文化

〈生協ベストセラー〉 森見登美彦著『〈新釈〉走れメロス』(角川書店)―京大生が織りなす物語―

2010.02.23

作品の舞台となった場所に憧れを感じるというのはよくあることだ。映画やドラマのロケーションで使用された所を訪れる観光ツアーなどもよく目にする。「場所」を仲立ちにしてフィクションの世界と現実世界がつながれる。そこにロケーション探訪の魅力があるのだろう。

そう考えると本書『新釈走れメロス』がルネでの1月の書籍売り上げ第3位である理由もうなずける。というのも何を隠そうこの作品、作品の舞台となっているのはほとんど京都市内で、しかもその多くが京大から半径2、3キロ以内のエリアときている。さらに、大学名こそ出てきていないが作中の描写から察するに登場人物はほぼ全員京大生ないしは京大関係者である。

著者の森見登見彦は京大農学部卒で、これまでにも『太陽の塔』、『夜は短し歩けよ乙女』などの作品で作中に京大や京大生を登場させている。

京大卒の作家が作中に京大生の生活を織り込んだ例としては、なんといっても万城目学の『鴨川ホルモー』が有名であるが、森見登見彦の著作に登場する京大生は『鴨川ホルモー』に登場するそれよりもずっと「変人」としての傾向が強い。

『新釈走れメロス』は5つの短編からなっており、それぞれが『山月記』、『藪の中』、『走れメロス』、『桜の森の満開の下』、『百物語』といった近代文学の名作の「新釈版」になっているが、例えば『山月記』の主人公、斎藤秀太郎は留年や休学を繰り返したあげく11年間も大学に在籍している。『走れメロス』の主人公、茅野は詭弁論部などというサークルに籍を置き、やはりろくに大学に行かない。

そうした常識外れの変人である彼らが皆、京大生であるという設定と、優秀でありながらどこかにマッドさを持っているという京大のパブリックイメージとを関連付けて考えてみると面白い。

本書の登場人物である彼らが京大生であるのは著者の森見氏が京大生だからなんとなくそうなったというわけでは断じてない。他の大学と比べても変わった人間が多いという印象のある京大をあえて舞台に据えて「変人」を描くというのは、それ自体多分に読者の納得や支持の獲得を意識してのことだろう。つまり、「変人」の京大生を作中に登場させ、彼らの生活や人間性を細やかに描写するという作業は、「個性的」、「頭は良いが変な奴が多い」などといった世間一般に根付く京大生のステレオタイプを追承認する行為なのである。

本書が京大内部でも順調な売り上げを記録しているという事実もまた興味深い。京大生が『新釈走れメロス』を読みたがるのは舞台が京大周辺だからというだけではない。結局のところ京大生は、自分たちについて回る「頭の良い変人」というイメージを好意的に受け止め、誇りに思っているのだ。世間と京大生との合意のもと、これからも京大の「変人」イメージは維持され、『新釈走れメロス』は多くの人に愛され続けるのだろう。(47)