企画

受験生への応援メッセージ

2010.02.23

二次試験間近(あるいは最中)、受験生の皆さんはどのような心持でこの新聞をお読みになっているでしょうか。今号は受験生応援号ということで、日頃編集活動で活躍している弊社1年目編集員の47・書・春が、まだ記憶に新しい自身の経験もふまえたうえでみなさんにエールとアドバイスをおくります。「余計なお世話だ」というむきもあるかもしれませんがどうか試験の合間の気晴らしにでも目をとおしていただければ幸いです。(編集部)

最低点合格のススメ

受験生諸君がもし京都大学の赤本を持参してきているなら、2009年度の教育学部(文系)の合格者最低点の欄を参照されたい。そこには「554・29」という数字があるはずだ。

554・29点。これは昨年、私が京都大学教育学部(文系)を受験して獲得した点数(センターと2次の合計)であり、同時に昨年の京都大学教育学部(文系)の合格者最低点である。そう、私は昨年の受験時、合格者最低点ちょうどで京大に滑り込んだのだ。センターであと一つ選択肢を間違っていたら不合格だったかもしれない。ちなみに滑り止めで受けた早稲田は法、文、社学と全滅だった(慶応は受けていなかった)。いや、実にきわどかった。正に薄氷を踏む思いでつかんだ勝利であった。

むろんこんな危ない思いをするのはもう二度とごめんである。しかし、実のところこの最低点合格には楽しい特典が沢山ついているのだ。そのうちのいくつかを紹介しよう。

①赤本などの受験資料に自分のとった得点が記載される。(100年以上の歴史を持つ京大入試に自分の点数を永遠に残すことができるのである。もっとも同じく得点が記載されるとはいえ、最高点合格などはただの労力の無駄、徒労、愚の骨頂である)
②とにかく気持ちがいい。(タイムリミット寸前で時限爆弾の解体を成功させたかのような解放感だ。一度味わったらやめられない。最高点合格を気持ちいいと感じるような人間はただの勉強しすぎの変態である)
③ネタになる。(最低点で合格したというとほとんどの場合「マジか、すげー」という反応が返ってくる。この強力な持ちネタは入学後のクラス内コミュニケーションのための潤滑油になる。一方、最高点合格者は悲惨である。自慢しやがってと思われないように生涯必死で自分の得点を隠し通さなければならない。むごすぎる)
④京大生でいることが楽しくなる。(これだけギリギリで受かると、なんだか京大にいるだけですごく得した気分になる。逆に最高点合格者はすごく損した気分になる。最低点で滑り込んできた人間と同じ京大生として扱われてはじめて、彼らは入試でいたずらに得点を重ね続けたことの愚かさを悟るだろう)

これだけの根拠が揃えば、もはや最低点合格の素晴らしさに疑問の余地はないだろう。がんばれ受験生諸君。狙うは定員たった一名の狭き門、最低点合格だ。(47)

艱難辛苦の果てに

道で学ラン姿の高校生とすれ違うたびに、自分にもこんな頃があったなあと思う。蒸し暑い夏の日や、歯が鳴るほど寒い日には、自分の自転車を追い抜かして行く車の列を見ながら、早く高校出て免許が欲しいなどと考えていたものだ。ところでわたしの地元、福岡の進学校では「平日の1時限目の前に0時限目をおこなう」という暴挙がまかり通っていた。これが3年間続くのである。今考えると、我ながらよくも耐え忍んだものだ。しかし馴れとは怖いもので、毎日やっていると大して苦痛に感じなくなっていく。もっとも、通学の電車で爆睡したり、授業中にバレないように寝ていただけかもしれないが。

受験、というよりも勉強にはこういう「馴れ」が大きな役割を持っていると思う。中学校に入ってアルファベットという新しい文字に馴れ、高校に入ってベクトルや微分、積分という未知の概念に馴れる。そして大学試験に際しては、センター試験独特のマークシート答案という形式に馴れ、京大入試のやたらめったら大きな回答枠に馴れる。その「馴れる」ためには、当然ながら何度も何度も英単語をノートに書いて覚えたり、できなかった問題を解き直したりすることが必要であるが、この新聞を読んでいる受験生の皆さんにとっては、今さらそんなわかりきったことを言ってもどうしようもないだろう。とりあえず赤本やら何やらで真面目に勉強していた人はいいとして、問題はセンター試験が終わってから本腰を入れた勇者たちである。不安にさいなまれて胃がキリキリ痛むそこのあなた、今さら悩んでもしょうがない。過去は変えようがないし、自分の想像の世界に逃げ込んでしまうのはあまり建設的ではない。ここは「ドン」と構えて、潔く腹をくくろう。落ち着いて考えれば、初めての問題でも解ける可能性が出てくる。死地にこそ活路は見出せる。(書)

「手」を使ってGO!

試験を受ける上で、危ういことのひとつに文字や数式、記号、図表、そしてあなたの受験番号・名前を書くべき「手」が思う通りに動かなくなることがある。受験生の諸君は日々の鍛錬の中で頭だけでなく、「手」を多いに動かしてきたと思うが、果たして寒さや緊張などの極限下にあって、思う通りに「手」を動かすことが出来るだろうか?

京大の医学部を除いた多くの学部入試では、面接試験が無い。そして英語の試験は至ってシンプルにも(リスニングを除けば)英文和訳と和文英作文の問題に限られ、数学では必ずと言って良いほど証明問題が出題。国語では、比較的長い記述回答欄が与えられる。

こうしてみると、書く表現・書き言葉が偏重されているように思えてならないが、試験官・採点官だって本当は、受験生のそれぞれの話し方や振る舞い方、態度を見てみたいと思っているに違いない。なぜならば大学生は、レポートや論文を書く事だけでなく、対話したり、プレゼンの発表をするということを含めたコミュニケーション能力全般が問われるべきだからだ。しかしあまりにも学部志願者数が多いため、書く表現・書き言葉からコミュニケーション能力を測らなくてはならないのだ。

さてここに京大入試突破の鍵がある。それは「手」を大いに動かすことである。京大を目指す受験生の諸君なら、きっと大いに「思考」する能力はあるはず。しかし入試本番になって何を書いて良いのかためらい、混乱する可能性が大いにある。寒さゆえにポケットに「手」を入れたくなることも多いだろう。そのような時、まずは「手」を使って問題用紙であれ、解答用紙であれ、何かひたすら書いてみることをおすすめする。とにかく試験時間が限られている。「京大合格」であれ、「パニック!」でも良い。じぶんの今考えていること、京大に言いたいことを書いてみよう。整理してみよう。それを見ることで、もしかすると何か解答に関するヒントが得られるかも知れないし、「手」の寒さだって、「手」をよく動かしていれば忘れてしまうだろう。

「手」は筆記試験におけるほぼ唯一のコミュニケーション能力である。諸君は、諸君の「手」を以って京大に入りたいという強い意志をぶつけることができる。だが「手」を意識し過ぎてもいけない。試験時間は思ったほど無い。

「手」よ、頑張れ!
「手」にありがとう!
そして「手」にさようなら!(春)

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