複眼時評

西井正弘 人間・環境学研究科教授 「国際法―法学あるいは 国際関係論の一分野として―」

2010.03.12

2004年度に発足した、日本の法科大学院(ロー・スクール)は、今や転機を迎えています。特に、国際法は、国際経済法と国際人権法と共に、新司法試験の選択科目の一つとされていますが、毎年この科目を受験する人は、全選択科目中、最下位に位置しています。試験範囲が広すぎるのでしょうか。それとも、実務法曹にとって国際法は、余り役に立たない科目なのでしょうか。

他方、国家公務員採用I種試験の専門試験(多枝選択式)において、「国際法」は、試験区分で言えば、「行政」と「法律」の双方に出題されています。「行政」区分では、国際関係と国際法がセットとされており、「法律」区分では、商法、刑法、労働法と並んで選択科目と位置づけられています。

私は、総合人間学部と大学院人間・環境学研究科で、「国際関係法」という名称で、講義を担当してきましたが、その概念が明確に意識されていたかと言われると、内心忸怩たるものがあります。国際法学会編『国際関係法辞典』(三省堂)が、1995年に初版が出版されましたが、その「はしがき」でも、用語の明確な概念規定がなされていたようには思われません。

国際法は、古い歴史を有する学問領域で、「国際法の父 グロチウス」の名前や、彼が活躍した17世紀のヨーロッパ社会のこと、主著である『戦争と平和の法』については、知っておられる人も多いと思います。ヨーロッパから起った国際法は、その後19世紀には、世界大に拡大します。日本も国際社会に参加することになりますが、そこには不平等条約といった足かせをはめられ、その不利な条約を改正するため、明治の日本政府が如何に「国際法の優等生」であろうとしたかは、良く知られている所です。司馬遼太郎の『坂の上の雲』においても、そのような記述がなされています。

明治時代以来、法学部において、国際法の授業がなされてきましたし、第2次大戦前であれば、海軍大学校の授業科目にも「国際法」は必須科目として存在していました。学問上では、国際法が、国内法と同じ意味での法といえるのか、それとも、対等な諸国間の上位に立つ中央権力を持たない国際社会においては、「国際法」という名の「国際道徳」に過ぎないのではないか、と言った古典的な論争は、今日もはや繰り返されることは有りません。その意味で、国際法が「法学」の一分野としてその地位を認められているといっても良いでしょう。

他方、今日、国際法は、国際関係を規律する様々な社会的な要素の中で、どれくらいの重要性を持っているのでしょうか。国際法を自分の職業としてきた身からすれば、重要な役割を果たしていると思いたいのですが、軍事力、政治や経済、文化その他の要素の占める割合からみると、実は国際法の意義は小さいのではないか、ふとそのようにも思ってしまうのです。国際法の違反や領域主権の侵害など、メディアのニュースで「国際法」が報じられるとき、マイナスの意味で用いられる場合が多いように思われます。しかし、日常的な外交の場においても、あるいは身近な船舶、航空機の運航等においても、国際法のルールに従って、多くの事態は解決され、日常的な営みがなされています。国際社会は、決してアナーキーな世界ではなく、国際法に従った秩序の下に存在しているのです。国際法を無視する行動がなされ、国際法の改変を「力」によって実現しようとする試みは少なくないにしても。

法学の分野でも、現代の国内法が、制定法に基づく緻密な議論を展開しているのに対して、国際法規範には曖昧さが免れないように思える点が有ります。政治的妥協の結果としての条約は、双方に都合の良い解釈を許す文言が用いられることに注意が必要です。更に、国際法において、条約と並んで慣習国際法が占める割合が、国内法に比して大きいことと、慣習国際法の形成における二要素説の曖昧さは、初学者も直ちに気づく点だと思います。二要素説とは、特定の事項について多数の国家による同一の作為もしくは不作為の繰り返しによって、一定の慣行が成立していることという事実的要素と、それを法的に義務的であると認める法的(必要)信念という心理的要素が存在して、慣習国際法が成立するという通説的な考え方です。「多数の」「同一の」「繰り返し」「信念」といった概念が、一定の解釈の幅を容認するものであることは明らかです。

しかし、国内法も歴史的にみれば、法典編纂によって制定法が主要な役割を果すようになったのは、高々19世紀初めのことであり、「国際法」の「プリミティブさ」を特に強調する必要もないのかも知れません。

国際関係において、「力」と「規範」の果している役割を、冷静に分析することは、法学の一分野としての国際法であれ、国際関係論の一分野としての国際法であっても、変わりはないと思えます。今後も、私は国際関係論の視点から、国際法を追及し、明確な「国際関係法」という概念を確立できればと願っています。


にしい・まさひろ氏は人間・環境学研究科教授、今春で定年退職