複眼時評

岡真理 人間・環境学研究科准教授 「『テロリスト』宣言」

2007.05.16

今度の九月で十二年になる。一九九五年の九月、沖縄でひとりの少女の身に起きたあの痛ましい出来事から。当時、小学校六年生だった少女は今、二三か二四。修士課程の院生と同学年、学部生にとっては数歳年上のお姉さんだ。この十二年という歳月は少女にとっていかなるものだっただろう。十二年後の今、心の傷は完全には癒えないまでも、二四歳の娘らしい幸福を享受して生きているだろうか。

下校途中の少女が米兵に誘拐され暴行されるというその出来事は、本土の人間たちにも大きな衝撃を与えずにはおかなかった。だが、一九四五年の米軍上陸直後から、沖縄の女性たちは強姦され続けていたのだ。主婦も、高校生も、米兵相手の仕事に従事する女性たちも、少女が暴行されるまでの五〇年のあいだ、ずっと。その事実を初めて知ったとき思った、少女に暴行した第一義的な加害者は米兵であったとしても、そうした犯罪を可能にしたのは、沖縄の現実を五〇年間ずっと関心の埒外に捨ておいて、安全を貪ってきた本土の人間たちであり、私自身の無関心であったのだと。

二〇〇五年十月、イスラエル占領下のパレスチナ、ガザ地区で、通学途中の十三歳のイーマーン・ハマースがイスラエル兵に射殺された。少女の遺体からは十数発もの銃弾が摘出された。ガザ地区とヨルダン川西岸地区は一九六七年以来、イスラエルの軍事占領下にある。国際法にも国連決議にも違反し継続するその占領はこの六月で四十年を迎える。

昨夏、占領下の西岸を訪れ、キリスト生誕で知られるベツレヘムの街で一人の青年に会った。アラビア語で「聖戦」を意味する「ジハード」を名にもつ彼は二五歳の難民の三世。彼の祖父母たちがパレスチナを追われて難民となって来年で六十年、それだけの歳月がたっても、いまだ劣悪な住環境のキャンプから抜け出せないでいる、占領下の何千、何万といる貧しいパレスチナ人青年の一人だ。七年かかって高校の卒業資格をとったが、大学に進学しようにもお金がない。学資を稼ぐために働こうにも仕事などない。四十年近くにわたる占領で産業基盤は徹底的に破壊された。キャンプの失業率は100%だ。二十代半ばのパレスチナ人青年、しかもキャンプに暮らす難民となれば、イスラエルにとっては潜在的「テロリスト」である。彼らに移動の自由はない。隣街の友人を訪ねることもできない。飼い殺しのような人生。街はイスラエル人入植地(国際法違反)に包囲され、入植地を結ぶイスラエル人専用道路に沿って建てられた金属製のフェンス(パレスチナ人「テロリスト」からイスラエル人住民を守るための「安全保障フェンス」とイスラエルは言う)が街をとりかこむ。フェンスに指をからませてジハードが呟く、「俺たちは檻のなかのサルだ。」その目線の先には入植地がある。そこに住む青年たちにはすべてがある。占領がジハードから奪った「すべて」が。

「ぼくらは、この世に生を受けたその瞬間から、なにもかも奪われた剥奪の人生を、そして、みずからの土地にいながらにして、難民的生を生きることを強いられてきた。ぼくらは子ども時代から――と言ってもそれは、「子ども時代」などと呼べるものではまったくなかったけれど――占領の醜悪さを、人間にとって難民であることの意味を、そして、剥奪と喪失の意味を身をもって理解した。ぼくらは、奴隷であるとはいかなることかを理解し、そして、それゆえに、自由をこの手に取り戻すためなら、喜んで死にたいと思うようになった。ぼくらはまた、持つことと失うということの意味を理解し、今や、ぼくたちが考えることは唯一、まさしくぼくたちのものにほからないものをいかにして取りもどすかということだけだ。ぼくたちが語っていること、それは、ぼくたちもまた、ほかのすべての人たちと同じように、自由と尊厳のうちに生きたいということ、ただそれだけ。そして、それは決して、不可能なことではないはず。

この世界には動物の権利というものがあると聞いたことがある。飼い主の傍らを歩いている犬を見ると、犬だったらよかったのにと思うこともある。ぼくたちが生きることを強いられているものにくらべたら、この犬の生活のほうがまだ、ましだから。」(ジハード・ラマダーン「ぼくはオリーヴの枝など差し出したりはしない」より)

ジハードに会って思った。彼が明日、自爆しても、私はちっとも不思議に思わないにちがいないと。むしろ、彼がこのような情況――自由と尊厳を徹底的に奪われた生――のなかにあって、それでもなお、生の側に、命の側に、とどまり続けていることのほうが奇跡ではないのか。

パレスチナ人の青年が自爆すると、日本のマスメディアは大きく報道し、「聖戦」や「殉教」といった言葉でテロを正当化する彼らの言説を紹介するが、彼らが自らの肉体をダイナマイトで吹き飛ばすことを決意するまでに耐えねばならなかった生がいかなるものであったのか、そして、自爆した青年たちよりもはるかに多い何万という青年たちが、いつ自爆しても不思議ではないような状況のなかで、しかし、自らの命と他者の命を殺さないために、生の側にとどまり続けようと日々、必死の努力をしているということ、それこそが彼らの「ジハード/聖戦」にほかならないということをどれだけのメディアが伝えているだろうか。

十二年前の事件のあと、沖縄の作家の目取真俊は『希望』という短編作品を書いた。沖縄の青年が、米兵の幼児を誘拐して虐殺するという物語だ。新宿の居酒屋で目取真は言った、「あれがぼくの娘だったら、妹だったらと思うだけで気が狂いそうになる、自分の手で米兵を殺していたかもしれない」と。このままではそのようなことが起こるかもしれない、そうなってからでは遅いから、そのようなことが起こらないようにとの思いで、彼は『希望』を書いたのだという。

沖縄で「自爆テロ」がいまだ起こらないのは、「命どぅ宝」の思想ゆえのことではない。小学校六年生が暴行され、大学に米軍のヘリが墜落しようと、米軍基地があることが同時に沖縄の人々にとってそれなりに利益にもなっているからだ。未来に選択肢があり、生きていることに希望をもつことが可能だからだ。だから、基地撤去を訴える人間が知事選で落選するという現実がある。パレスチナ人がテロリストとなって自爆するのは、彼らが「命」を「宝」と思っていないからではない。占領が彼らの生を圧殺しているからであり、生きていても、「人間の生」を徹底的に剥奪されているからだ。

強姦は占領者の専売特許ではない。京大のアメフト部員(編集部注:正確には引退後の元部員)が女性を泥酔させて強姦したのは昨年のことだ。そういえば、加害者たちは、沖縄の少女と同学年だったはずだ。学生の犯罪行為に言及して、教員による同様の犯罪に言及しないのはフェアではないだろう。強姦未遂事件を起こした教員に対する処罰はたかだか懲戒半年という軽微なものだった。そして処罰にともなうお決まりの遅延工作、隠蔽等々。沖縄に対する本土の無関心が少女の事件を可能にしたのだとしたら、人権に対する大学側の無関心が、学生の強姦事件を可能にする土壌を作っているとも言えるだろう。

イーマーン・ハマースの死がもし、日本にいる私たちにとって遠いとすれば、それは、パレスチナが遠いからでは断じて、ない。沖縄の少女の身に起きた出来事が、そして、私たちのすぐ傍らにいる者たちの現実が遠いからにほかならない。無関心という胎盤に包まれて眠る私たちから。


おか・まり 京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。
専門は現代アラブ文学、ポストコロニアル文学批評、パレスチナ問題。著書に『棗椰子の木陰で-第三世界フェミニズムと文学の力』(青土社)、『記憶/物語』(岩波書店)、『彼女の「正しい」名前とは何か 第三世界フェミニズムの思想』(青土社)など。