〈寄稿〉 田中雅一・人文科学研究所教授「人類学者、クロード・レヴィ=ストロースを読む」(2009.12.01)

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クロード・レヴィ=ストロースが亡くなった。すでに本紙(11月16日付)で取り上げられているように、20世紀後半の思想的潮流を作った構造主義理論の提唱者であり、その影響は、レヴィ=ストロースの専門である文化人類学を超えて、人文科学と社会科学全般、さらに科学理論へと及んでいた。かれの書物の多くが翻訳されているし、主著で、長い間未訳であった『神話論理』全4巻もみすず書房より公刊中である。

ここでは、主として文化人類学の領域で、レヴィ=ストロースがはたした役割を位置づけ、いま再びかれの考えに接することの意義を文献の紹介を兼ねながら考えてみたい。

世代的に考えると、レヴィ=ストロースが研究上重要な意味を持つのは、たぶんわたしより1世代上の年代であろう。しかし、日本の文化人類学界で構造主義3羽ガラスと称される渡辺公三(立命館大学)、小田亮(成城大学)、出口顕(島根大学)の3氏は、それぞれ1949年、1954年、1957年生まれで、わたしと世代的にはそれほど差はない。3氏には『現代思想の冒険者たち20・レヴィ=ストロース』(渡辺公三、講談社)、『闘うレヴィ=ストロース』(渡辺公三、平凡社新書)『レヴィ=ストロース入門』(小田亮 ちくま新書)、『レヴィ=ストロース斜め読み』(出口顕、青弓社)といった著作がある。どれも読みやすい本なのでこの機会にぜひ手にとってほしい。

レヴィ=ストロースが構造主義との関係で日本に紹介されるときに、頻繁に引用されたのがオイディプス神話についての彼の解釈であった。『構造人類学』に収められている短い文章で、構造言語学との関係もわかりやすい。また、この神話をめぐる解釈については、内外でも多くの議論を生みだしている。しかし、こと人類学に限って言うと、最初の震源は『親族の基本構造』(以下『基本構造』)であった。

『親族の基本構造』の衝撃


本書でいう親族の基本構造とは、インセスト(近親相姦)・タブーだけでなく、婚姻相手が決まっている親族体系を意味する。これにたいし、インセスト・タブーの範囲のみが決まっていて、タブーに触れないなら婚姻相手を自由に選べる体系を親族の複合的構造と呼ぶ。日本社会はあきらかに複合的構造に属する。親子や兄弟姉妹とは結婚できないが、だれと結婚しろ、と規定されているわけではないからだ。だが、世の中には、わたしが17カ月の間生活を共にしたスリランカのように、結婚を禁止する相手だけでなく、母方のオジの娘と結婚しろとか、父方のオバの娘と結婚しろ、というふうに結婚相手が決まっている社会がある。レヴィ=ストロースによると、基本構造が示唆しているのは、集団単位で生じる女性の交換である。かれは、それまでの親族研究が、どちらかというと血縁を中心とする集団論(出自集団理論)で、婚姻や姻戚関係(夫と妻の兄弟との関係など)は副次的なものとみなしていたことにたいし、婚姻を中心とするあたらしい親族論(婚姻同盟理論)を提示し、人類学の親族研究にコペルニクス的転換をもたらしたのである。『基本構造』がアメリカ人類学の祖とされるL・H・モーガン(『古代社会』の著者)に捧げられているという事実からも、レヴィ=ストロースの意気ごみが察せられる。モーガンも、19世紀半ば当時の民族誌や伝道師、植民地行政官の記録や手紙をもとに、親族名称が類別と記述に分かれることを明らかにし、それに基づいて壮大な進化論を提唱したからである。

構造主義人類学の展開


『基本構造』に強い影響を受けた高名な人類学者が3名いた。ルイ・デュモン(社会科学高等研究院)、エドマンド・リーチ(ケンブリッジ大学、キングス・カレッジ)、そしてロドニー・ニーダム(オックスフォード大、オールソールズ・カレッジ)である。デュモンは、『基本構造』で南インドが取り上げられていたこともあり、調査地でレヴィ=ストロースから送られてきたドラフトを読み、調査そのもののデザインを変更した(『社会人類学の二つの理論』弘文堂)。リーチは、自身の調査地が『基本構造』で誤って理解されていたこともあり批判的であったが、『基本構造』の重要性を十分に認識していた(『人類学再考』新思索社、『レヴィ=ストロース』ちくま学芸文庫)。ニーダムは、『構造と感情』(弘文堂)でレヴィ=ストロースを擁護しつつ、あらたな親族論を展開する。『基本構造』の英訳を手掛けたのもニーダムであった 日本におけるレヴィ=ストロースの影響は、神話分析の領域(山口昌男、小松和彦、中沢新一らの著作を参照)が主であったと思われるが、もうすこし視野を広げて日本の人類学史の文脈で考えると、レヴィ=ストロースの受容は文理接近の契機を作ったと思われる。

文理を結びつける


私見によると、日本の人類学は過去に3回文理の接近が認められる。ひとつは19世紀にはじまる進化論への関心である。今日でも見られる霊長類学や自然(形質)人類学と文化人類学との協働は、こうした進化論的な関心から生まれている。つぎが、1970年代における認知人類学、民俗分類学(フォーク・タクソノミー)、民族科学(エスノサイエンス)の興隆である。これらの領域は、いまでは下火になっているが、当時、理系出身の人類学者にとって人類学に入りやすい分野であったろう。具体的な成果として1980年代に結実する松井健(『自然認識の人類学』どうぶつ社)や福井勝義(『認識と文化』東京大学出版会)らの仕事を挙げることができる。最近では、大型プロジェクト「資源の分配と共有に関する人類学的統合領域の構築」(2002-06年度)で、文理接近の試みがなされている。これは、人類社会が象徴系資源と生態系資源から成り立っているという視点から、文系が前者を、理系が後者を扱う、という人類学における暗黙の分業体制を再考し、かつ統合しようとする野心的な試みであった(『資源人類学』全9巻、弘文堂)。このような問題意識は、より一般的には、人類学は環境問題にたいしてどのような貢献ができるのか、という問題へと通じる 文理接近という視点から見ると、レヴィ=ストロースの名前は、なによりも1970年代の認知人類学や民俗分類学の興隆と結び付けられてきた。しかし、レヴィ=ストロースの書物をあらためて読むと、人種問題、進化論や環境問題、狂牛病など、その関心は多岐にわたり、亡くなる直前まで文理を越境する形で精力的に現代的な問題に取り組んでいたことが明らかだ。まさに「人類」を相手にしてきた知の巨人であるということを思い知らされるレヴィ=ストロースの書物(たとえば『構造・神話・労働 クロード・レヴィ=ストロース日本講演集』みすず書房や『レヴィ=ストロース講義』平凡社ライブラリー)から、わたしたちが学ぶことは多い。ぜひ、一冊手にとってその思想、考え方、そして問題意識と、対象への取り組みを学んでほしい。

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