複眼時評

出口康夫 文学研究科准教授「学術の東アジア圏へ」

2010.10.25

ノーベル「平和」賞と尖閣問題。このところ、「中国」にスポットライトが当たるニュースが続いた。またノーベル「化学」賞を巡るメディアの議論でも、日本の若者の「内向き志向」が問題視される一方、北米の学界における「中国」勢の台頭が話題となった。戦後長らく、この国では、良くも悪しくも「アメリカ」が圧倒的な存在感を保っていたが、今後しばらくは、「中国」とどう向き合うべきかが、話題の中心となるだろう。例えば、ボクらの学生時代には「米(ソ)帝国主義」を弾劾するタテカンが構内にあふれていたが、「中国」がタテカンの主役に躍り出る日も近い予感がする。

ボクは国際政治の専門家でもないし、中国語も話せない。そんなズブの素人でも、時に海外に出ると、中国の「勢い」を肌で感じる。そのエピソードを幾つか振り返りつつ、そこから垣間見える一つの未来像、親中か反中か嫌中かといった議論の枠を超えた、「学術の東アジア圏」とでも呼べる将来に思いを馳せてみたい。

この9月、アメリカにいた。主な滞在先は、ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学。コンピューターサイエンスやロボット工学では全米トップクラスの大学であり、数理哲学の研究でも知られた存在である。そこで、まず、この秋からアメリカにやって来た若手研究者のある集まりに顔を出したら、ボクとヨーロッパ系の2人を除く、残り20数人は全員が中国系。また、ボクが居候をさせてもらった哲学科でも、アジア出身の大学院生は、皆、中国系。その一人X君は、指導教員の先生によれば、哲学の院生の中でもエース級の人材。先生と数理哲学の共著論文を執筆中だが、驚くべき定理を次々と証明しているとのこと。「中国系のポスドクがいる研究室は強い。」今年のノーベル賞に輝いた先生の言だが、ピッツバーグでも確かにその通りらしい。

またロサンゼルスに講演に出かけたら、話がハネた後、中華料理を食べながら延々と議論を吹っ掛けてきたのは、これまた中国出身の先生。中華料理店に加え、中国系研究者も、今やユビキタスな存在になりつつあるのかも知れない。

話はなにも大学の中だけに止まらない。ピッツバーグ交響楽団の今シーズンの幕開けコンサートのメインゲストは、弱冠22歳の若手中国人ピアニスト。彼女が弾いたラフマニノフは確かに圧巻だった。おまけに、行き帰りの飛行機で上映されていた映画が、これまた、ジャッキー・チェン出演の『カラテキッズ』。舞台はカリフォルニアでも沖縄でもなく、最新のテクノロジーと伝統が奇妙にミックスされた「勃興する中国」。(これも数年前、機中で見た)『カンフーパンダ』といい、ハリウッド製「お子様映画」の目も、どうやら中国の方を向いているようだ。

で、問題は、「これからどうなるか」だ。北米、いや世界的に見ても、文化・学術面での中国の存在感は、少なくとも量の面では日本を凌いで、断然、大きくなっていくだろう。20年後、30年後には中国系研究者のノーベル賞受賞ラッシュも起こるに違いない。ここで、再度、問いを重ねよう。「で、それから、どうなるのか。」いや、「どうなるべきか。」

話は20年近くも前にさかのぼる。当時ロンドンに留学中だったボクは、次のような表現を目にしてドキッとした覚えがある。”They still tend to look to Paris before their neighbours.” (彼らは、いまだに、近隣諸国よりも、まずはパリに目を向ける癖が抜けない。)これは西アフリカの音楽状況を評した文章の一節だが、アジアの国々を飛び越え、欧米「先進」国に嬉々として留学しているボクらの姿そのままだ。同じ現象が、韓国・台湾・香港を経て中国全土に及んでいるのが現状である。東アジアの若手研究者は、多くの分野で、アジアの隣国よりも、まずはアメリカの一流大学とその所在地に目を向けているのである。上で垣間見た「中国勢の台頭」も、このような大状況の中の一コマに過ぎないと言える。

ただ20年前と異なるのは、「プリンストンやピッツバーグに向けた目を、近隣諸国に向け直す」傾向が、確かな胎動を見せている点にあると思う。今や、韓国や台湾の哲学界には、若手を中心として英語圏留学経験者の分厚い層ができつつある。中国もそれに続くだろう。実際、最近カーネギーメロンの哲学科で博士号を取った中国からの留学生は、名門カリフォルニア工科大学からの誘いを断って、中国の大学に就職したとのことである。少子化で構造不況状態にある日本の大学界を尻目に、中国は今、大学の増設ラッシュに沸いている。中には、海外で学位をとった若手を破格の待遇で迎える大学も出てこよう。英語圏で学位を取った日本の研究者が中国の大学に職を得るケースも既に出ているが、今後も益々増えると思われる。話を哲学に限っても、今や東アジア各国に、英語をリンガ・フランカ(共通言語)とし、共通の知的バックグラウンドを持った若手研究者が、国境を越えて集積しつつある。このような背景の下、東アジアという枠組みで独自の哲学の学会を立ち上げようという動きが、ボクの知っている範囲でもいくつか起こっている。またアジア進出を本格的に画策している日本の研究大学もある。

とはいえ、単に研究者の頭数が揃ってきただけでは、また学会という「器」を作るだけでは十分ではない。東アジアの研究者が、互いに熱く語り合うことができ、結果として、ここが世界の議論の「本場」と言えるような、核となるトピックが必要である。例えば近年、オーストラリアの哲学界は世界的な注目を集めているが、それも「分析形而上学」という議論の一つの軸があっての話なのである。

ここから、話はいよいよ「手前味噌」になる。「分析アジア哲学」という分野が、今、生まれようとしている。英語圏を中心として研究されている分析哲学や現代論理学のツールを用いてアジア思想を解釈し、そこから現在でも通じる哲学的アイディアを取り出そうという研究動向である。この研究の流れ、世界的に見ても始まったばかりで、研究者の数もまだまだ少ない。それも当然である。科学と論理を「偏重」していることで「悪名高い」分析哲学と、科学的実証なんてどこ吹く風、「矛盾」を愛好するかのようにすら見える東洋思想は「水と油」。それが長年の哲学的常識だったからである。とはいえ、やっている本人たちは大真面目である。ここにこそ、21世紀の哲学の1つの未来がある。そういった思いを共有する、主として英語圏の研究者が集まり、2005年にケンブリッジ大学で、第一回目の研究集会が開かれ、そこから生まれた論文集が去年オックスフォード大学出版から刊行された。第二回目の会合は2008年京大で開催され、ボクも関わっている、2冊目となる論文集の編集作業が、今まさに佳境を迎えつつある。特に京都での会議とそれをもとにした論文集の特徴は、この分析アジア哲学が、ヒマラヤ山脈を超えて、中国や日本や韓国といった東アジア地域の思想をも射程に収めつつある点にある。この「分析アジア哲学の東アジア的展開」が、英語圏の学風に親しんだ、東アジア各国の若手哲学者の関心を集め、「東アジア発の現代哲学の流れ」を本格的に生み出す1つの触媒の役割を果たす可能性があるのではないか。そうボクは見ている。実際、ロスでのボクの話は、このトピックに関するもので、それに対して先の中国系研究者は上々の反応を返してくれたのである。

大風呂敷は、この辺りで畳んでおこう。ピッツバーグには、10年間頑張って、ついに学位と就職先をゲットした京大出身の研究者もいたし、彼に続く日本人留学生も健在だった。ロスでのボクの講演の宣伝に一役買ってくれた、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校の「哲学クラブ」の「部長」は日本からの女子留学生だった。また件の若手ピアニストとは、幕間にサインをもらいつつ、言葉を交わす機会があったが、熱演の疲れも見せずに、「来年の3月に東京に行きます!」と元気一杯話してくれた。そう言えば中国系の大学院生X君も、カーネギーメロンでのボクの発表では、積極的に質問をしてくれてたっけ。

9月のアメリカでは、そういったアジア出身の若者たちの目の輝きが印象に残った。そこには、「中国勢の台頭にどう対抗すべきか」とか「日本の若者がどうのこうの」といった、相変わらず「近代国家の枠」に囚われ、その枠内で「学術」を論ずるオジサン達の議論を「どうでも、いいじゃん」と思わせるような、共通の「アジアの目力(めぢから)」があふれていた。彼ら彼女らの目を、東アジアの隣人たちにも向けさせ、そこに「学術の東アジア圏」とでも呼べる、国家の壁を軽々と越えて開かれた、白熱した議論の場を作っていく。それが、かつてロンドンの下宿で、自らの「脱亜入欧」ぶりに多少なりとも後ろめたさを感じたボクの、世代的な役回りかも知れない。日本に帰ってきて、そんな気がしている。


でぐち・やすお 文学研究科准教授、数理哲学