〈生協ベストセラー〉 2009年の書籍ベスト100(2010.03.16)

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本紙に売れ行き上位100冊を掲載

京大生協ブックセンタールネ調べ 2009年2月1日〜2010年1月31日

備考
・教科書指定の書籍は除外。
・TOEICなど、各種試験・資格・免許の参考書および就活本は除外。
・辞典、辞書の類および六法全書などは除外。
・教科書指定かどうか判別のつかないものに関しては、4月/10月に集中して売れている
ものを教科書と見なし、除外。
※以上、京大生の「普段の読書傾向」を分析するため、ルネ提供の総売上データを編集部にて適宜編集していることをおことわりします。

【総評】 『思考の整理学』が1位、2009年度も文庫小説が華


2009年度の西部生協の本の売り上げを4月から順に追ってみる。

まず4月には、毎年必ずと言って良いほど、本の売り場は教科書・参考書を求める人でごったがえす。ベストセラーの表ではその一切を省いたが(注1)、教科書・参考書は読み物・雑誌などに比べて圧倒的に売れている。しかし、教科書・参考書を買う次いでに一般の読み物を求める人は数多い。そんな入学式・新学期前後の時期には、文庫版となった『鴨川ホルモー』(万城目学)や『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦)といった京大出身者の作家による、京大生が主人公となった小説がよく売れた。その他『学生のための一人前!レシピ』や『大学時代しなければならない50のこと』といったハウツー本がベストセラーになったことを考えると、それを手にした者の多くは、様々な不安を抱える新入生や下宿生だったのだろう。そして今年の春もこのような様相になると思われる。

5月になると、村上春樹による5年ぶりの長編小説で話題となった『1Q84』の1、2巻が世に出て、6月には『終末のフール』(伊坂幸太郎)、10月には『新釈走れメロス、他四編』(森見登美彦)の文庫版が発売。3者とも爆発的にヒットした。それに合わせて森見・村上・伊坂の文庫本も競い合うように売り上げを伸ばした。年間ルネベスト10の内、熱狂的な春樹ファンの後押しをうけた『1Q84』と昨年6月に松本総長お墨付きで発売された『京大・学術語彙データベース基本英単語1110』以外が文庫となり、森見に関しては文庫4作品がランクインした。学生にとって文庫版は買い求めやすく、読みごたえのあるものがラインナップされている。

あと『京都本・通いたい案内したいベスト100』や『京都の美味しい店508・絶対行きたい!また食べたい!京都グルメの決定版』といった京都を紹介する本がよく売れ、『生物と無生物のあいだ』や『宇宙創成』といった科学本も奮闘した。

総合して『思考の整理学』が前年に引き続いて年間ルネベスト1位となった。12月には生協が京大に著者を招き、新書『忘却の整理学』の発売記念として講演会が開かれた。『思考の整理学』は1983年に初めて出版されたが、最近になってある本屋の店員の書評によって有名になり、ベストセラーになった。ゆえにすべての文庫本は、急に脚光を浴びるように可能性が大いにあるのだ。(春)

(注) もしランキングに教科者・参考書を含めたら、例えば『たのしい刑法(島伸一)』や『スバラシク実力がつくと評判の確率統計キャンパス・ゼミ、大学の数学がこんなに分かる!単位なんて楽に取れる!(馬場敬之)』という面白い題名に出くわすものの、『岩波基本六法(稲葉馨)』を筆頭に「お堅い」題名の教科書・参考書でランキングが埋めつくされてしまう。

第98位 『山県有朋』 ~丹念に記述された政治過程が語るリアルな「この国のかたち」~


伊藤之雄著『山県有朋―愚直な権力者の生涯―』(文春新書)

人が二人以上いれば、自然に上に立つ人物が必要になる。その人物として望ましいのは天才肌で突拍子もない発想で我々を導いてくれる人物か。それとも、現実を冷徹に認識し、地道に実務をこなしていく生真面目な人物か。山県有朋は徹底して後者の類型であり、逆に明治維新期の激動する新国制が求めた徹底して実直な人物こそ山県という「愚直な権力者」だとも言える。

日本史を少々でも勉強された方なら、「山県有朋」と聞いてどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。よく持ち出されるのは「坂の上の雲」で描かれた、伊藤博文のライバルとして黎明期の日本陸軍に君臨する「明治の妖怪」であり、明治の創始者としての再評価を経た現代にあっても、急進的な自由民権運動の反動として悪評を一身に背負った「清濁併せのむ権力者」といった表象が限度だろう。しかし、一文一文の背後に膨大な史料を髣髴とさせる本書の緻密な分析をくぐりぬけて見える山県のイメージは、もはやそういった「希有壮大な悪役」とは程遠い実務官僚のそれである。

本書を読んで驚かされるのは、山県の陸軍内での地位は日露戦争を経るまで確固としたものでなかったという見方だ。日本陸軍創始以来、軍当局者として数々の不祥事の矢面に立たされ失脚の危機にさらされてきたという指摘は、言われてみれば当然のことである。そして、そうした危機にあって、各局面での最高権力者たちからの庇護により、からくも地位を維持し得たという事実に山県の魅力がある。というのも、山県は権力を志向して上司に取り入り部下に厳しい人物ではなく、本来は奇兵隊指揮官時代を懐かしむ武断的な人物であり、だからこそ高杉晋作や西郷隆盛など武将肌の人物に親しみ、その没落に当たって危機を共にせざるを得なかったからである。従来の山県に関する記述には「猜疑心」「陰険」などの言葉が当てられたが、そのイメージの背後にある「恣意的にふるわれる絶大な権力」という前提がそもそもあり得ないことは、山県の軍略や国際理論がほとんど的外れで相手にされず、とても有能な軍人としての出世を果たしたものではないという事実からも明らかだ。山県の本質は実務能力ですらなく、信頼に値する武人の遺風のみにあったといってよいだろう。

そうした山県の性格形成を考えるには、父母が早くから亡くなり、育ての親たる祖母も自殺し、長じてなお妻に先立たれ、3男4女の内二女以外皆8歳までに死に別れるという悲惨気回りない境遇があり、また、維新戦争の過程で数々の同志が斃れていったという生涯に思いをはせる必要がある。「陰険」と評された数々の倒閣運動にも、先別れた志士たちへの「責任」という観点から決死の政略であったという指摘を受けると、一種壮絶な信念を感じざるを得ない。

著者は当初は山県を好きになれなかったとあとがきで告白している。その上で得られた本書の山県像には、徹底した史料分析より導出された「リアル」の放つ、迫るような社会と人間の関係性が込められている。というのも、太平洋戦争の原因は山県の作った「制度」でなく、その後の「運用」だとする簡素極まりない本書の結論は、山県の生涯の記述によって語るに尽きているからだ。制度のもたらす帰結を安易に幾人の指導者に押しつけて済むものでないことは、山県という「求められた」権力者の実際とイメージのギャップが雄弁に語る。日本が初めて経験した「ネイション」という体験の端緒に位置した山県が、「陰湿」の一言で片づけられてきた歴史に、我々は自己の国制をどうとらえるか、逆に首元に匕首を迫られているのである。(麒)

第83位 『偽物語(下)』 ~美しい「偽物」は「本物」をも凌駕する。~


西尾維新著『偽物語(下)』(講談社BOX)

西尾維新による〈物語〉シリーズの6・7作目である。上下巻を謳ってはいるものの、それぞれが別のストーリーを構成しているので(もちろん連続性は有しているが)片方だけでも西尾ワールドの端緒を垣間見る事が出来るであろう。尚、始めに断っておくが、私自身はこの〈物語〉シリーズのうち本作しか読んでいない。従って以下の内容は限定的なものに過ぎないという点を、予めご了承願いたい。

〈物語〉は主人公・阿良々木暦およびそれを取り巻く人物が身の回りに起こる怪異と向き合う過程を描いた作品群である。この「偽物語」では、阿良々木暦の2人の妹、火憐と月火に起こる怪異を軸に話が進行していく。この姉妹、中学校では名前をもじって「ファイヤーシスターズ」と呼ばれており、正義の味方ごっこを繰り広げているらしい。この伝聞はあくまでも暦視点であり、「ごっこ」という言葉が示すように姉妹の行動は「偽物」だと評している。「お前たちは正しいが強くない。正義の第一条件は正しいことではなく強いことであり、だから正義は必ず勝つんだ」と、本作で貫かれているのは本物か偽物かについての命題なのだ。だから「偽」物語と記すよりは「偽物」語と表現する方が適切と言える。本作のキーパーソンとも言える謎の男・貝木泥舟はその象徴である。(上)では「正義の味方」である火憐の前に立ちはだかり、(下)では月火に起こる怪異の複線とも言える存在だ。結論から言えば火燐は敗れ、月火も自らの知らぬ間に怪異に侵される。

果たして、敗北を喫したファイヤーシスターズは「偽物」なのだろうか。暦は言った、(偽物だろうが)愛せるさ、むしろこれまで以上に愛してやる、と。作者の西尾自身も綴っていたが、「本物」と「偽物」は表裏一体であると私は考える。生まれつきの特性は関係ない。(皮肉にも)「偽物」貝木の言葉を引用すると「そこに本物になろうとする意志があろうとするだけ、偽物のほうが本物より本物だ」と思う。この場合、本物かどうかは正しさに依存しない。正しさ、すなわち強さとは異なり、人の都合に依らないのである。いろは歌でも詠まれていたが、眼前の事柄に踊らされる事なく、リアリティを意識して生きていこう―さすれば、素晴らしき「偽物」は「本物」とは比べ物にならない程の輝きを見せるだろう。(如)

第68位 『科学者として生き残る方法』 ~研究生活からじかの声~


フェデリコ・ロージ、テューダー・ジョンストン著 高橋さき訳『科学者として生き残る方法』(日経BP社)

みなさんは何か「それを知りたくてどうしようもない」と思っているモノはありますか。

ある学生 「おカネのもうけ方、ヒトにモテる方法、立身出世の道、社会を動かすこと・・・いや、せっかく京都大学に入ったのだから、学問だよ!」

(その答えに対して)
「ではどんな学問?具体的に教えて。」

ある学生 「・・・ええっと、『具体的に』って言われても、言えないなぁ。実際にいろいろ関連本を読んだり、講義を受けても、どれもあまり興味が湧かないよ・・・。」

そのように答えてしまう、そこの「自称だけ学問好き」のあなた!それはまだまだ経験不足だ。いろいろなところに足を運び、あらゆる書物に目を通し、多くの人間や文章に触れたならば、いつか何か「心の琴線に触れる」ような学問に出会い、それに魅了されるはずなのだから(それは学問以外でも言える)。

また、知的好奇心を全く持っていなかったら、日常生活ひいて大学生活などは刺激のない退屈なものになってしまう。「疲れた」とか「だるい」といった言い訳はしないで「心の琴線に触れる」ようなモノをとことん追い求めていくヒトは、まこと精神的に生き生きしている。

紹介する『科学者として生き残る方法』は、寝食も忘れてそれに没頭するほどの分野を見つけ、その研究を天職にしたいと努力する「科学者」に向けて書かれた手引き書である。つまり主に大学院生や研究者が読むべき本であるが、「科学者」がアカデミックの世界で生き残り、成功するための心構えや戦略、世渡り法、教訓などが詰まっていて学部生からでも一読の価値がある。

「科学者」は好きなモノを追求することを職業とするわけだが、やはり「科学者」のあいだでも「貧富の差」みたいなものがあり、評判や名声、地位、研究資金などの獲得で激しい競争が繰り広げられている。ゆえに科学の分野で活躍するためには、連携プレーがとれていて評判も良いような研究グループに属し(一人では何もできない!)、自分の成果・意見を多くのヒトから認められるよう努力しないといけないし、自分たちに協力してくれるコミュニティーやネットワークを広げなくてはならないなど、多くの選択や戦略が求められている。

『科学者として生き残る方法』では、「汝、おのれを知れ」、「汝、基本スキルを身につけろ」、「汝の隣人を知れ」という基本法則に基づき、まず研究分野と研究スタイルの選択の仕方から始まり、つづいて研究と職歴の積み重ね方について述べ、学界(会)でのルール、名声を得る方法と名声の利用法、論文や履歴書の書き方などについて紹介する。

ただこの本は、図や表がほとんどなく、研究の進め方そのものを紹介しているわけでないので、自分のなかで「その知識をどういうふうに活かすか」など自分なりの整理が必要とされよう。しかし、研究生活のじかの声が聞けるところがあり、そこをしっかり組み取れば、研究者向けの他のハウツー本に比べて、読みごたえはあるだろう。(春)

第45位・第48位 『大学の誕生(上・下)』 ~今こそ大学独自の価値を~


天野郁夫著『大学の誕生(上・下)』(中公新書)

この場では本書の中身そのものではなく、なぜ今本書が年間ルネベストにランク インを果たしたのか、つまりなぜ京大関係者が本書を手に取ったのかについて考察したいと思う。無論本書の中身が論じる価値の無いもの、というわけではない。著者は多くの文献資料を渉猟することで日本において「大学」なる制度がどのような遍歴を経て成立するにいたったかを丹念に紐解 いているのであり、日本の高等教育制度史を手っ取り早く知りたい者にとっては 今後の必読書となるだろう。ただ私はそれ以上に本書が売れた時代状況により強い関心が向いたのだ。

周知のとおり2005年に国立大学は法人化され、まもなくその第一期中期計画 ・目標が終了しようとしている。この間国立大をめぐる環境は激変している。外部団体との提携が毎月のように発表され、組織の新設・廃止も日常茶飯事。競争的資金を使った○○プロジェクトの氾濫振りは、もはや大学、あるいは当該部局の 中にすら状況を把握し切れている人は誰もいないのでは、と感じるほどである。 それらの「改革」は毎年、6年ごとにその成果を報告し社会的評価を受けねばならない。でも何のために? 大学は何なのか、何だったのかを考えざるを得ないという事態は、翻せば大学を 取り巻く動き、あるいは大学自身が内面化してしまっているものに、多くの大学 関係者が違和感、(それはもはや「疎外」といえる状況にまで達しているのではないか)を感じている、だからこそ大学の原点が何だったのかを探ろうと、本書を手に取ったといえるのではないだろうか。

ではその答えは本書にあるのだろうか?それは否だと筆者は感じる。西洋の新知 識を日本に導入するために設けられた帝国大学、その後出現した私立の専門学校も結局は帝大を規範とする形で大学制度の中に組み込まれてしまった。いわば近 代日本の大学は国家に奉仕すること、奉仕する人材を育成する使命を宿命付けられていたわけで。

事業仕分けで教育・研究事業が見直し判定を出された際には大学は「国家百年の計を軽視するとは」なる論調を軸に批判をしたが、価値を国家とか、社会通念だとかに委ねてしまう限り私たちは翻弄され続けてしまうのではないだろうか。外 部から価値付けられるのではなく、むしろ一からそれこそ今まで一度も実現されていないようなフィクションでも良いから、在るべき大学とは何ぞやと内省することが求められているのではないだろうか。(魚)

第30位 『人間失格』 ~恥の多い生涯を送ってきました~


太宰治著『人間失格』改版(新潮文庫)

本書『人間失格』は太宰が主人公「葉蔵」の3枚の写真を紹介する場面から始まる。葉蔵は幼少のころから自分の感覚と他人のそれとが全く異なっているのではないか、という不安にさいなまれ、それを悟らせないように常に道化を演じるようになった。本書は、そんな社会になじむことのできない葉蔵の「恥の多い生涯を送って来ました。」という言葉に象徴される、敗北と自己破壊の半生を描いている。

本書が社会の中において人間が人間らしく生きていくのが不可能であること、偽善や意識しない暴力によって人間本来の無垢や純真が失われていくことへの悲しさを訴えていることは、明らかであるようだ。もっとも私は一大学生にすぎず、実際の社会が太宰が作中で描いたように敵意に満ちたものなのかどうかはわからない。そもそも、現在の社会と太宰の生きた社会が同じかどうかも怪しい。それでも『人間失格』が多くの人に読まれているのは、やはり主人公・葉蔵にシンパシーを感じるからではないだろうか。例えばコンビニのレジの長い列。後ろに何人も並んでいると、10円、1円単位で小銭を出すのをためらってしまう。後ろの人が自分のことを悪く思っているのではないか、という不安がそうさせる。もっと言えば、自分のことを信頼してくれる人を裏切りたくない、他人の顔色を伺ってしまうという、誰にでもある感情や姿勢を極限まで強くした人物が葉蔵なのだと私は思う。そして葉蔵の在り方の根底には冒頭にも述べたように、自分と他人との間に大きな違いがあるのではないかという不安がある。しかしその不安もまた多くの人が持っているのではないだろうか。私たちが普段使うコミュニケーション手段としての言語は、言い間違いや勘違い、微妙なニュアンスの捉え方など、不完全な部分が多いため、人間が他人のことを理解することは不可能ではないにしろ難しい。そのため葉蔵がもつ不安は、人間にとって普遍的な不安である。だからこそ、『人間失格』は名作として記憶されているのではないだろうか。

昨年は太宰治生誕100周年で、本書や『ヴィヨンの妻』といった作品が映画化され、公開された、もしくは現在もされている。こうして過去の名作が読み継がれていくことは価値あることだが、私個人としてはぜひとも太宰の生きた時代を現実に感じてみたかったと思う。(書)

第2位 『京大・学術語彙データベース基本英単語1110』 ~もう最高過ぎ。やばい。~


京都大学英語学術語彙研究グループ+研究社編『京大・学術語彙データベース基本英単語1110』(研究社)

京大生なら誰でも知っている『京大基本英単語』。松本紘総長も推薦の素晴らしい英単語帳である。いやー素晴らしい。本当に素晴らしい。実に素晴らしい。最高に素晴らしい。

これだけ書けば大抵の人には『京大基本英単語』の素晴らしさを信じてもらえると思うが、それでもまだこの単語帳の機能に疑いを持っている人には、私がいかに『京大基本英単語』のお世話になったかという話をしようと思う。

以前に私が取っていた英語の授業ではテストを実施せず、もっぱら課題の出来と提出状況などを考慮して成績評定を行うシステムを採用していた。6月も終わりに差し掛かったある日、期末試験に代わる期末課題が与えられたのだが、それは実に驚くべき内容であった。

『京大基本英単語』を買ってそこに載っている単語の内、5つを選んでそれを英英辞典で調べ、その内容を紙に書き写す。それが我々のクラスに課せられた課題であった。英英辞典は図書館に行けばいくらでも置いてあるため、実質的には課題の完成のために手に入れなければならないものは一つだけ。すなわち『京大基本英単語』である。『京大基本英単語』に収録されている単語を5つ知ることが出来れば、それだけで京大でもっとも取得が難しいと言われている語学の単位が手に入るのだ。

『京大基本英単語』を買うだけで語学の単位が確定する。これほどの好条件を提示されていながらあえて『京大基本英単語』を買わない理由があろうか。あるわけがない。私は喜び勇んで『京大基本英単語』を買った。講義中の暇な時間に英英辞典で調べて適当にそのへんの紙に書き写した。提出した。単位がきた。

その後、『京大基本英単語』がどうなったかはわからない。夏期休暇で帰省する際の荷造りの途中でカバンに入れっぱなしになっているのを発見し、邪魔だからと横っちょに放り投げて以降、行方不明である。

今も『京大基本英単語』の行方はわからない。しかし、私は『京大基本英単語』を忘れない。私に単位をもたらしてくれた『京大基本英単語』を忘れない。『京大基本英単語』は今も私の心の中で生きている。(47)

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