文化

〈書評〉死神から覗く中国人の世界観 大谷亨『中国の死神』

2025.05.16

〈書評〉死神から覗く中国人の世界観 大谷亨『中国の死神』
本書の表紙を目にした瞬間、中国人であれば思わず身震いし、日本人でもその異様さに息をのむだろう。白い高帽子を被り、長い舌を突き出す不気味な顔の神像が、大きく写されている。本書の主人公「無常」は、中国人なら誰しも知っている「死神」だが、日本ではほとんど無名の存在だ。そんな無常のことをとことん掘り下げた気鋭の民俗学者・大谷亨の博士論文を一般の読者向けにリライトしたものが本書である。民俗学の本としても完成度が高いが、中国人の精神世界や伝統的世界観を知る入門書として読むと、また別の面白さも浮かびあがる。

そもそも「無常」は、例えば『西遊記』や魯迅の随筆『無常』にも登場するように、中国では古くから身近な存在だ。基本的には白無常と黒無常の2体1組で行動し、寿命が尽きた人の魂を奪っては冥界に連れ去る、恐ろしい死神と信じられている。西遊記では、閻魔大王の命を受け、酔った悟空を冥界に連れ去る場面が描かれている。しかし一方では、「一見發財(=俺に会えばお金持ちになる)」と言ったおめでたい言葉が書かれた帽子を被り、気まぐれに財宝を投げてくる伝承も知られる。死神でありながら福をもたらす存在でもある、実に不思議な「神」だ。

本書では、日本人には馴染みの薄いこの無常の姿を、道教・儒教・仏教の3教習合による中国の伝統的世界観とともに解説するところから始まる。人間が暮らす「人間」のほか、神々が天帝のもと朝廷のように人々の運命を決める「天庭」、そして死者の魂が赴き審判を受ける「地府」という三層構造の宇宙観が語られ、その中で無常は、閻魔大王の配下として魂を導き、悪霊を鎮める役目を果たす「死神」として位置づけられている。

その上で、無常がなぜこのように矛盾した性質を持つのかという謎に迫る。文献調査とフィールドワークを通じて、もとは野にうごめく妖怪やモノノケだった存在が、他の神霊や妖怪と融合し、最終的には神格化され、「神」として祀られるようになった過程が丁寧に明らかにされる。しかも、著者が収集・訪問した神像や絵画、寺院の写真もオールカラーで掲載されており、読者は視覚的にもその摩訶不思議な世界を堪能できる。

評者の周囲では、中国に関心を持つ人の多くが国際政治や歴史、漢詩文といった視点から興味を持っている。しかし、中国人が長年受け継いできた伝統的な世界観については、意外なほど知られていない。だからこそ本書は価値がある。「神」や「鬼」がめぐりめく世界観は、『西遊記』や『封神演義』のような文芸作品やその二次創作、そして口承を通じて、中国社会に深く根づいている。日本人にとっての「あの世」「ご先祖様」「鬼の島」などの観念に似たもので、それを知らずして真の意味での中国理解は難しいだろう。

近年、中国大陸では宗教実践が制限される一方、伝統文化を再評価する「国潮」ブームが起きている。たとえば道教の神を主人公にしたアニメ映画『ナタ』は、非英語圏作品として歴代最高の興行収入を記録した。一方、台湾やマレーシア、シンガポールなど海外の中華圏では、伝統宗教がいまなお活発に受け継がれており、観光地としても有名な、日本の横浜中華街の関帝廟や媽祖廟もその一端を担っている。こうした背景を踏まえれば、無常をはじめとする神々の世界に触れることは、中華世界への理解を深めるための格好の入り口となるだろう。

本書は、中国民俗学に関心のある読者にはもちろん、一味違った中国の素顔に触れたい人にもおすすめの1冊である。(唐)

評者が収集した中華系の善書『玉暦寶抄』より、江南系の身長が同じ黒白無常



◆書誌情報
『中国の死神』
大谷亨著、青弓社
2023年
2600円+税

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