〈映画評〉 マイケル・ムーア監督『キャピタリズム マネーは踊る』―「アメリカ」の多様性を読み解く―(2010.02.16)

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最近まで公開されていたマイケル・ムーア監督の映画「キャピタリズム」では、家を奪われ、職は無くなり、医者から診察も受けられず、そうした「貧困」に転落してしまった人々であふれる病める大国アメリカの現状と、人々が資本の住宅強奪や解雇攻撃に抵抗を始めた様子がこれでもかと言うほど映し出されている。

しかし単純に資本対人民の構図だけで見ると、これの作品が描く「アメリカ」の多様性を理解することは出来ない。資本対人民がこの作品を貫く対立軸その1だとすれば、もう2つ対立軸が存在するといえる。

まず対立軸その2は「2つのキリスト教/カトリック対プロテスタント」である。劇中ムーアが教会に行き聖職者から、「資本主義はキリストの教えに反する」との言質を取っていた場面があったが、気をつけねばならないのはあの聖職者はいずれも「カトリック」の司祭である点である。確かにカトリックは金儲けを罪悪視し、利子鳥金融すら禁止した。

しかしルターの宗教改革後生まれたプロテスタント、中でも予定説をとったカルバン派は各人が「神の使命」に叶った行為となったのだ、ウェーバーが「プロ倫」で明らかにした近代資本主義の精神とプロテスタントの倫理の関係である。

そして何よりアメリカはプロテスタントが主流の国である。つまりウォール街の金融資本家は、自らの行為を倫理的にも神の摂理に叶った事と感じている可能性が高い。アイルランド系移民の子孫でカトリックのムーアは「それは違う!」と主張しているのだ。本作のエンディングで「the internationale」が演奏されたことが、話題となっているが、2曲目に「Jesus christ」が流れたことも、注目されて良かったのではないだろうか。

もう一つの対立軸は「自由をいかに解釈するか」である。

まず自由とは各人が他者に危害を加えない限りで好きに活動することである、という発想がある。私有財産は基本的に各人の努力によって発生したものなので、貧者への再配分は財産権の侵害であるとの考え。一般に自由競争の元で生じる貧富の格差の現状を維持する方向に作用することから「保守」とされる。日本においてあらゆる公的セクターの民営化を目指す新自由主義が「改革派」として出現したのとは異なり、アメリカでは新自由主義が伝統的保守と親和的な側面を持っていた。

それに対して、各人が自らの自己実現を図れる環境を保証するものが自由という発想がある。この場合はいかなる人間でも「自由に」自己実現が図れる環境を整備する限りで、冨の再配分は正当化される。一般に「リベラル」と規定され、劇中でも第二の権利章典のくだりで登場したルーズベルト大統領は、世界恐慌後にニューディール政策を展開したリベラル勢力を代表する政治家である。彼の構想は自身の急死によってアメリカ国内で実現されることは無かった。しかし若手スタッフが第二次大戦後の敗戦国たる日本に進駐し、労働者の団結権を保証した日本国憲法を作るのだ。

前者の思想を持つ人々はオバマ政権が推進しようとした国民皆保険プランに対しても、政府が私生活に関わる事自体が社会主義的であるとして、これに反対する市民運動を組織している。このように資本家対労働者という関係のみにとどまらず、自由の概念をめぐる争いも絡んだ複雑な状況がアメリカにはある。

このように「キャピタリズム」は、アメリカという国家の多様性を描き出しているという点でも、良質の作品であるといえる。(魚)

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