文化

〈書評〉報道から窺う 戦時期市民の息遣い 『京都戦時新聞』

2026.06.16

〈書評〉報道から窺う 戦時期市民の息遣い 『京都戦時新聞』

現代風に再構成された戦時中の記事(京都新聞出版センター提供)

京都新聞社から『京都戦時新聞』が刊行された。太平洋戦争開戦から敗戦後までの4年弱の『京都新聞』を、現代仮名や新字体、現代風レイアウトによって再構成したものだ。2年前の12月、評者は部室に届いた『京都戦時新聞』の見出しを見て肝を冷やした。黒地に白抜きで「米英に宣戦布告」。史料として見る80年前の記事よりも自分事に思えた。本刊の狙いは、戦時下の情勢や銃後の世相をリアルに伝えることと、市民を戦争遂行に扇動した京都新聞の戦争責任に向き合うことだという。

「アッツ島全員玉砕」や「広島に新型爆弾」といった大きな見出しも興味深いが、地方紙だからこそ書かれた、市民の息遣いを感じさせる記事も面白い。42年7月の祇園祭では「コンチキチンの祇園囃子の音に必勝の士気が脈打つ」とされ、8月の送り火では「まるで皇軍の勝ちどきに呼応するかのよう」とある。しかし翌年には祇園祭は「時節に適さない」として中止に、さらに翌年には送り火に代わって、青少年団員が朝に大文字山に登り人文字を作った。いずれも開戦期には「銃後の余裕」と気概を見せたものの、数年のうちには中止に追い込まれていった。後者の記事と同じ面には、空襲に備えて建物疎開を進める記事がある。夜間に明かりを灯す行事は戦時下には御法度だったのだろう。

京都市動物園の記事からは空襲への不安や物資不足が窺える。42年には空襲でライオンが逃走した場合を想定した訓練が、翌年には園長の「空襲時に(猛獣を)処分する準備はいつでもできています」との意見が載った。45年1月には「空襲必至の叫びとともに時流の犠牲となった」猛獣の毛皮が競売にかけられた様子が、7月には豚や鶏や羊など、食料・衣料となる動物が飼育されており、園内が開墾され餌の自給態勢が整えられる様子が紹介された。同時期には京都での初空襲や、尿から食塩を家庭で抽出する方法が掲載される情勢。娯楽施設が生産施設へと変貌する姿は、まさに「国家総動員」である。

本刊では、当時の紙面で掲載された規模も再現されており、当時の小記事は小さく載せられている。例えばノルマンディー上陸作戦の記事。ドイツが連合国軍に奇襲をかけられ大敗した戦いだ。同盟国の大敗は、約300の死者を出した北九州の空襲を「損害極めて軽微」と偽る記事に隠れている。また、戦時中に立て続けに起きた大地震の記事も小さく、被害状況よりも復興ばかりが強調されている。いずれの例も、国民の士気低下に繋がりうるとされて大々的に報じられなかった。代わりに紙幅を割いて書かれた記事には「皇軍肉薄」「完全占領」といった文字が踊る。まさかそれが「史上最悪の作戦」として知られるインパール作戦の見出しだとは信じがたい。監修を務めた京大文書館の西山伸教授は、「(45年には)新聞社員はほぼ戦局の行き着く先を見通せていたのかもしれない」と指摘する。劣勢、必敗を確信しながらも、社の方針、国の方針に沿ってペンを走らせた記者の葛藤やいかに。

翻って当方『京都大学新聞』でも、滝川事件以降、発行人が特別高等警察に呼び出され忠告を受けたり、発禁処分を受けたりすることもあったという。リベラルな教員の寄稿を載せる動きなども当時の編集部にはあったが、戦争遂行の機運を醸成する文言が紙面を埋めるようになっていく。政府方針に沿う記事の執筆は、学生メディアの地盤を守り抜く苦肉の策だったのかもしれない。

評者が『京都戦時新聞』の見出しを見て肝を冷やした1年3ヶ月後、部室に届いた京都新聞には「米イスラエル、イラン攻撃」という、よく似た見出しが紙面を飾った。『戦時新聞』は他人事ではない。もし「大本営」から記事内容に介入が入ったら。同時に活動に支障が生じたら。過去の新聞記者の「過ち」を他山の石としつつも、一抹の不安がよぎる。 (燕)

※本稿における『京都新聞』には前身である『京都日出新聞』『京都日日新聞』も、『京都大学新聞』には前身である『京都帝国大学新聞』『大学新聞』も含むとする。

『京都戦時新聞』
京都新聞社編/西山伸監修、京都新聞出版センター
2026年、2700円+税

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