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ドライブ紀行2026 初夏の若狭路 ~朽木・三方五湖・敦賀~

2026.06.01

ドライブ紀行2026 初夏の若狭路 ~朽木・三方五湖・敦賀~

三方五湖レインボーライン山頂公園の展望台からの眺め。右が若狭湾、左前が水月湖、左奥が三方湖

毎年初春に掲載するドライブ紀行のため、昨年冬、編集員たちは近江路を走り、福井県・敦賀を目指した。ところが、事前に見た天気予報に反して滋賀・福井県境で雪だるまマークが浮かび、ノーマルタイヤでは抜けられないことが判明。車は琵琶湖北岸からすごすごと南へ逃げ帰った……。

詳細は25年4月1日号の該当記事をウェブで読んでいただくとして、今回はリベンジマッチ。生命力みなぎる新緑の山々と、目に染みるような真っ青の海に、おいしい海の幸を添えて、初夏の福井県への紀行をお届けします。(編集部)

目次

今回の登場人物
鯖街道中いざ寿司へ
青のオアシス
越前蟹食べたい
時代の目撃者
悠久の流れを想う
ドライブを終えて

今回の登場人物


(鷲)4回生。免許がないがドライブ好き。車酔いに弱いが、今回は酔い止め2箱を携えて堂々の乗車。免許を取る素振りはない。

(晴)3回生。免許取得9ヶ月。紀行企画者。運転中は「国道がうんぬん市道がうんぬん」とやかましいが、頼もしい時も。宝池教習所出身。

(燕)3回生。免許取得12ヶ月。運転中はサングラスが手放せない。今回は山道を運転できるのでウキウキワクワク。宝池教習所出身。

(梅)2回生。教習2ヶ月目。飛ぶ鳥を落とす勢いで教習に通う期待の星。旅では先輩らに「この標識の意味は?」「このときどうする?」と問われウンザリ。宝池教習所在籍。

(轍)2回生。教習2日目。長野県松本市出身だが「松本走り」をするつもりは毛頭ない。この日はなぜか前夜から完徹。光悦教習所在籍。

(悠)2回生。同期が次々と教習へ通っている中、本人は免許を取る素振りはない。紀行後はアルバイトに直行するタフさを見せる。

(情報は全て5月17日の紀行時点)

今回のルート



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鯖街道中いざ寿司へ


朝7時前に京大を出発し、まずは「鯖街道」ないし「若狭街道」と呼ばれる国道367号を北上。リベンジマッチといえど、全く同じルートを通っては芸がないとの誹りを受けてしまう。前回訪問した長浜・木之本の代わりに、今回はまず若狭湾を目指すことにした。ハンドルを握るのは初心者マークが外れた(燕)だ。

途中「途中越」を越えて滋賀県に入り、いくつかのトンネルを通って朽木谷へ。脇を流れる安曇川の清流に癒されつつ、進行方向の若狭湾側に向かって流れてゆく水が、分水嶺を越えて旅に出ていることを実感させてくれる。道を横切る野生のサルも旅情を誘う。

出発して約1時間、谷の中心街・朽木に着いた。街の詳細については25年10月1日号「隣町点描 #5」をウェブで読んでいただくとして、ここでのお目当ては道の駅の朝市。毎週日曜の朝8時から、地域の人々が雑貨や食料品を販売している。ハンドメイドのぬいぐるみは可愛らしいが、腹が減ってはなんとやら。朽木といえばやはり鯖寿司ということで、10切れ・1600円のものを購入。分厚い鯖とシャリを口に含むと、青魚の独特の風味と、ほのかな甘さが口の中に運ばれた。酢は鋭い酸味とはほど遠く、大変まろやかで、普段の休日より3時間は早い朝食でも、するすると胃に収まっていった。さばを読んでもう1切れ食べようかと考えたほどだ。

安曇川とはここ朽木でお別れ。ドライバーは筆者に代わり、引き続き若狭湾へ。三半規管が弱い(鷲)がグロッキーにならないようやさしいハンドルさばきを心がけ、ほどなく福井県へ突入した。(晴)

鯖寿司。炙った鯖が使われている場合もある



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青のオアシス


盆地の内側で生活が完結する京大生にとって、旅に出ることは山を越えることにほぼ等しい。だから、山道を行く車に揺られていると、これから自分は旅に出るのだという実感がわいてきて、木ばかりの単調な景色さえも楽しめる気分になってくる。後部座席は気楽なもので、窓からちょっと手を出して風の冷たさを確かめてみたりもできる。今日は雲ひとつない快晴。ドライブのために用意されたような日だ。

旧三方町の市街地を抜け、三方五湖レインボーライン山頂公園に着いた。標高400メートルから一望する三方五湖と若狭湾の眺めは壮観で、湖を抱く山なみの隆々とした起伏が自然の迫力を感じさせる。湖側のテラスに円形の大きなソファがあったので、大の字になって空を仰いでみた。青い。瞬きを忘れるくらい青い。遮るものがないとこんなにも空は果てしないのか、と湖をよそに感動してしまった。園内の「カフェなないろ」できれいな青色の「ブルーソフトクリーム」を頼んで、冷たい甘じょっぱさに癒されながら眺めた海はまた格別だった。

公園に併設されているお土産屋には、鯖寿司やへしこのほか、梅干しや梅昆布茶など梅を使った特産品が多く並んでいた。三方五湖の周辺は冬も比較的温暖で、山に囲まれて強風にさらされにくいため、古くは江戸時代から梅の栽培が盛んだったという。そういえば、湖岸を車で通ったとき、やけに同じ木が植えてあるなと思ったが、あれは梅だったのだ。旅先でこうした知識を得ることには特有のうれしさがある。

日が高くなってきた。敦賀に着いたらすぐ昼ごはんにしよう。海沿いの町の美食に夢を膨らませながら一行は東へ向かった。(鷲)

ブルーソフトクリーム(写真はミックス)



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越前蟹食べたい


お昼どきになり、車中にも空腹の雰囲気が漂い始めた。「上海蟹食べたい♪」とくるりの名曲を口ずさむ(燕)に対し、元ネタを知らない(晴)が「越前蟹でしょ」とツッコむ。全く情緒が無くて「isn’titapity」だったけれど、「敦賀=海鮮」という数式は全員共通のようだった。(鷲)が見つけた市内の人気店に車を停め、暖簾をくぐった。

目に鮮やかな海の幸が並ぶメニュー表。他の5人が海鮮丼を注文するなか、筆者は天丼を注文した。他人と同じご飯を食べるというのが、なんとなく好きではないのだ。

届いた天丼は、開けたての宝箱みたいに金色に輝いていた。衣を纏った海老、穴子、蓮根たちは、油でジュッとやられているはずなのにみずみずしく新鮮だ。箸を進めるごとに、タレと絡んだ天ぷらの旨みが口内を支配して「天国」ができる……。

そんなことを考えながら隣を見やると、そこには太陽を照り返す海面のような海鮮丼が。やっぱりそっちも捨てがたかったな。この世から常識というものがなくなった日には、天丼と海鮮丼を両方頼もうと心に決めた。(梅)

高価な海鮮丼



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時代の目撃者


敦賀は近代、日本の玄関口として栄えた。そんなわけで敦賀には「これぞ近代化!」という建物が存在する。赤レンガ倉庫である。

1905年に石油貯蔵庫として建設され、後年は昆布の貯蔵庫としても使用された敦賀赤レンガ倉庫は、2015年、「ジオラマ館」と「レストラン館」を併設した観光拠点として、華麗なる転身を果たした。

一行は腹は満たされているのでジオラマ館へ。筆者が内装のお洒落さに感心していると、先輩編集員らが入口のサーモグラフィーカメラで遊んでいた。子供か。

さてジオラマ館に入ると、巨大なジオラマが待ち受けていた。明治後期から昭和初期の敦賀の町並みを再現したという、その名も「ノスタルジオラマ」である。名前のセンスはさておき見ごたえは十分。日本で初めて日本海側にできた駅である敦賀駅のほか、敦賀をゆく各鉄道が忠実に再現されていて興味深い。敦賀とロシア・ウラジオストクの海峡から顔を出してジオラマを覗ける「ウラジオトンネル」など面白い仕掛けもあった。もちろんこれも少年の心をもつ先輩編集員らが体験した。

敦賀の歴史をひもとく映像も数分ごとに上映。杉原千畝の「命のビザ」で亡命したユダヤ人たちの目的地が敦賀だったというエピソードに、歴史の重みをかみしめる。次の目的地・氣比神宮についても少しだけわかった気になって、ここを後にした。(轍)

壁には今もうっすらと「紐育スタンダード石油會社」の文字が



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悠久の流れを想う


最後はどこに行こうかと話していると、「記事のことも考えて神社仏閣は1つは行っておきたい」という(鷲)の一声で行先が決まった。車窓から見えてきたのは、朱色というより深紅の大鳥居。氣比神宮である。

日本三大木造鳥居の一つに数えられる大鳥居は、重要文化財にも指定されており、その風格は圧巻だった。何より色が格好良い。照り付ける日差しを浴びた堂々たる姿をしばし眺めた。

氣比神宮の創建は2世紀とされており、幾度も歴史の舞台となってきた。8世紀に境内に藤原宇合が「氣比神宮寺」を建立したという逸話が書かれた看板を読む一行。久しぶりに出会う歴史人物の名に、「宇合いたなあ!」とまるで知り合いのように懐かしがる(燕)と(轍)とともに、関連する藤原氏の名や出来事を思い出そうと試みる。次々と歴史用語を口にする2人に感服した。

また境内には角鹿神社があり、この「つぬが」が転じて「つるが」という地名になったという。敦賀の人々からは「けいさん」の愛称で親しまれている氣比神宮のように、100年続く京大新聞も小さな歴史の一幕となりうることを心に留めて、将来の読者の顔を浮かべつつ、今後も歴史を記していきたいと思う。(悠)

参拝者を迎える大鳥居。松の緑とのコントラストがまた良い



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ドライブを終えて


湖西を走る車は1本の並木道に差し掛かった。メタセコイアである。均等に植わる木々は青空一杯に蓄えた新緑で僕たちを迎えてくれた。去年のドライブ紀行でも帰路にこの道を通った。免許を取ったらこの並木道を走りたいと願っていた当時の僕は、免許取得が間に合わず、後部座席から寒木と曇天を見るのに甘んじていた。そんな小さな夢も悔しさも忘れ若葉マークが外れた今、僕はメタセコイアの間を駆け抜けていた。

気がついたら夢が叶っているということは意外によくある。いくら走っても追いつかない憧ればかりに気を取られていては、StepbyStepとばかりに踏んできた自分の一歩を見落としやすい。どうしても越えたいと思っていたハードルが、気づいたら後ろに転がっている時もある。右往左往してもびくともしない課題をみるみる解決してくれたのは時の流れだった。それでも無論、時間の激流に流されることはいいことばかりではない。去年ハンドルを握った先輩は、最近めっきり顔を出さなくなってしまった。呑気に遊んでばかりいた僕も、将来を考えなければいけない学年になってしまった。

いつまでもこのままでいいのに、と思い続けた大学2年間、渋滞の湖西道路、曲がりくねった山中越の峠道。見慣れた街に帰ってきて安心した矢先、カーナビは「最後は自分で考えろ」と言わんばかりに音声案内を終了してしまう。核心めいた助言をくれるのはカーナビや先輩ではなく、同期や後輩のときもある。みんなで1つのものを作ることは難しいという当たり前にやっと気づいたのも最近で、彼らよりもちっぽけで幼く見える自分を上手い具合に飼い慣らす大切さすら新鮮に感じたドライブ紀行だった。(燕)

メタセコイアの並木道。かくも真っ直ぐな道なら迷わないのに



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