文化

映画評論 Season 2 第10回 ケン・ローチが伝える最後の希望 『オールド・オーク』

2026.04.16

映画評論 Season 2 第10回 ケン・ローチが伝える最後の希望 『オールド・オーク』

TJとヤラ © Sixteen Oak Limited, Why Not Productions, Goodfellas, Les Films du Fleuve, British Broadcasting Corporation, France 2 Cinéma and The British Film Institute 2023

【寄稿】ミツヨ・ワダ・マルシアーノ 教育改革戦略本部特定教授

本作品は、2016年にシリア難民が英国北東部に到着する時から始まる。11年に「アラブの春」――中東・北アフリカ各国で本格化した民主化要求運動――が起こり、シリアでも長期にわたる混乱が始まった。内戦の結果として街中のインフラが破壊され経済が停滞する中、生活基盤を失った市民たちは他国への避難を強いられた。24年には50年以上にわたったアサド独裁政権が崩壊し、暫定政権が誕生したとはいえ、復興までの道のりは遠く、国外へ避難した難民の多くはいまだ帰国の目途がたっていない。

バスに乗せられたシリア難民が、英国東北部の寂れた街にやってくる。この街は実在する特定の場所ではない。しかし、サッチャー政権下の強制的な炭鉱閉鎖に伴い、今では保守党からも労働党からも忘れ去られた経済困窮地域であることが、映像から見て取れる。その街を象徴的に体現するのが、タイトルにもなっている古めかしいパブ「オールド・オーク」である。店主のTJ・バランタインと街の人々の写真を撮り続けるシリア難民の女性ヤラとの出会いから物語は始まる。

ケン・ローチという監督と連帯者たち


2023年にイギリスで公開された本作は、今年90歳になるケン・ローチ監督(1936~)の最後の作品だと言われている。彼は近年『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)や『家族を想うとき』(2019)を製作した。これらの作品は共に英国東北部の、善良ながらも経済的な重圧に押しつぶされそうになる労働者階級を描いている。

もう一人の英国映画の巨匠マイク・リー(1943~)と肩を並べるように、ローチは、現代英国の映画界をリードする映画作家である。二人は社会の不平等さに光をあて、庶民の生活の苦しさや人間の孤独に向き合う、いわゆる「ソーシャル・シネマ」の担い手だ。昨年本紙11月1日号でリーの最新作『ハード・トゥルース 母の日に願うこと』を紹介したが、この作品も、ロンドンを舞台とした配管工一家の話であった。彼らのような社会派の監督が、研ぎ澄まされた「観察」を通して描き出した社会の歪みや悲しみは、長年ぶれることなく観客の心を揺さぶり続けてきた。

ローチの場合、こういった同世代の映画製作者との連帯だけではなく、ポール・ラヴァティ(1957~)という脚本家と製作を共にしている。ラヴァティの経歴は非常にユニークだ。スコットランド人の父とアイルランド人の母を持ちながら、生まれはインドのコルカタ。ローマで哲学を学んだ後、スコットランドで法律を勉強し弁護士となった。80年代半ばからはニカラグア、グアテマラ、エルサルバドルといった南米の国々で生活し、その後1年半ロサンゼルスでシナリオの勉強をした。ローチとの奇跡のような出会いは、その後に起こった。型破りな脚本家との連帯が、ローチの作品を、単に英国という文化圏の中に留めるのではなく、国境を越えた普遍的な問題や矛盾、それに伴う悲しみや怒りへと繋げ、昇華させてきた。

2つのコミュニティ


『オールド・オーク』には2つの困窮するコミュニティが描かれている。片や、経済的に行き詰まる炭鉱労働者たちの末裔とその家族たち、そしてもう一方は、自分の意思とは関係なくそこに送られてきたシリア難民たちである。前者は、新参者である難民たちを、想像を超えた残忍さで拒み続ける。これら2つのコミュニティを結びつける契機の一つとして、本作品は、TJ・バランタインの店の奥に飾られた、炭鉱がいまだ活気を帯びていた時期の写真の合間に飾られた標語「When you eat together, you stick together./共に食べて団結を」に光を当てる。TJはヤラに向かって呟く、「お袋の口癖だった」と。

二人はオールド・オークの閉ざされていた裏部屋を使って、「こどもキッチン」ならぬ「困っている人なら誰でもキッチン」を始める。理想郷のように見えたこの試みは、心ないパブの常連たちの暴挙によって中断されるのだが、TJとヤラが掲げた連帯の萌芽は、このキッチンから多くの人々の心に芽生え始める。本作品は、絶望から希望に向かう人々の気持ちの変化を、言葉で説明するのではなく、「自分を救ってくれたマラという小さな犬」「ヤラが撮りためた街の人の写真」「貧しい生活の中から寄付される食材」「ヤラの父親の死を嘆く街中の人々からの献花」「街の誇りを取り戻す契機となる旗幟」といった、視覚に訴える小道具や、人々の沈黙といった態度によって表現している。

「希望」という普遍的テーマ


私は本作品から確固とした希望を読み取る。その希望は、単に英国にとっての希望ではなく、もっと普遍的な可能性としてさらに多くの人々の心に響く。その可能性とは、われわれは何かを変えることができ、われわれ自身も変わることができるという希望である。絶望が目の前にあってもいつかは変えられること、また、死んだ方がどんなに楽だろうと思う自分が、いつかは変わることができる可能性を、本作品は発話によって諭すのではなく、視覚に訴える。希望を支える言葉は、時として感傷的で陳腐と思えることさえある。しかし本作品は、そこを上手く押さえながら表現する。例えば、シリア人たちから英国人に送られた旗幟には、「Strength/強さ」「Solidarity/連帯」「Resistance/抵抗」といった言葉が美しい刺繍によって視覚的に表現されるが、それは決して発話によって観客を説得しない。狂気としか思えない統治者たちが、金と権力だけを優先する現代社会の中で、われわれ市民が希望を持つためには、確かにこういった価値観が必要なのだと改めて考えさせられた一作である。

原題 The Old Oak
監督 ケン・ローチ
脚本 ポール・ラヴァティ
製作国 英国、フランス、ベルギー
上映時間 113分
京都では京都シネマにて4月24日(金)より公開

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