文化

当社主催講演会: 湯浅誠×阿部真大「『溜め』を剥がれる若者たち」

2007.11.01

湯浅誠×阿部真大

『溜め』を剥がれる若者たち ―フリーター×ニート×失業×貧困―

主催:京都大学新聞社・経済学部11月祭実行委員会
後援:Galapagos Production


11月25日(日)法経第七教室(法経本館1階)にて
★13:00 開場、映画「遭難フリーター」京都初上映
★15:00 開演
★終了後に懇親会を予定

湯浅誠 NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長ほか。1990年代から野宿者(ホームレス)の支援活動に携わる。「ネットカ フェ難民」を数年前から指摘し、火付け役となるほか、貧困者を食い物にする「貧困ビジネス」を告発するなど、現代の貧困問題を現場から訴え続ける。著書に 『貧困襲来』(山吹書店,2007)、『若者の労働環境と生活世界―彼らはどんな現実を生きているか』(大月書店,2007,本田由紀らと共著)など。

阿部真大 学習院大学非常勤講師。専攻は労働社会学・家族社会学・社会調査論。大学休学中のバイク便ライダー体験をもとに、団塊ジュニア世 代が直面する労働・雇用問題を社会学的な知見から分析する。現在はケアワーカーの労働実態を調査している。著書に『搾取される若者たち―バイク便ライダー は見た!』(集英社新書,2006)、『働きすぎる若者たち―自分探しの果てに』(NHK出版,2007)がある。

「遭難フリーター」 現在23歳の岩淵弘樹さん自身のフリーター生活、一年間を綴った作品。派遣会社の寮での生活を、手持ちのまま撮影した 不安定な映像を軸としながら、本人のナレーションと、現場でのしゃべりに併せ、不安な気持ちが日記のように淡々と綴られている。「かわいそうなフリー ター」としてメディアの取材を受ける。取材を受けている自分を撮影する。アテのない夜の散歩(岩淵さんの言葉では「一人デモ」)をするなど、「浅瀬で溺れ るような日々」の記録・記憶たちの連続。山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、講評を博した話題作。
趣意文

京都大学の学園祭である11月祭の統一テーマが「超意欲的ニート」に一度決定したものの、その後このテーマの孕む問題性について批判が集中し、撤回される こととなった。会議の場やネット上では「超意欲的ニート」がニートという概念を過った認識のもとで使用し、広めてしまうという問題性が論じられていた。し かしそれらの議論自体も、ニートは就労意欲がない人だと説明する自己責任論は是か非かというレベルに終始し、実際のニート、ひいては現在の若年者の労働環 境を踏まえたものではなかった。

翻って私たちの現在の生活世界を見たとき、ニートやフリータ-が生きる世界と私たちのそれは近接している。それはたんに「若年者」という共通項ではない。 私たちを「いらっしゃいませ」と迎え入れる環境、その水際では、大学生のアルバイトやフリータ-も含めた多くの非正規雇用の労働者が働いている。

このように、ほぼ同一の世界で暮らしながら、「ニート」という言葉で彼らを遠いもののように語ってしまうのはなぜだろうか。彼ら自身の生も、そして私たち 自身の生も、決して「意欲」という絶対条件によって理解されていいものではない。「働かないのは意欲や努力が足りないからだ」という努力論でも「努力が足 りないから貧困になってもしかたがない」という自己責任論でもない。
「不安定な立場で働く」非正規雇用が増えた社会的背景や、過酷で若者をワーカホリックに駆り立てる労働環境のなか、「働ける」状況がどうやって人から剥がされていくのかに目を向けなくてはならない。

今回の講演では、実際の若年者労働に寄り添うフィールドワーカーとしての見地から、2人の講演者に「働けない」状況がいかにして作られていくかを対談していただく。

講演者の1人、湯浅誠さんは「溜め(capacity)」という独自の概念から、このような「働けない状況」を「溜めのない状況」と規定し、溜めを作るた めに個人はどうしたらよいかを実践的な立場から発言している。もう1人の阿部真大さんは、バイク便ライダーとしての勤務経験をもとに、若者を「働き過ぎ る」状況へと駆り立てる労働環境の危うさを指摘している。

今回の対談を通じ、実際の「働く」現場の実情を知り、私たちの生活世界と労働環境をまるごと考えてみたい。