文化

〈映画評〉「あのころ」を幻視する 劇場上映のみの『14歳の栞』

2025.04.01

ずっと見たかった映画がようやく見られた。このサブスク時代においては、見たいけれど時間や気力や機運が足りずに「これから見たいリスト」だけが積み重なっていきがちだ。一方、実際サブスクで見るのは自分のなかで評価の定まった旧作ばかりだったりすることもある。サブスクの功罪でもあるだろう。そんな時代だからこそ、配信はおろかDVD化もされていない本作『14歳の栞』は、自分のそうした「リスト」の中でも上位に位置する作品にいた。出町座で上映されると聞いて、私はまっさきに自身のスケジュールを確保した。毎年春に全国的な上映を実施するのが慣例となっているようだ。

本作に登場するのは、とある中学校の2年6組、合計35人。3学期、すなわちクラスが終わるまでの50日間を切り取ったドキュメンタリーに近い映画だ。役者ではない実際の生徒が実名で登場する都合上、本作は劇場でのみ公開されている。映画の冒頭と最後には、登場する個人に対するネガティブな発信を行わないよう呼びかける注意書きも映る。さらには上映中のメモ書きも禁止という徹底ぶりだ。

映画は2年6組のひとりひとりにフォーカスを当てていく形で進行していく。詳しい内容はぜひ劇場で確認してほしいのだが、特段大きな物語が存在する映画ではない。製作側の意図がにじみ出す「ささいな物語」は示唆されるのだが、それはあくまで現実を切り取ったときの面白さであり、虚構としての面白さではない。それでも2時間の間決して退屈しないのは、一つ一つのエピソードや人物の一人一人に、思春期特有の緊張感が存在するからではないか。微妙なバランスで成り立つ友情や部活との距離感、「大人」である撮影者へ向けられる警戒にも憧れにも似た視線。映像自体は何気ない日常を描いたものでも、そういう触れたら崩れてしまいそうな感傷を観客は受け取らざるを得ない。

とはいえ、見方には注意したい作品でもある。実際の中学生を写し撮っているからこそ、「大人」になった我々観客が中学生の若さや至らなさ、それゆえの美しさを消費してしまうのは、手放しで褒められることではないだろう。自分が中学生だったころの尖り具合なら、そうして自分たちを消費してくる「大人」になど反吐が出たはずだとも思う。

しかし私たちにとって中学校生活は、既に過ぎ去った取り返しのつかない「あのころ」でしかない。自分の経験を思い起こし、なにが同じで何が違っているのか、どうしても考えてしまうわけだ。劇場を出たあと、これまで辿ってきた道筋を点検するように本作の映像を脳裏で反芻していた。

同作の出町座での上映は4月10日まで。(涼)

◆映画情報
監督 竹林亮
初回公開 2021年3月5日
上映時間 120分

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