「Y字路専門家」と歩く 迷路の街・吉田
2026.04.01
撮影中、「人が写るとY字路の美しさが損なわれてしまう」と美学を語った
京大吉田キャンパスがある吉田地域は、「碁盤の目」の街と言われる京都では珍しくY字路が多い。本企画ではY字路の類型や形成過程を『Y字路はなぜ生まれるのか?』(2024、晶文社。以下『Y字路』)で掘り下げた、京大文学研究科の院生・重永瞬さんと吉田の街を歩き、迷路のような構造の謎に迫った。また、重永さんの研究や大学での生活についても話を聞いた。新入生諸君が大学周辺と大学生活を攻略する一助となれば嬉しい。(晴)
案内:文学研究科院生・重永瞬さん(歴史地理学)
目次
① 川がつくったY字路② 角地のシンボル
③ 謎のL字型石造物
④ 新道開通でY字路に
⑤ 尖りすぎの建物!?
⑥ 「角山水」
⑦ 角地の地蔵
⑧ 「斜めの道」とY字路
⑨ 夢に消えた市電
〈インタビュー〉露店から都市の変化と階層を読み解く
① 川がつくったY字路
この交差点、突然道幅が広くなっています。かつてこの辺りには砂川、または太田川と呼ばれる川が北東から南西に向かって流れ、最後は鴨川に注いでいました。砂川は用水路として使われていましたが、宅地化に伴い、昭和30年代に蓋をされたので、道幅が倍になっているんです。京都の街路は長方形上に整理されたものが多いですが、吉田の街にY字路が多いのは、この砂川の影響があると思います。
僕の右手側の道は暗渠になっているので、雨の日にマンホールの上で耳を澄ますと、水の音が聞こえてくることもあるんですよ。
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② 角地のシンボル
出町柳駅から京大に向かう人にはおなじみの風景かもしれません。「ザ・Y字路」といった趣の、特にいいY字路です。角地には教会が建っていますが、かつては左京区の前身である愛宕郡の役場がありました。Y字路の角地は目を引きますから、シンボリックな建物や看板が設けられることもよくあります。渋谷109がその一例です。
教会の前に書いてある言葉がいいんですよ。狭い門から入りなさい、広い門は入りやすいが滅びに通じる、と。「どちらに行くのか」という看板をY字路に掲げるのは、なかなかセンスがあると思います(笑)。
教会のY字路を左に進むと、すぐ別のY字路になります。こちらの角地はお寺の駐車場ですね。三角の角地は四角い建物を建てづらいので、駐車場や駐輪場などとして活用されることもあります。

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③ 謎のL字型石造物
向かって右手に、西園寺公望の別邸として建てられ、現在は京大が保有している「清風荘」があります。さて、この石造物はなんだと思いますか? ヒントはL字型の形状です。
答えは、水門の柱部分です。先ほどの砂川はこの辺りも流れていて、ここでも農業用水として利用されていました。現在の道の北側半分に川が、南側に道が並行していたようです。反対側にも同じような石造物があり、その間に木の板を差し込むと、川の流れをせき止めることができたんです。
これはただの愚痴ですが、出町柳駅から京大への道のりは、学生街にしてはやけに寂しいですよね。これは清風荘が場所を取っているせいだと思います(笑)。
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④ 新道開通でY字路に
ここは、この辺りでも面白いY字路のひとつです。現在右の道には「柳通」という名前がついていますが、元々はこちらが今出川通でした。左側の大きな道が新しい今出川通として開通し、Y字路が形成されたのです。
現在は壁面が白塗りですが、かつては角の花屋さんの店名が書かれた看板と、大きなバラの絵が描かれていました。渋谷109の広告のように、Y字路の角は目につくので、宣伝効果が大きかったそうです。現在の白塗りの風景は、ちょっと寂しいですね。
ちなみにここから先、今出川通は緩やかに左へ進路を変え、すぐ先で進路を右に戻します。これは、新しい今出川通を整備した際、清風荘の敷地を極力削らないようにした結果だと思います。
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⑤ 尖りすぎの建物!?
この建物、すごく先が尖っていますよね。新しい今出川通を昭和初期に開通させた際、元々あった建物の敷地を削りながら道を通したので、このような形状になってしまったんです。北から伸びてきた道も、今出川通で寸断されてしまっています。
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⑥ 「角山水」
金平糖屋さんがあるY字路です。遠くからでも甘い匂いが漂ってきます。
この場所の特色は、なんといっても角地につくられた庭。三角状の余った土地は用途が限られるので、庭や花壇が整備されることも多いです。こうした枯山水のような庭もたくさんあり、僕は「角山水」と呼んで事例を収集しています。
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⑦ 角地の地蔵
地蔵が角地にありますね。日本では交差点に道祖神を祀る事が多いので、地蔵もY字路の角地にある要素としてよく見られます。
このY字路は、右の道は直線的な一方、左の道はくねくねしており、対照的で面白いですよね。右側の道は、1902年に現在の京大西部構内の場所に設置された、「京都高等工芸学校」という旧制専門学校の裏手にあたります。この学校はのちに京都市街北部の松ヶ崎に移り、現在の京都工芸繊維大学になりました。
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⑧ 「斜めの道」とY字路
左側の道は志賀越道で、川端通を起点に、現在の京大の敷地を突っ切るように北東へ伸びていました。吉田の街路がグリッド状でないのは、志賀越道が斜めに通っていることも要因として挙げられます。志賀越道沿いにはY字路が多く、「さんかくパーキング」という名前の、Y字路の角地につくられた駐車場もあるんですよ。
このY字路は角地が広くなっています。昔の写真では、この角のスペースにトラックが停まっており、野菜の行商をしている光景が確認できます。このスペースにもう1つ建物が建ってもおかしくなさそうですが、八ツ橋のお店の看板が隠れてしまうのを避けたのかもしれません。
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⑨ 夢に消えた市電
東は吉田神社から京大正門を通り、西は川端通まで続く東一条通です。車通りのわりに道が広いように見えますが、ここには元々京都市の路面電車を通す計画がありました。計画では川端東一条から鴨川に橋を架け、河原町通に接続する予定でした。ところが京都帝大の物理学実験室から「路面電車が通ったら実験器具に支障が出る」とクレームが入り、道路の拡幅で止まってしまったそうです。悲しい歴史ですね。
ちなみに、現在松ヶ崎にある左京区役所は、かつて東一条通沿いにありました。跡地は京大の「東一条館」になり、大学院総合生存学館の施設が入っています。
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〈インタビュー〉露店から都市の変化と階層を読み解く
重永さんの専門は、露店や社寺境内の変遷についての研究だ。研究内容や専門分野である「歴史地理学」、学部と大学院の違いなどについて聞いた。
重永瞬(しげなが・しゅん)
京都大学大学院文学研究科
地理学専修博士後期課程在学
京都府出身。専門は歴史地理学、都市社会地理学。主な論文に『近代京都における北野神社境内の再編と都市周縁』(2023、『歴史地理学』6 5巻2号)、書籍に『統計から読み解く色分け日本地図』(彩図社、2022)、『Y字路はなぜ生まれるのか?』(晶文社、2024)など。
京都大学大学院文学研究科
地理学専修博士後期課程在学
京都府出身。専門は歴史地理学、都市社会地理学。主な論文に『近代京都における北野神社境内の再編と都市周縁』(2023、『歴史地理学』6 5巻2号)、書籍に『統計から読み解く色分け日本地図』(彩図社、2022)、『Y字路はなぜ生まれるのか?』(晶文社、2024)など。
境内空間の変容を研究
――現在の研究は。
日本の街の中で「賑わいの場」はどのような変遷を遂げたのか、という関心から、主として歴史地理学に拠り、縁日露店や社寺境内のあり方を切り口に、近代における日本の都市の変化について研究しています。日本では伝統的に、社寺の御開帳や縁日の際に境内に露店が設けられ、賑わいを見せてきました。ただ、近代以降には交通渋滞の解消や公衆衛生の向上を目的として、露店もたびたび取り締まりを受けるようになりました。祭りの日だけ露店が現れ、境内の雰囲気ががらりと変わるところが面白いと感じたのが、研究のきっかけです。
近代の露店は「都市下層」と呼ばれる貧しい人々が多く営んでいましたが、都市開発の中で社寺境内から貧民が立ち退きを強いられる「スラムクリアランス」という現象も見られました。社会地理学や他分野の知見にも拠りながら、こうした事例の研究も進めています。
――具体的な研究内容は。
卒業論文では、京都市の旧市街地の周縁にある北野神社(北野天満宮)を研究対象にしました。明治初期、社寺領のうち境内主要部以外は官有地にするという「上地令」により、天満宮は一部の境内地を国に取り上げられてしまいました。代わりに天満宮は、豊臣秀吉が築いた「御土居」という土塁を編入したり、「神苑」という庭園を整備したりしていきます。こうした境内空間の変化を取り扱いつつ、御土居での露店の出店動向や、神苑設置によるスラムクリアランスにも触れました。
修士論文はフィールドを東京に変え、引き続き露店の研究を進めました。現在執筆している博士論文は、これらの論文をまとめ直すと共に、現代にも時系列を広げています。
――そもそも、歴史地理学とはどんな学問なのか。
古典的な歴史学は、政治的な事件の過程や社会変動に着目する傾向があります。一方歴史地理学は「景観」や「空間」をキーワードに歴史を見る分野として発達してきました。研究では、集めた史料を読み解き、最終的にそれらをつなぎ合わせて歴史を見ていきます。古地図に加え、史料集や新聞・雑誌などの文献史料も用います。また、他分野の知見も重要です。私の場合は近代日本史の授業で歴史学的な作法を、社会学の授業でフィールドワークの方法論などを学び、研究に取り入れています。
――研究の面白さや、大変な点は。
北野天満宮で明治期に拡張された場所が示された絵図は手書きで、神社のどこに当たるのかが分かりませんでした。現地で調査したところ、土塀からコンクリート壁に移り変わる地点があり、その前後で境内に編入された年が異なるとわかりました。史料に書かれた出来事と、現地の景観の符合を発見するのが、研究していて一番面白い部分ですね。
逆に、史料の少なさにはいつも苦労しています。露店商は自ら文字で史料を残すことが少なく、新聞報道や警察の調査など第三者による史料から研究せざるを得ません。「学生には見せられない」と、史料の持ち主に閲覧を断られたこともありました。
また、史料のバイアスを考慮しなければならない難しさもあります。卒論で取り上げたスラムクリアランスの場合、排除する側の語りには当時の貧民に対する差別的な目線が含まれていることを勘案する必要がありました。
ロジカルな地理に惹かれる
──地理学や京大を志したきっかけは。
物心ついた頃から「研究者になりたい」という夢があり、ノーベル賞受賞者が多い京大を志していました。数学で挫折し、文系に進んだあと、地理学に関心を持ったのは高校3年の頃です。僕が選択していた日本史は暗記がメインの科目でしたが、友人が履修していた地理は「この気候によって植生がこうなる」などのロジックで説明しやすいと聞いたことや、父から歴史地理学の存在を聞いたことが影響しました。
──学部時代の生活は。
自分で本を読んで勉強するのが好きだったので、授業には全然行っていませんでしたね。あとは必修の語学の単位がなかなか取れず、結局3年ほど留年してしまいました(笑)。ただ、留年中に卒論や修論の研究を進めたり、一般書を執筆したりしていたので、大学院に入ってからは少し楽でした。
──学部と大学院で異なる点は。
修士課程でも授業や演習は受ける必要があるので、学部との違いはそこまでないと思います。博士後期課程ではひたすら自分の研究を進め、博士論文の提出を最終目標とします。就職の第一選択肢もアカデミアに限られてくるので、ハードルは高くなる印象です。また、リサーチアシスタントや学会の仕事を引き受けると、それなりに時間は取られます。
大学院に入ると、学会での発表の機会も多くなります。個々の学会を目標に研究内容を固めると、よいペースメイキングになります。
一般書執筆が論文の助けに
──街歩きツアーのガイドや、『Y字路』などの一般書の執筆も行っている。
元々サークルで巡検をしており、SNSで内容をつぶやいていたところ、街歩きを主催する団体から声がかかりました。ガイドルートを考える際に注目したのが吉田の街でした。進学して京大周辺を歩いたり、授業で吉田周辺の地図を読んだりした際、吉田は整然とした正方形の道ではなく、Y字路が多いと気づいたのです。その関心を最終的にまとめたのが『Y字路』です。
──論文と一般書では、執筆時の意識も変わってくるのか。
論文は厳密に書かないといけないので、執筆時には常に根拠になる史料を意識しますし、史料の何気ない記述にも注意を払わなければなりません。ただ、史料さえ見つけ出せば、あとは事実を元に書いていけばよいので、ある意味では楽です。
一般書は論文ほどの厳密性は求められないですし、内容の自由度は高いです。ただ、かえって何を書けばよいか迷うことがあるほか、面白く読んでもらうためにレトリックなども混ぜ込む必要があります。史料収集の手間を考えると、論文の方が時間はかかりますが、それぞれタイプの異なる難しさがあると感じます。
──『Y字路』の知見と研究の関わりは。
『Y字路』は、景観観察や地図の読み取り、史料における表象への着目など、地理学の方法論を取り入れて執筆しました。逆に、論文にも取り入れている、街の中の特徴的な景観から歴史を論じる方法は、『Y字路』を執筆する中で身につけていったものです。
──今後の研究の展望は。
最近、外国人が集住する地区を差別的な目線で取り上げる動画をSNSなどで見かけます。ある街に対する差別的なまなざしをいかになくすかは、社会的実践として取り組みたいですし、過去に街で排除されてきた人やモノを問い直すような研究を、今後も進めていきたいと思っています。
──新入生へのメッセージを。
地理学を専門にしなくとも、日常のあらゆる景観がフィールドになる、という意識は持ってほしいですね。「そこに何があったのか」を考えることは、今の京都や日本のあり方を考える上でのいい切り口になると思います。あと、授業にはきちんと出て、必修単位も早く取りましょう(笑)。
──ありがとうございました。










