ先のことだが、各社からさまざまな新書が多く出され、一時は90種類にも及んだ。

携帯に便利な新書が世にあふれたことは、通勤時の読書を容易にした。しかも新書は、文学・古典中心の文庫本とは異なり、学術入門、ノンフィクション、実用、エッセイに至るまで多岐にわたる。それだけに、新書の隆盛は、通勤・通学時の読書の幅をも広げた。

だが、林にとってそれは望ましくはなかった。自室で時間をかけてじっくり本を読むのとは異なり、つねに乗り換えや下車が気になる電車内の読書は、集中力を欠きやすい。時間をおいて読書を再開したところで、筋は忘れがちになる。電車内の読書を後押しする新書ブームは、断片的で浅い読書を蔓延させ、熟考を伴う読書を遠ざけるものにほかならなかった。

断片的な読書をめぐる問いは、百科事典をめぐる議論にも通じていた。やや時代は下るが、60年代は全10巻もの百科事典が飛ぶように売れた時代だった。それは一面では、家庭の書棚に並べることで文化的な階層上昇を実感させる装飾品ではあった。だが、50音順に項目が並び、索引も充実している百科事典は、パソコンやインターネットが広がる以前の社会では、知のデータベースだった。手っ取り早く調べたり、あやふやな記憶や理解を、ひとまず確認したりするには役立つメディアだった。

とはいえ、個々の項目説明は「正確」かもしれないが、総じて手短で断片的な記述にとどまる。数ページにわたる説明があったとしても、書物のように、特定の事柄を掘り下げて論じるものではない。そのことは、人々の思考を深掘りから遠ざけ、断片的なものに留めてしまうのではないか。編集者の美作太郎は、百科事典のブームに対し、「使う者の側にそれらの知識を総合し、体系化し、さらに血肉化するだけの力量が蓄えられていないかぎり、そこから正しい意味での生活の知恵の形成は期待されない」との危惧を抱いていた(「〈百科事典〉ブームの意味するもの」『印刷界』1962年12月号)。

今となっては昔の議論でしかないが、意外に現代のメディア環境を考えるうえでも興味深い。SNSや生成AIも広がりを見せる今日、「フェイク」に囚われないこと、何が「事実」かを見極めることの重要性は、多く指摘される。それはその通りなのだが、よく考えてみれば、断片的な「情報」の次元にとどまっているようにも見える。

社会や文化を考えるうえでは、ある「事実」「情報」が正しいかどうかだけで事足りるものではない。出来事を取り巻く事象を深く、多角的に、時間をかけて慎重に考察を重ねなければ見えないものは少なくない。

そもそも、昨今のメディア環境自体が、断片性や散漫さと深く結びついている。3時間もの大作映画にふれることはさすがに少なく、動画配信サイトで短時間のコンテンツ消費が日常的になっている。インターネットやSNSは便利ではあるが、長い時間をかけてじっくりと向き合うことは、そう多くはないだろう。

それはそれで、おもしろく、快適ではある。だが、「速さ」や「効率」に重きを置く分、「遅さ」や「手間」の有用性が顧みられなくなっているのかもしれない。時間をかけて、それなりの苦痛に耐えながら重厚な何かに向き合う読書は、たしかに避けたくなるものではあるが、そうした営みを欠いた社会は、やはり危ういものである。

政治や社会をめぐって、歯切れのよさに人々がひきつけられる局面は少なくない。自国中心主義や排外主義の言説は、その一例だろう。だが現代の事象は、それで解決するようなものではない。複雑で入り組んだ状況を粘り強く直視し、さまざまに交渉し、折り合いをつけるしかない。心地よい単純さやわかりやすさから身を引きはがし、目先の興味関心に閉じない視野をいかに醸成するのか。「断片性」や「正確さ」をめぐる往時の議論は、現代社会への警句にも見える。

ふくま・よしあき 教育学研究科教授。専門は歴史社会学